10. 自信
どこにいってしまったか
あの日のぼくの力。
無敵の若い心。
「しまった!」
毒グモのエンリケはものすごく後悔しました。目がくらむようなあせりがかれを襲います。
最初に衛兵本部に連絡をして十分な人数の衛兵を連れてきておくべきでした。でも、誰も気づかないうちに魔法使いの小僧をつかまえて、生きながらに少しづつ頭をけずって、彼の魔法の知識をぬきだそうと思っていたのでそうしなかったのでした。それもこれも相棒に強力な古ガラスのルーイスがいたからなのに、あんなにそそっかしい死に方をするなんて…魔法とは縁がなく、しかも別行動をとっていたヒリヒの登場はエンリケたちにとってまったくのふいうちでした。まったく、ちょっとした油断が考えられないような破滅をまねくものだという戦いのおきてを、身をもって演じるはめになってしまったのです。
「あ、盗賊さん!」
やっとわれに返ったネーコが、ヒリヒの名前をまだしらなかったので「盗賊さん」と呼びかけました。
ヒリヒは剣を鞘におさめながらネーコに向かってニヤリとし、デ・ロタールに向かってはウインクをしてみせました。
「ヨオ、いいカッコだナ!」
ネーコたちの肩越しにむこうをみて、「その汚いおっさんも連れかい?」
ネーコとデ・ロタールがはっとしてふりかえると、エンリケは腰がぬけそうになりました。だって、ただでさえ味方の数が少なかったのに、いま、半分に味方が減って、おまけに敵には援軍まで登場しちゃったんですから。しかもたのみの催眠魔法は、さっき女魔法使いに名前を見破られたのと相棒のばかげた死のせいで、すっかり集中を乱したので、もう効いていないんです。
「しらないよ、こんなおじさん」
ネーコがぽつんと答えました。
「あなたが毒グモ?」
デ・ロタールがちょっとかすれた声でききました。もうすっかり迷路の幻惑が解けたみたいです。
「ソイツも斬っちゃうかァ?」
ヒリヒがちょっとぬけた声でききました。剣術使いじゃない者を斬るのははりあいがないので、斬るのならネーコに斬ってもらいたかったのです。
エンリケは本当に腰がぬけてしまいました。女たちの肩ごしに、ヒリヒが殺気を発したから。人を殺したことがあるものにしかわからないすごみを感じてしまったんです。こいつはわし以上に軽い気持ちで人を殺すぞ!わしもたくさん殺してきたが、きょうはいよいよわしがやられる番なのか!
「あ、あ、あ、…ま、まってくだされ、こ、こ、こ、降参するから、もう危害をくわえるようなことはしません!あんたがたのこと、城のものにはだれにも知らせてないんです!捕虜になります!ま、魔法も教えますから!」
最後の勝負!降参すれば、ちょっとだけ生きていられる時間が延びて、その分生き延びるチャンスが増えます!そのチャンスにかけて助かろう!
「じゃあ、あんたが大事にしてる闇の書とやらをちょうだい!」
いってからまたデ・ロタールはムスッとしました。わたし、なんでそんなことしってるの!?なんで気がつくとしゃべってるわけ!?
エンリケもあせります。魔法を教える、といったときに、「闇の書」だけは隠そうと、ちらっと思った矢先に釘をさされたので。ここまで心の中を知られていると、もう、ちょっと、魔法のレベルが相手とちがいすぎるのがよくわかって、観念するしかないな、と思いました。
「…さしあげます。さしあげますとも…」
すてばちにそういうと、のろのろとたちあがり、「ついてきてください…」
「パーチクが起きないよ!」
ネーコが叫びました。なるほど、パーチクはさっきのままのあほづらでのびています。ハーコも心配そうにのぞいています。
「のびてンのか?しょうがねえ小僧だナ、そいつ、オメエの弟かイ?」
ヒリヒがネーコにたずねます。
「ううん、う〜ん、…」
なんと答えるべきなのか…
「マ、どっちでもいいや、オイ、オメエがしょってってやんなヨ」
ヒリヒはパーチクを抱きあげると、ネーコにおぶわせました。
一行はエンリケを先頭に地下室へむかいました。 対魔法官の詰め所へ。
「これが闇の書?」
デ・ロタールが手にとったのはまぎれもなく、さっきエンリケが読んでいた「闇の書」。まわりの光を吸い込んでしまうかのように黒い革張りの表紙。
「開かない…?」
「あんたは光の知識が好きなんだな?」
エンリケがたずねました。
「ならばこの本は開かんよ。光をきらうのでな」
「とにかく、もらっておくわ」
エンリケはがっかりしました。よくばりな女だ!自分に用のない本までほしがるなんて。これでワシも完ぺきにこの城にはいられなくなったわい…
「パーチク、その顔いや!」
ネーコはパーチクがあほづらをしているのがなさけなくて、肩をつかんでゆさぶりました。でもパーチクの頭はぐらぐらとゆれるだけ。目はあいてるのに、かなり意識不明です。
「ネーコ、そっとしておいてあげなさい。いまはそうしていなきゃいけないんだから」
またまた自分のかんがえと関係なしに口が動いたので、デ・ロタールのひたいには青く筋がたちました。
エンリケとハーコは、この様子にひどくおびえました。
「さあ、さっさとこのお城から出るわよ!」
みんなは彼女にしたがいました。もちろん、ヒリヒも。
こうして一行は、不思議にだれにもとがめられずにお城からでましたが、これは、溶けたパーチクの心が究極の催眠を、というより、城のまわりにその時いた人々みんなの心に溶け込んで、そうなるように操っていたからなのです。かわりに自分の体の面倒をみる余裕がなくなるので、自分は抜け殻みたいになってしまうのですけれども。
町をはなれ、いちめん麦畑の街道をかなりきたところで、ヒリヒがいきなりエンリケに斬りつけました。
「いや〜ん!」
ハーコが泣き声をあげました。
「なんで?」
押し殺した声でデ・ロタールがききました。
「たたいただけだよ。きってないよ」
ネーコはヒリヒが、剣を抜きかけたときに柄がしらでエンリケに当て身をいれたのをちゃんと見ていたんです。
「ヨク見てたナ、そうサ、殺しちゃアいねえヨ。魔法使い斬るとたたられるからナ!のばしといて適当なトコに寝かしとく。そのあいだにオサラバってワケサ」
ヒリヒはのびたエンリケを担ぐと、「このまま進んでナ!ねえちゃんの服、あとからもってってやるよ」と言い残し、道をもどってゆきました。
「こんかいはあのひと、やけにおとなしいわねえ」
デ・ロタールはとまどいぎみ。だって、あの、「石切り」のヒリヒが、イファン国各地で、もう百人はあの世におくっているといわれるなさけしらずの盗賊が、かよわい(?)女の子たちと子供の一行を売り飛ばしもせずに、あずけた服まで返してくれるなんていったりすることは、やっぱりかなり変です。
「でも、この服じゃ、めだちすぎるものねえ」
たしかにお城の衛兵の服と、おとぎ役のすけすけのねまきは旅向きじゃあありません。
「なんか、はずかしいね。このかっこ」
ネーコも布地ごしに自分のすけた胸をみながら、いまさらみたいにのんきなことをいいだしました。
「や〜。ネーコ、はだかまるみえ!」
ハーコがからかいます。
「バカ!ハーコだってまるみえでしょ!」
ネーコが顔をまっかにしながら言い返したそのとき、パーチクがネーコの背中でのびをしました。
「ううん‥」
「あ、パーチク!」
ネーコがうれしそうな声をだしました。
パーチクはネーコの背中からきまりわるそうにすべりおりました。
「だいじょうぶ?気持ち悪くない?」
ネーコがパーチクを気づかいます。パーチクはちゃんとたっています。
「あ〜、いい気持ちだった」
えらくのんきなことを言っています。デ・ロタールはこれにもカチンときました。
「そりゃあ、ひとの心を思いどおりにあやつっていい気持ちでしょうよ!でもねえ!こっちはかってに頭のなかかき回されて、すごくきもちわるかったんだからね!」
ぷんぷん怒りだしました。パーチクはちょっととまどったような顔をしましたが、あやまることにしました。
「気持ち悪かったですか?ごめんなさい。でも、だれかが迷図の魔法をかけてて、もう一人が攻撃をかけてきたんで、できるだけ早くまわりがどうなってるかつかみたかったんですよ。それから、ぼく、自分のこころを溶かしてるあいだのこと、おぼえてないんで教えてくださいよ」
「あ、わたしが教えてあげる!」
ネーコが割ってはいりました。
「あのねえ、あの盗賊さんがまたでてきてね!カラスの首をきっちゃったの。それからわたしたち、変なおじさんを見つけて、そのおじさんに黒い本もらったの。それから盗賊さんが変なおじさんをたたいて、どっかに連れてっちゃったんだよ」
ものすごくかいつまんでありましたが、まあ要点はおさえてあるので、合格。パーチクはにっこりしました。
「じゃあ、お城からはぶじに逃げれたんだ。よかった!」
「うん、よかった!」
「むぎゅ。}
ネーコはまたまたパーチクをだきしめました。
「ほんとに覚えてないの?」
デ・ロタールはまだ疑いの目でパーチクを見ています。人にいいように操られたことが彼女のほこりをかなり傷つけたんです。
「心を溶かすと言うことは、そのあいだずっと、ぼくの心が本当になにもかも、そのう、水みたいになってて、そこらじゅうにしみこんでくのはわかるんですが、あとは全然おぼえてないんです。でも、心を溶かす前にやりたかったことはとりあえずやっちゃうみたいですね」
パーチクは解説しました。かれはあえてふれませんでしたが、「心を溶か」している術者にその間の記憶がないことは、心を溶かせる者たちのあいだでは常識なのです。溶かしているあいだは意識がないのとおなじなので、術者の身がすごく危険なことも常識です。
「もういいよそんなこと。ホラ、そこの道のわきでちょっとおやすみしよ!」
ネーコはもうこの寝間着で歩くことがとっても恥ずかしくなってしまったので、おやすみを提案しました。
「じゃあ休憩にする?」
デ・ロタールももうこのきらびやかな衛兵の服は気になって気になってしかたがなかったので、ヒリヒが正直においついてくれることにすこしだけ期待したのでした。
お城の料理番見習いの大将は、小僧が豚にえさをやりにいったまま戻らないのに腹を立て、ちょっとやさしくすりゃこれだ!こりゃあ、いっちょう、こっぴどくぶん殴ってやろうと意気込んで豚小屋へ行ってみると、小僧はすっぱだかで豚といっしょに豚のえさを食べていたのでびっくり仰天!あわてて料理番頭に知らせて戻ってきました。
「みてくださいよ!ホラホラ!やつめ、頭が変になっちまったんですぜ!見てくださいよあれ!」
料理番頭がしわしわの目をしかめてみると、確かに新入りの小僧が豚といっしょにえさに顔を突っ込んでいます。
ぶうぶう。
「ううん、怠けたくって豚のえさ喰うなんてのは、まじめにやるより根性がいるなあ。やっぱどっかこわれたかな?こりゃ死ぬほどブン殴っても直らんかのう」
料理番頭が頭をひねったそのとき。
ぶたパーチクの輪郭が崩れて、地面に流れたようにみえました。
「??!」
料理番頭と見習いの大将が目をこすってみなおすと、もうパーチクの姿は豚になってしまったのでした。
「豚になっちまった!」
「魔法だ!魔法使いにだまされたんだ!」
「小僧は?」
「さらわれて、いまごろ煮られてるかもしれねえ」
「ひええ!おっかねえ!」
こうして見習いの小僧がなにかとっても悪いものにさらわれたというはなしが尾ひれをつけてお城に広まったのでした。
そんなわけで、売り付けた男の子と女の子たちがいちどきに消えてしまったので、彼らを売りつけたあの古チュウリンの評判はがた落ち。お城へ出入りできなくなってしまったということです。
お話をネーコたちにもどしましょう。ネーコたちは道からはずれて適当な空き地をみつけると、思い思いのかっこうにこしかけながら、そういえばお金も食べ物も持ってないんだねえなんてことに気がついて、ますます歩きだす気がなくなっていました。
「パーチク、おなかへった!ハーコ腹ぺこ!」
ハーコがぐずりはじめました。さっき豪華な昼ごはんを食べたばかりなのに…パーチクはハーコの頭をなでながらあやまりました。
「ごめん、もうちょっとまってね!ぼく、食べ物がはいったポシェットをなくしちゃった」
パーチクの腰についていた年季の入ったポシェットは、チュウリンにとりあげられて、そういえば、ヒリヒにもいらないっていわれてましたね…
「いろいろ便利なものをいれてたのに、ちょっとざんねんだな…」
パーチクは本気でそう思っているのかどうかわからないような調子でそういうと、まわりの草をかき分けはじめました。ハーコはおもしろがっていっしょにかがんでたずねます。
「食べれる草、さがしてるか?」
おもしろそうだったので、ネーコもいっしょにかがんでみました。
「わたしにもたべれるの?」
デ・ロタールも興味をもったようです。だまってはいるけれどおもしろそうな顔で、パーチクの肩ごしにのぞきこみました。
パーチクは草のなかから、ねっこの赤い、ちょっと太いくきの草をひっこぬきました。
「あ、それ!甘いのよね!」
デ・ロタールの顔が輝きました。彼女も小さいときによくこの草をしゃぶったことがあったので。
パーチクは草のねっこからよく土を落としてから皮をむきました。バナナみたいに。
「はい、あーん」
ハーコは口をあけました。ちょっと寄り目。
「あ〜ん、むむむ。ちゅうちゅう」
草を吸いはじめました。
「しばらくこれでがまんしてね。後で必ずちゃんとしたごはんあげるから、ね」
「ちゅうちゅう」
ハーコはまんぞくげににっこりしました。契約を確かめたかっただけみたいです。
ネーコもおなじ草をみつけて、同じように皮をむいてくわえてからしゃぶってみました。ちゅうちゅう。
口の中に、甘い、それから少しすっぱい味がひろがりました。
「なつかしい味だね」
ネーコはこんなもの、生まれて初めて食べたのに、なんでかとってもなつかしかったんです。パーチクといっしょに食べたことがある気がしたんです。
「ネーコもこういうの食べるの?」
デ・ロタールは、あぶなく「草を食べる猫は初めて見るわ」といいそうになったのですが、「ああ、半分人間なのよね、きっと」と、あわててなっとくしました。うっかり変なことをいって、またネーコが泣きだしたら大変です。ネーコの泣きかたは、いたいたしいので見るのがつらいのです。
「パーチクといっしょに、森の中で食べたよ。わたしがペタの町の道場に修行にいくって決めて、パーチクの村をでてくっていう前の日。二人で森の中で、ちゅうちゅうって。パーチクがこの草をわたしにとってくれて、自分でも一本とって、おいしいよって、ちゅうちゅうしたからわたしもまねした。おいしかった。二人でにっこりして、ちゅうちゅうした。それから、…」
パーチクはすごくあわてたようすで、さっとネーコの口をふさぎました。
「あはは、ネーコ!なにをいいだすのかなあ?この子は!夢みてんのかな?」
ネーコは口をふさぐパーチクの手にはかまわず口をひらきました。
がりっ。
「いでででで!」
「きゃははは!パーチク、かまれたかまれた!」
「もう!なにをやってんだか!」
ハーコはおおよろこび、デ・ロタールはあきれ顔です。パーチクはネーコに歯形をつけられた手をふうふう吹いています。
「ちゅうした!あの時パーチクとちゅうした!」
「あ、あれは、ふたりともまだ子供で…!な!なんでネーコがそんなこと知って…!」
「でもおぼえてるもん。楽しい想い出。パーチク、なんで隠したがるの?」
「そうよ、ネーコの中のフェリシアが楽しいっていってるのに、男らしくないわ。わたしも聞きたい!」
「パーチクキスの味!はなせ!」
パーチクはちょっといじわるな眼をしました。
「いいの?フェリシア?」
ネーコにむかってあえてフェリシアって呼んだんです。するとネーコは急に、パーチクにキスの話をされることが、とっても怖くなりました。目をみはり、ゆっくり首を横にふりました。
「わたし、ネーコだよ!フェリシアじゃないよ!パーチク、その目つきいや!」
「うそだ!きみ、やっぱりほんとはフェリシアなんだろ!?やっぱりきみはぼくを…!」
「フェリシアじゃないったら!パーチクのバカ!」
あらら、ほんとのケンカになりそう!ハーコがばたばた割って入ります。
「ごめん、パーチク!ハーコからかいすぎた!ネーコ思いでいっただけ、頭の中に浮かんだいっただけ!だからゆるせ!ネーコ、思いでは胸にしまえ!ケンカはハーコいじめることなる!」
パーチクは顔をまっかにして、かたで息をしています。
ネーコもいつになくけわしい顔。プンと、むこうをむいてしまいました。
「あ〜あ、やっちゃった」
デ・ロタールはさっきまでの不きげんはどこへやら、なんだか、おもしろがっているみたいな調子で二人をながめています。この中で一番必死なのはハーコでした。
「ふたり、ケンカやめる!仲良し一番!」
「だって…ちゅうしたもん…思いだしたんだもん…」
ネーコの声はふるえてます。
「そうやってぼくをいじめればいいさ…あのキスのせいで….なまじっかあの想い出があったから…あんな…思いを…」
パーチクは下をむいて、こぶしをにぎりしめ、肩をふるわせました。
「泣くな、パーチク、ハーコおまえのもの。やなことわすれろ」
ハーコがガサガサつばさをひろげて、パーチクの頭をつつみこみます。デ・ロタールはあっけにとられています。だって、あの、彼女が見たこともないような変な術を知ってる、自分では九十年も生きてるっていってたパーチクが、いまはただの子供みたいにぐずぐず泣きじゃくってるんです。はたから見たらきょうだいげんかで負けた弟みたい。
「いじめてないもん…おもいだしたんだもん…」
こっちではネーコが泣きだしそうです。デ・ロタールはネーコをなぐさめる役を引き受けました。彼女のやわらかな髪をなでながら、低い声で、さとすように。
「ねえ、ネーコ、きいて。ほんとのことをいうのは、ちっとも悪いことじゃないと思うの。でもね、思ってても、知っていても、ほかの人の前では言わないほうがいいこともあるのよ。たとえば、その人と、ふたりだけの秘密って約束をしたこととか、ほかの人に知られると、その人が恥ずかしい思いをしなきゃいけないときとか、相手のことを考えてあげてから話すようにしなきゃね。あなたのちゅう、パーチクとふたりだけの秘密の約束だったのじゃなくて?」
ネーコははっとしました。
「あ、…いけない…ふたりだけの…そうだった…」
そのまま気を失ってしまいました。
…
木々の、いくえにも折りかさなった葉の間からこぼれた、たくさんの光の筋が落葉の上を照らしています。森の中で。なつかしい森の中で。
パーチクが、土でガサガサになったほっぺたを上着でこすりながら、反対の手でしっかりと握ったトカゲをネーコの前に突きだしました。トカゲのウロコに囲まれた目が、ネーコの目と合います。よく見るとちょっと戸惑ってる、黒いかわいい目です。
「もう、こんなのへっちゃら。あのときはいきなりだったからびっくりしたんだもん」
パーチクはにやりとすると、トカゲを腰の袋におしこんで、ひもでその口をゆわえました。
「そうさ、騎士ってものはどんなことにもびっくりしちゃいけないんだよ。きみはド・ラ・ビエールの家にふさわしい剣士になるんだ!」
せっかちなものの言いかたはいっしょだけど、いつものパーチクとちがって、なんだかとってもたよりない感じ。話してる言葉は自信タップリなのに、その自信が中身のないうわっつらだけのようなのです。でも、ネーコはそれがとってもいい感じだと思いました。
「なんだかかわいい」
ネーコは思ったことを口にしてしまいました。でもパーチクは別の意味にとったようです。
「ね。よく見るとトカゲもかわいいもんだよ!」
「トカゲもかわいいね」
ネーコは調子を合わせるためににっこりしました。
そのにっこりを見たパーチク、きゅうにまっかになりました。そわそわしだして、急にしゃがむと足元の草のなかから、ねっこの赤い、ちょっと太いくきの草をひっこぬきました。あの甘い草を。
「きみの修業、きっとうまくいくよ。はい。これ」
「…」
「こうやって皮をむいて、ちゅって吸うんだ」
口の中に、甘い、それから少しすっぱい味がひろがりました。
「おいしいね」
にっこり笑いあってから、しばらく黙ってふたりは草をちゅうちゅう吸いました。
ネーコは、パーチクがすごくさみしそうな顔をしているのに気がつきました。子供みたいな…ああ、じっさい子供なんでしたね…
「元気ないね」
ネーコはパーチクの髪をなでました。
「パーチクもくればいいんだよ。ペタの町。モラレスもさそって。ほら、あなた、あの町の魔法使いにあこがれてるっていってたじゃない?あとからくればいいよ」
「でも!」
パーチクはネーコにむかってなにかいい返そうとしました。自信がないといいたいのか、お金がないといいたかったのか、情けない顔をして。
ネーコはそれをさえぎるようにパーチクを抱きしめました。あれれ、いまのネーコ、背の高さがパーチクとおなじだ!
「きょうのパーチク、いつもよりかわいい…」
ささやきかけるネーコに、パーチクは目を大きくみひらいて動けないまま。ネーコはその顔にキスしました。
「なりたかったら、とりあえず突き進んでみることだと思うの。わたしはそうする。あなただってそうすれば、きっとなんとかなるよ。やってみて、もしもだめでも、だめだってわかるからそれはそれでいいことなんだわ。おうち、出たいんでしょ?」
「…出たい…」
パーチクの家はとりわけ貧乏というわけではなかったのだけど、お父さんとお母さんの仲がとっても悪かったなんてことを、なぜかネーコは知っていました。そして、いまの自分がフェリシア、幼いフェリシアそのものであるということにも気付いていました。
「わたし、待ってるからね。きっときてね。それから…」
もう一度パーチクにキスしました。
「これはふたりだけの秘密だからね。約束よ」
うなづいたパーチクはさっきよりも明るい顔になっていました…
…
「オイ、目ェ、覚めたか?」
「…とうぞくさん…」
いつのまにかヒリヒがもどってきていました。
「ヨロイと、ホラ、食いモンだ」
いったのはヒリヒでしたが、からだを起こしたネーコの目の前に、横から赤黒い板切れのようなものを突きだしたのはパーチクでした。まだ怒っているみたい。目をそらせてます。あたりはもう、暗くなりかけていました。
ネーコはその板を受け取って、パーチクに「ありがと…」、おずおずと、「さっきはごめんなさい。…やくそくしてたなんて、おぼえてなかったの…」
「食べなよ、お腹空いたでしょ?」
「この板、食べれるの?」
「板じゃないよ。干し肉だ。ゆっくりゆっくりかんでごらん。こうやって、もぐもぐ…」
パークのまねをして干し肉を口に入れ、もぐもぐかみはじめました。干し肉は口の中で塩辛くほぐれて、舌の上にあまく香ばしく広がりました。
「おいしいね!」
おもわずパーチクにむかってにっこりしました。釣られてパーチクも思わずにっこりしそうになって、あわてて顔を引きつらせました。
「パーチク笑え!もうゆるせ!」
いつもの黄色い服を着たハーコが、パーチクのうしろ頭に頭突きを食らわせました。
「いてて、ゆ、ゆるすもなにも、ぼくはじめから怒ってないよ!」
「そうゆーことにしといてあげる」
これまたふだんの服装に戻ったデ・ロタールが、パーチクにとどめを刺しました。
知ってるよ!もう怒ってないの、わかるよ!ネーコは言葉にはださなかったけど、もうパーチクが怒ってないことなんか、とうにわかってたんです!にっこりしたときにね。
「サァ早く着替えナ、オレァその高級ネマキが欲しいのサ!」
ヒリヒがネーコの鼻先に皮のヨロイを突きつけてせかしたので、ネーコは寝間着をぬいではだかになりました。
「わあ!」
パーチクがおおあわてで彼女のからだを隠そうとしました。
「あんたも見なくていいのよ!」
デ・ロタールとハーコが急いでネーコとパーチクの間に割って入ります。ネーコはなんだか楽しくなってしまって、夕暮れの空気の香りを感じながら、にこにことなつかしいヨロイを着込みました。
「ネマキ、よこしナ!」
ヒリヒが突きだした手に脱いだ寝間着をわたすと、彼は二着の寝間着と近衛兵の服をくるくるとたたんで、でかいずた袋にいれました。
「こいつァオレが売っぱらうぜ。わざわざ助けだしてやった手間賃にしちゃア、チット安い気もするが…」
「なにいってるのよ!わたしを売ったお金も丸もうけしたんでしょ!」
ヒリヒはにやにやしながら、両手をあげてみせました。 袋を背負うとそのままくるりと背をむけて、歩きだしました。
「いっちゃうの?」
「さっきうまそうなネタをかぎつけてサ。そっちのほうがおまえらよりおいしそうなのサ」
それからネーコに、「あばヨ。耳の長いノ、今度はちゃりんと勝負しようナ!」
「そのときはきっともっとつよくなってるよ!」
ネーコはその後ろ姿に叫びました。
デ・ロタールも、あわてて言い忘れていたことを叫びました。
「信じてたわよ〜!来てくれるって!」
「あんた、長いこと寝てたのよ。心配したわ。死んだように眠ってるんだもの」
パーチクも心配そうにこっちを見ています。
「わたし、夢の中じゃ、フェリシアになるみたい」
「え?」
「わたし、夢の中で、森の中で昔のパーチクと、いまとおなじ大きさだけどたよりないパーチクと…あ…」
キスしたことは秘密だったっけ!
でもパーチクは今度は怒りもせずに、考え深げな目でネーコを見つめたまま。ぽつりと口を開きました。
「フェリシアが町へ出るときの?」
「…うん…」
「…眠ってるときは、怠惰になってるみたいだから、そういうこともあるかもなあ」
「夢の中のパーチク、とってもたよりなかったの。かわいいくらい」
「あのときは、ほんとに自信なくって、不安で、あせってて、悩んでたからなあ。でもあの時フェリシアが元気つけてくれたから…」
へんなふうに声の調子を崩して、パーチクはしゃべり続けることができなくなってしまいました。
「なんで…こんなことになっちゃったのかなあ…」
かすれた声。パーチクの顔はもう暗やみの中ではっきりと見えませんでしたが、ぬれているようです。
「あの時は、なんでもうまくいきそうな気持ちだったのに…」
やっぱり泣いているようです。見た目どおりの子供みたいに。
ネーコは夢の中で小さなフェリシアが小さなパーチクにいった言葉を思いだしました。いまのパーチクにもあの呪文が通じるかな?
パーチクを抱きよせて、やわらかな髪をなでるようにあおむかせます。かれのほっぺは、やっぱりびしょぬれ。そのほおをなでながら、せいいっぱい夢の中の自分のように話しかけました。
「わたしたち、いまできることって、とりあえず突き進んでみることだけだと思うの。いまはつらいけど、でも、きっとなんとかなるよ。やってみて、もしもだめでも、だめだってわかるし、そのときはべつの新しいことを考えられるからそれはそれでいいことなんだわ。あの時だって、そう思ったんでしょ?」
「…ひくっっ…ぐすっ…お…おもった…」
パーチクのひたいにちゅっ。
「パーチクがいまこうしてるのは、えーと、あの時のフェリシアとのなかよしを取りもどしたいからなんでしょ?じゃあそのなかよしの始まりからやり直せばいいと思うの。いま、あのときにそっくり!」
「ありがと…ネーコ…」
パーチクがネーコにしがみつく力が、すこしだけ強くなりました。
ネーコもかれのからだを抱きしめかえしてあげました。ネーコの呪文は成功したみたいです。
「あーあ、きょうはここで野宿ね…」
デ・ロタールがぽつりとハーコにつぶやくのが聞こえました。ハーコはちいさく「ぴゅるる」と口を鳴らしました。
…
「ぼく、眠っているときは夢を見ないんです。一回死んでからずっと」
もう次の日です。ほこりまみれの街道を、一行はとぼとぼ歩いています。
パーチクは先頭を歩きながらのんびりといいました。さっきデ・ロタールが「パーチクとネーコがいっしょに眠ってる間に夢で話したら?」ってきいたのに答えたんです。
「夢なんて覚えてる人はいないものじゃない?あんたも実は眠ってるときに彼女に会えてるのかもよ?」
「でも、覚えていないんじゃ、ぼくの心に平和はこないんですよね」
ゆうべあんなに泣いたことはけろっと忘れて、けさはもうあの、せっかちでどこか生意気なパーチクです。とちゅうでつんだ草を指でくるくる回しながらデ・ロタールにこたえます。
ネーコは心配です。カエルのゲクリン、ちゃんと見つかるかな?だれかが食べちゃったりしてないかな!?
「ねえパーチク!ゲクリン見つかるかな?」
「だいじょうぶ!あんなところでヒキガエルを見つけたって、だれもとりゃあしないさ!」
そう、まずはチュウリンにやられたときにどこかに行ってしまった「魂魄の書」を見つけなきゃ。
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