11. 星に注意!

  星に注意せよ!
  その声に注意せよ!
  過去からの声に!
 

 みじかく刈った白い髪、けわしいまゆの下から鋭くさす目、たくましい身体つき。賢者ヤールガーマス師は、賢者というより軍人のよう。戸口に立ったパーチクたちに、さびついた声で、見かけどおり軍人みたいに尋ねます。
 「ご用件は?」
 デ・ロタールはいつもの自信たっぷりな様子はどこへやら、あこがれの本、「星に注意!」を書いた本人を前にして、かちかちに緊張しています。でも、ヤールガーマス師をたずねようっていいだしたのは彼女なので、パーチクはしらん顔で頭の弱そうな子供のふりをきめこんで、ボケッと突っ立ったまま。彼女があたふたするのを楽しんでるみたい。
 「わ、わたしたちは、先生に、ほ、星の声についてお教えを受けたくて…あ、あの…あのご本を読んでて…」
 デ・ロタールは顔がまっか。口からでる言葉もしどろもどろです。でも、ヤールガーマス師は、彼女の「本を読んで…」という言葉でにっこりとうなずくと、「入りなさい」と、一同をその大きな石造りの家へとまねきいれたのでした。
 「おい、ばあさん!湯をな、お客さんだ!」
 腰の曲がったおばあさんが、客間らしい大きな部屋の、大きなテーブルまわりにかけたパーチクたちの前に、ひとつづつお湯の入ったコップとお菓子が入った皿を出しました。
 「はるばるイファン国からおいでになられたのか」
 ヤールガーマス師がたずねました。
 「はい。怠惰について、どうしても調べたいことがございまして」
 デ・ロタールが答えるのに、うなずきました。ネーコは目の前のお菓子が食べたいけれど、このふんいきでは食べてはいけないような気がして、いっしょうけんめいにがまんしています。でもハーコはそんなことにはおかまいなしに、お皿に顔をつけると、ポリポリ松の実やら割ってあるクルミやらを食べはじめました。
 「ああ、子供たち、かまわんよ、お食べ」
 パーチクたち、デ・ロタール以外の三人へ、子供にするようにお菓子をすすめてくれたので、ネーコもお菓子を食べることにしました。パーチクも子供らしく食べはじめました。
 「さて」
 ヤールガーマス師はまたもとの鋭い目にもどって、デ・ロタールに話しかけます。
 「あなたはわたしの本を読まれたそうだが、どこか面白かったかな?いや、おもいたって勢いで本は書いてみたものの、このあたりの研究者仲間のあいだでは、あまり評判がよくなくてなあ、あの本は」
 「いえいえ!あの本を悪く言う人は、星の声をちゃんと聞いたことがない人だと思います!なんにもわからなくなるくらいいっしょうけんめい聞いてると、星の声って、自分でも話せるような気がしてくるから、そのうちあれはだれかが試みて、ついには成功させる日がくると思ってたんです!それに、あの文体は、あのうつくしい言葉の流れは、星の声そのものではありませんか!おどろきました!あの本を悪くいう人は、きっとあの文章の美しさをねたんでるんだわ!」
 ヤールガーマス師は彼女の熱いことばにおもわずほほえみながら、両手を顔の前にかざして彼女を押さえるしぐさをしました。
 「いや、ありがとう!そんなに熱心に読んでもらえたとは!わたしもあの本を書いたときは、必ず星の言葉をもってこの世の神秘を語り、さらなる神秘と怠惰の不思議に踏み込むことができるという情熱にうかされていたのだ。なんでもできると思っていた!」
 いったん口をつぐむと、天井板を見上げました。
 「しかしな、いろいろ考え、試してみたものの、やはり、人間の口は星の声を出すようにはできていないし、文章であらわすこともできん。みんなが批判する通り、わたしは事の後先を考えない軽はずみな夢想家だったようだ」
 「そう。星の声が非言語だということは、だれでも知っていることです。でも、わたしたちが知覚できるのであれば、…」
 なにやら二人の話がむつかしいことになってきたので、ネーコはたいくつしてきました。パーチクの頭をつついてひそひそ話しかけます。
 「ひげんごってなに?ザレブさんもいってたけど」
 パーチクもひそひそこたえました。
 「ふつうの魔法使いの呪文はリズムをもった言葉でしょ?でも、この世のものすべてを人間の言葉であやつるにはちょっとムリがあるのさ。たとえば土とか。そういったものをあやつる場合は、わざわざ言葉にする必要はなくて、純粋なリズム、言葉をふくまない…そう、きげんのいいときにやる鼻歌みたいなかたちの呪文を使ったほうがはなしが早いのさ」
 「あ〜、それはそうだね。しゃべるより思うだけのほうが早いもんね。あたまいいね!」
 「ははは、きみは魔法についてくわしいようだね」
 パーチクたちの声が耳に入ったのでしょう、ヤールガーマス師はネーコたちに話しかけました。
 「ところで、そちらのおじょうさんはなかなかに剣術をされるとみた」
 すごい!なんでわかるの?ネーコはびっくりしました。といっても、「なかなかに」というもちあげた部分については意味がわかってなかったみたいですけど。
 「あなたの持つ初心者の剣は、おとなりの国のファンヨーペ殿が免許皆伝の際にくだされるもの。あの道場での免許皆伝は手だれのしるし。いや、かくいうこのわたしも若いころははるばる国境を越えてあの道場までおしかけていっては、そうとうに鍛えられたものです! 初心者の剣をいただくまでの苦労は、いまでこそなつかしい想い出ですが、やっているときは苦しさに何度も泣きました。逃げ出さなかったのはひとえに、いまは亡き姉の励ましがあってこそでした。あなたにはそうした苦労など必要がない才能を感じます」
 難しい言葉だったけど、ほめられてることはわかったのでネーコはてれくさくなってまっかになりました。
 「あ、あの、わたしだって、苦労したよ。からだじゅう痛くて眠れないこともあったよ。でも楽しかったの。おじさんも剣術楽しいでしょ?」
 ヤールガーマス師は、それまでのようすからは信じられないくらい顔をくしゃくしゃにして微笑みました。はじめてその歳にふさわしいおじいさんの顔になりました。 
 「ええ!あなたがたは信じないかもしれんが、いまも毎朝剣を千回ほど振っています。旅の人が剣術をするときくと、怪我するかもしれんのに、宿まで押しかけてつい一手お願いしてしまったり」
 軽く素振りのまねをして、「よろしかったら一手、いかが?」
 ネーコはわくわくしました。剣術のけいこは久しぶりです。おもいきりうなずきました。
 「ぜひ、おねがいします!」
 デ・ロタールは、きつねにつままれたような顔で、この突然のなりゆきを受けとめることに、ちょっと時間がいったようです。


 国がちがうと、けいこの道具もすこしちがうみたいです。ファン・ヨーペ殿の道場では、けいこのときに剣代わりに使うのは堅くてじょうぶな木の棒でした。当たる前にとめないと、相手が大けがしちゃいます。この国のけいこに剣代わりに使うのは、なんと、牛の革をかたく巻きつけて干しかためた棒です。太くまいてあるのと、油をしみこませているので思ったよりも重さがあるけど、木の棒のように人の頭を砕いてしまうようなことはありません。ネーコはこの革の棒を手にとって、ふってみました。
 びゅん!
 空気が鳴りました。
 「やはり、なかなかに使われるようだ」
 ヤールガーマス師も同じような革の棒を一振り。
 ぶんっ!
 大きなうなり。目つきが少し、さっきまでとちがってきたようです。
 「おてやわらかに」
 しずかにいいました。
 「…」
 ネーコはすごくとまどっています。ヤールガーマス師は、すきだらけなんです。
 「頭に、手、脇、足…どこでもたたけそう…いいのかな…」
 そんなネーコの心をみすかしたように、ヤールガーマス師はそのままの構えで、じりじりとネーコにせまってきました。
 「革の棒だし、ぶってもけがしないよね…」
 ネーコは挑戦者の立場なので、先に打ってでないとおぎょうぎ知らずだということになってしまうので、思いきって打ってでることにしました。挑戦者に打たれてしまうのは、打たれるほうが悪いと教わっていたんです。
 ビュン!
 ネーコの振り下ろした棒の先を、ヤールガーマス師はまず自分の棒から左手をはなして、ネーコが狙った手はかわし、ネーコが勢いに乗ってそのままのばしてきた棒は腰から上を少し後ろにそらせることでかろうじてかわしながら、その棒の上からかぶせるようにネーコの頭めがけて自分の棒をふりおろしましたが、ネーコはそのまま前に走ってかれの脇をぬけたので、師はそこで棒をふりおろすのをやめて、後ろをふりかえりながら棒をかまえ直しました。
 ふたりは位置をいれかえたまま再びかまえあい、ネーコはヤールガーマス師の思ったよりすばやい動きに、とってもわくわくしました。猫が、動くえものにであったときの気持ちなんです。おしかったな、もう一歩速かったら当たってたのに!
 「よおおし!」
 もう一回手を打とう、そう思ったそのとき。
 「また手ですか?」
 「!!!」 
ネーコはビクッとしました。ヤールガーマス師の声は、ぴったりネーコが踏み出そうとするリズムに乗っていたので、うっかり調子が狂ってしまったのです。
 「また手?」
 「う〜!」
 ネーコののどからうなりがもれます。二回連続で出足をじゃまされたので。
 「足?」
 ヤールガーマス師は片方の眉を上げたまま、身体はぜんぜん動かさずにネーコの動きをぴたりと当てます。動きだそうと思ったとたんに当てられるので、ネーコはかなりあわてています。
 「動けなくなりましたか、ではこちらから行きますぞ!」
 ネーコの目はお皿みたいに大きく広がってしまっています。本当に動きかたがわからなくなってしまったのです。
 「頭」
 頭にくる!と思ってとっさに自分の棒を振ったのに、それは空を切っただけ。後ろに下がってかわそうと思ったのに、ヤールガーマス師がゆっくりと振り下ろした棒の先は、ネーコの頭の上ですっと消えて…
 バシ!
 「あ。ネーコ!」
 パーチクが思わず叫んだときには、ネーコの目の前にはちらちらと細かい星がまたたいて…
 「だいじょうぶですか!?これはすまなかった!」
 ヤールガーマス師の声が聞こえます。ネーコの頭はパーチクのひざの上で、まだくらくらしています。
 「おじさん…すごく強いんだね!…」
 負けてしまったけど、なんだかすごくいいきもちです。なにか、このままもう何回かこの人に負け続けたら、もう一歩新しいところにゆけるような、なにかあたらしい感じ。気分のいいことが待ってる予感。
 「もうしわけない、おじょうさんが思いのほか使われるので、うれしくて、つい本気が出てしまいました。だいじょうぶですか?」
 ヤールガーマス師がすまなそうな顔でのぞきこんできました。
  「だいじょうぶ。びっくりしちゃったの。おじさんの棒が、目の前で消えちゃったから…」
 パーチクのひざから起き上がり、「あれ、どうやったの?ぼうがのびるの」
 ヤールガーマス師はうれしそうに顔をくしゃくしゃにしてネーコの手を取って起こしてあげながらたずねました。
 「おお、伸びたのがわかりましたか?」
 「うん、でね、のびる前に、ちょっと光った」
 「おお、光りましたか!?光ったのが見えましたか!?」
 「そりゃ、たたかれたときに目から出‥いて!」
 またパーチクがちゃちゃをいれかけて、ネーコにたたかれました。ネーコの顔に、いつもよりまじめなしるしを感じたので、パーチクはちょっとこまったみたい。いつもの生意気さはどこへやら、すごすごひきさがります。
 「光ったのが見えたの。まるで…そう、まるで星の光みたいな、一瞬なのにずっとつづくみたいな気がする光」
 ヤールガーマス師はとてもまじめな顔つきになりました。
 「星の光が見えたのだ。あなたはわたしの星の光を見たのだ」
 「星の光?」
 デ・ロタールが身をのりだしました。
 ヤールガーマス師は棒をもちなおし、だれもいないほうにかまえるしぐさをして、そのまま話を始めました。
 「星の声を聞きながら、毎晩、星の声を聞きながら、どうしたらもっと強くなれるか、どうしたら負けない剣を身につけることができるかをひたすら考えていた時期がありました。そのころは道場で、兄弟弟子たちとともに切磋琢磨しながらの毎日でしたから、昼間のけいこを思いだしながら、晩は屋根の上であおのけになって、星をながめていたのです。そうしたけいこを十年も続けたころからでしょうか、けいこでする試合に、不思議と負けなくなってきました。わたしの相手をつとめた兄弟子たちが、わたしの剣から光が見えるといいはじめました。ファン・ヨーペ殿は、わたしの剣を見ると、わたしに初心者の剣をくださいました。おまえの呼吸はあたらしい剣を産みだしたようだとおっしゃられて。星の光という名をいただきました」
 デ・ロタールは目を輝かせました。
 「それ、星の声で話してるのとおなじじゃありませんか!剣をとおして!」
 ヤールガーマス師は、デ・ロタールの方をむき、さみしそうな顔をしました。棒をだらりとさげ、彼女にむかって言いました。
 「わたしの剣からは星の声が出るのかもしれないが、剣でつたえることができる言葉は、ただひとつしかないのです。いま、この娘さんを打ち据えたように、たいへんにさみしい、無粋な、「服従せよ」のひとことのみ。この言葉は、かなしいことに、星の声の素晴らしさとは正反対の意味を持つのです。安らぎとは正反対の意味を!怠惰ではない意味を!」
 デ・ロタールはネーコの手から棒をもらい、だれもいないほうにむかってひと振りしました。彼女の素振りも、どうしてなかなかにみえます。
 「ヤールガーマス先生、わたしも先生の星の光を受けてみたくあります。そうして、その星の声が、ほんとうに「服従せよ」といっているのか確かめたいんです。星の声にそんな無粋な表現があるのかどうか、確かめてみたくなりました。あなたの心から、そのような声が出るなんて…」
 ヤールガーマス師に棒の先をむけて、「信じたくない!」
 ヤールガーマス師は、黙ってデ・ロタールにむきなおると、棒を構えました。ネーコはちょっと不思議な気持ちで、このふたりの太刀合いをながめています。
 「ねえパーチク、「ふくじゅうせよ」って、どんな意味?」
 「そうねえ、さからうな、って意味かな?なにも聞かずにいうことを聞け、って意味かな?」
 「ふうん、ふうん、ふうん」
 「なんだよネーコ、そのいいかた、ぼくの説明、なっとくしてないでしょ?」
 「だって、おじさんの剣、ちっともそんな感じじゃなかったよ…」
 「じゃあ、どんな感じ?」
 きかれてみて、ネーコもこまってしまいました。さからうなっていう感じっていっても、絶対にいうことをきけっていうのと、楽にしてそのままでいなさいっていうのでは、感じがちがってしまいます。
 「ううん、ア!」
 ネーコがはっとしてみつめた先を追ったパーチクの目に、棒をもったデ・ロタールとヤールガーマス師が、いままさに打ちあおうとする瞬間が写りました。
 ヤールガーマス師はさっきと同じかまえ、デ・ロタールは片手で棒を前に突きだすかまえです。
 「ネーコみたくはうごけないにしても、すこしは自信あるんだからね!」
 デ・ロタールは心の中ではりきって、ヤールガーマス師に勝てないのは当たり前としても、いままでに習い覚えた剣術のすべてをみせようと、ヤールガーマス師に少しでもみとめられようと、懸命に前にふみだしました。棒を前に構えて。彼女の得意な剣のサイズは、もっと短かったのですけれども。
 「いやあああっ!」
 これはいやがっているわけではなく、デ・ロタールが思いきってヤールガーマス師のふところに切りこむ必死のかけごえ。
 そのまま棒を突き込み、ヤールガーマス師が引くのにあわせて、その前脚に自分の足を絡めて倒れこもうとしました。倒れこみながら自分のからだの重みをつかって相手の胴を刺し通すのが、短剣の使い手の必殺技なのです。
 しかし、さすがにヤールガーマス師にこの手は通用しませんでした。デ・ロタールに足をからませておいて、後ろに倒れながらも冷静に彼女の脳天に鋭い一撃を浴びせました。彼女が棒を彼に当てる前に。
 


 あまい、まっしろな空白。
 温かい、しなやかななにかに抱かれて、デ・ロタールは身体じゅうに幸せを感じています。両手のあいだに、すばらしいなにかを抱きしめて、真っ白ななかで、からだじゅうにここちよい温かさを感じながら。
 「ううん、しろい、しろいよう。わたし、このままとけていく…」


 「すまなかった、これ、しっかり!」
 「あらら、すっかり怠惰だ!」
 「いやあ!起きて!起きてよロタりん!」


 「先生の剣は、なんというか、そう、安らぎを感じさせて、決して服従せよとはいってませんでした」
 わたされたぬれた布で顔をふきながら、デ・ロタールは失神した瞬間の記憶をかたります。
 「ネーコのいうとおり、先生の剣は、のびる前にちょっと光りました。そう、まるで星の声みたいな、一瞬なのにずっとつづくみたいな気がする光」
 ヤールガーマス師は、興味ぶかげに、しかしおそるそる問いました。
 「で、その声はなんと?いや、星の声を聞くことのできる人に剣を浴びせたのははじめてで…むやみに仲間の研究者をたたくわけにもゆかぬものでな…」
 「ううん…なんというか…一度では…なんというか…大きくくくれば服従せよというのもまちがってはいませんけれど…でも、そう、逆らうな、ではなく、身をまかせよ、にちかいかと…」
 「そうそう、そのまま、たたかれちゃいなって。あたまだしなって」
 「あら、そこまではいってなかったわ!動くことは無意味だと、あ!そう!無意味だって!星の声の基本は怠惰なんだから、当然だわ!」
 ネーコが口をはさんだことで、デ・ロタールには突然はっきりとヤールガーマス師の剣からでた光の意味がみえました。
 「先生、そうです!怠惰なんです!怠惰の剣とでもいうべきかも!」
 「ううむ、怠け者の剣のような響きだが、いわれてみればそうかもしれない」
 ネーコはすっかりこの、ヤールガーマス師のふしぎな技に夢中になってしまいました。
 「せんせい!」
 おもわずおおきな声でさけんだので、みんながびっくりしました。
 「わたしもこの技、つかいたいです!どうか、おしえてください!」
 ヤールガーマス師は、むつかしい顔をして、ネーコの顔を見つめてから、ネーコにいいました。
 「あなたはさっき、わたしの剣に、一瞬なのに、ずっとつづくみたいな気がする光をみたといいました。あなたは、いままでに、声を聞くために星をながめたことがあるようだ。しかも、さっき、そちらのきみ(パーチク)にかたっていたことは、まさに非言語魔法。この二つをつかったのが、わたしの技。あなたには、天から授かった才能があるのかもしれない」
 そこで横を向くと、だれもいないほうへ棒を振りおろして、「しかし、わたしは、いままで人に剣をおしえる立場にたったことがない。だから…」
 ネーコはどきどきしながら、ヤールガーマス師のことばの続きを待ちました。
 「だから、わたしには、教えるというよりも、あなたと毎日試合ってあげることくらいしかできませんが、それでよいのなら、しばらくこの家に住むといい」
 ネーコはパッと顔を輝かせました。やったあ!
 「あ、ありがとうございます!よろしくおねがいします!」
 「あ、あの…」
 「もちろん、そのあいだ、きみたちもここに住むがいい。部屋はある。ばあさんに世話させよう」
 ものほしげに口をひらこうとしたデ・ロタールとパーチクにもお許しがでました。
 「ありがとうございます!わたし、おそうじもおせんたくもします!」
 ネーコが感心な申し出をしたので、デ・ロタールもあわてててうなづきました。
 パーチクの頭もおさえて、ムリヤリうなづかせて…
 「おねがいします。わたしにも…もっとお教えを!」
 ヤールガーマス師は、まじめな顔でいいました。
 「よしよし、ふたりとも、わたしから、技や知識を、もてるだけもってゆくがいい。体も心も永遠ではないが、知識はこうして生き延びてゆくのですからね。わたしの知識が、こうして生き延びたがっているとは!」
 パーチクは、そのことばにうなづいていいのかちがうというべきなのか、なんともいえない変な気持ちになりましたけれど、「闇の書」を腰をすえて読む時間ができたから、いいか…

 ネーコは、棒をいつもどおりにかまえました。あれから、くる日もくる日も、ヤールガーマス師にたたかれ続け、掃除、洗濯のあと、またたたかれたあと屋根の上で星を見ることの繰り返しで、すでにひと月ほどたっています。
 「かまえは関係ないんだよね、きっと」
 ゆうべ、ネーコは頭の中が剣のことでいっぱいになって、ちっとも眠れませんでした。で、ようやく、うとうとっとしたときに、夢を見たんです。
 ネーコがいつもどおり、剣をかまえてヤールガーマス師に撃ちかかろうとすると、師の姿はゆがんで、ネーコが猫だったときの、しっぽの形になってしまいました。
 「あ、しっぽ!」
 ネーコはおもわずうれしくなって、剣のことはわすれてしっぽにだきつこうとしました。手でもってつかまえて、かみつこうとしたのに、しっぽはするりと手からぬけだして、さっきと同じところに。
 「あれれ…」
 しっぽをつかまえようと同じところをぐるぐる回っていたら、足がもつれて…
 「あっ」
目がさめました。
 わき腹の下にパーチクがねむっています。どうやら、ネーコがねがえりをうって、パーチクを下じきにしたみたいです。そのまま身体が「く」の字になっていたので、首が頭をささえきれなくて、カックンてなって、あんな夢を見たのでしょう。
 「うう、へんな夢…」
 まだ眠っているパーチクの頭をそっとおしやってから、起きあがらずにあおのけのままで天井を見つめました。石壁にうがたれたあかり採りからさし込んだ朝の赤い光が、天井をささえる梁をなでています。遠くで小鳥が寝ぼけた声をはりあげ、それに寝ぼけたハーコが寝ぼけた声でこたえました。
 「しっぽって、つかまえるコツがあったっけ…」
 子猫だったころをおもいだしました。自分のしっぽをつかまえたくて、でも、つかまえるコツがわかったらあきちゃって…
 「あ、ころがるんだった…」
 追いかけたりせずに、あおのけにひっくりかえって、両足の間から… 
 そこまでおもいだしたら、なんだか恥ずかしくなってしまったので、天井をぼおっと見ながら、ヤールガーマス師の動きをおもいだそうとしました。
 「うごきだけなら、ぜんぜんふつうなんだよね…」
 ヤールガーマス師は、べつに、飛んだりはねたりはしませんでした。ただ、ネーコの動こうとしたさきは全部ちょっと動くだけでとめてしまう。なんでかな?
 「さからうな…か…」
 そういえば、さからうなっていうのは、だれのことばなのでしょう。ヤールガーマス師のことばではない気がします。なににさからわないことなのかな?
 そんなことを考えながら、ぼおっと朝ご飯を食べて、そんなことをかんがえながら、いつもと同じにヤールガーマス師と打ちあおうとしていたんです。いつもよりも、むしろぼんやりしてる感じさえします。
 「…うしました?」
 は?
 ヤールガーマス師がツツッと足をこちらへすべらせてきました。
 「今日は、待ちですか?」
 いえ!いいえ!
 いけない!
 ヤールガーマス師の棒が、ネーコの頭めがけて鋭くふってくるのを、どうよけたのか、ネーコはいまでも思い出せません。でも、それが、ネーコがはじめて師の剣をかわすことができた時だったのです。
 つぎのしゅんかん、ネーコの手から棒がはじき飛ばされていて、ネーコは結局したたかに頭をはたかれて、目から火花を出していました。
 「フギャッ」
 ネコみたいな悲鳴。
 「おお、いまの技はあぶなかった。つい本気で返してしまった。もうしわけない、ネーコどの」
 しりもちをついて頭のこぶをさするネーコに、肩で荒い息をしながらヤールガーマス師がちかよりました。
 「うう…」
 棒をひろってネーコにわたしながら、「いいかたちがでてきましたね、やはりあなたはスジがいい」
 その日は師の打ち込みをかわせたのはその一回だけでしたが、つぎの日からだんだんとヤールガーマス師によゆうがなくなってきました。ネーコはネーコで、だんだん師のねらいが感じとれるようになってきて、ますます毎日のけいこが楽しくなってきたのです。

 「ねえ、パーチク…なんでこの本光る?闇の本なのにひらくと光る?」
 「これは、ぼくたちがふだん、「ひかり」って呼んでるやつじゃない。光ってるように見えるだけ。ぼくやハーコみたいに闇の言葉がわかる者に光の形ではなしかけてるんだ。光じゃなくて、言葉が見えてるんだよ。ハーコの頭にもこの言葉がながれこんでるはず」
 まっくらな納屋の中で、パーチクとハーコは頭をつきあわせて「闇の書」をのぞいています。ぼくたちがみても、二人のまわりはまっくらで、さっきハーコがいってた光なんてぜんぜん見えないでしょう。
 「ことば?ことば…ハーコわからない…」
 ハーコがとまどった声を出しました。ハーコの頭のなかに、いままで感じたことがない、へんな風が吹く感じはあるんですけれど…
 「あたまのなかに、風が吹く感じがするでしょ?それがいま開いてるページに書いてあることばなんだ。つぎのページじゃあ、ほら、土のにおい!これは土の秘密!土と土の母と、うごめく子供たちの秘密のことば!」
 「ほんとに土のにおい!これ、パーチクじぶんのものにできるか!すごいすごい!」
 「そう、これはぼくのものに。…でも…」
 「でも?」
 「これだけめくっても、ぼくがほしいことはちっとも書いちゃいない。たったひとつ、たったひとつなのに!」
 ハーコは頭をますますパーチクの頭にくっつけるようにして、いっしょうけんめいパーチクのために、かれのもとめることばを捜そうとしました。感じようとしました。
 「たましいのにおい、しない…」
 パーチクはハーコの頭をなでてあげました。
 「のってないわけでもないんだと思うんだ。もっと深く、もっと細かく感じなきゃいけないと思うんだ。もっと鼻をとぎすまさなきゃ、犬とか豚みたいに!」
 ハーコは本からでるすべての気配を感じようとしました。息を吸い込みました。もっともっと吸い込みました。頭がくらくらしてきました。
 「うふふ、吸い込むだけじゃダメだよ。目と、耳と、はだと、からだ全部で感じ取らなきゃ。なめくじみたいに!」
 「パーチクすごいな、ハーコナメクジむり。あんないっぱいツノない」
 パーチクは本から目をはなさずに、ハーコの頭をなでました。しばらくすると、ハーコはパーチクの肩に頭をもたせかけて眠ってしまいました。
 「眠り…怠惰…死人…」
 パーチクは鼻歌のようにつぶやきながら、本をめくっていきました。



 デ・ロタールといえば、ヤールガーマス師の書斎にこもってはたくさんの本をよみあさる毎日。彼女も家にかなりたくさんの本をもっていましたが、ここにも読んだことのない本はたくさんありました。わからないところはヤールガーマス師にたずねることができるから、それも楽しいのです。
 「パーチク、ハーコとあなぐらに入ってばっか。わたしとあってもあんまりお話しないんだよ!」
 ネーコはデ・ロタールにぐちをいいました。剣術ほどにはふたりはうまくいってないのかな?
 「わたしたちがいるとあの本は開かないから仕方ないけど、ずっとこもってばかりっていうのは不健康ね。っていうか、あんたたち、うまくいってないの?」
 「うまくいくって?」
 「なかよしじゃないの?ってこと。ふつう、なかよしの男の子と女の子って、いっつもいっしょにいるものよ。たとえば、いまのパーチクとハーコみたいに」
 ここまでいってから、デ・ロタールはむしょうにネーコをからかいたくなりました。きっと、自分も恋してるから、うきうきしすぎていたのでしょう。
 「あんまりのんきしてると、パーチク、ハーコと恋人になっちゃうかもよ!」
 ネーコは目をまんまるにして、息を吸いこんだまま肩をブルブルとふるわせました。それを見たデ・ロタールはしまったと思いましたがあとの祭り。あ〜!泣いちゃう!
 でもネーコは泣きませんでした。かわりに納屋まですごい早さで走っていったのです。
 「そんなこと、ないよね!ハーコとは、けーやくしてるだけだもんね!」
 納屋の扉をひらくと、まっ暗な中でパーチクの肩に頭をあずけたハーコのうしろすがたが目に飛び込んできました。光が入ったので、「闇の書」はすごいいきおいで閉じてしまいました。
 「パ、パーチク、パーチク、あの、あの、…」
 パーチクは、ハーコの頭をひざの上に抱き寄せながらネーコをふりむきました。
 「どうしたの?」
 「あのね、あのね、…恋人じゃないよね!恋人じゃないよね!」
 この質問は、ネーコに落ち度がありました。こういうときは、ちゃんと、「だれが」「だれと」恋人じゃないってことを「確かめたい」っていわなきゃいけないのに、ネーコはそれをいわなかったから、パーチクは彼女の質問にてっきり「ネーコはパーチクと恋人ではないとネーコ自身が確かめにきた」と受け取ってしまったのです。ハーコは契約した間柄でしたから、愛はあっても恋人ではありませんし、パーチクはみなさんも知っているようにけっこう内気な男の子です。だから…
 「う…うん、まだそこまではいってないと思う…」
 「じゃ、じゃ、これからなるかもしれないの?」
 パーチクは男の子として、このことばをめずらしく前向きにうけとめました。似合わないこと、するもんじゃないのに。かっこつけてしゃれたことをいってみたくなったのは、闇の書を調子よく読み込めていたからだったのでしょうか、それとも、不安そうなネーコを安心させたかったんでしょうか。どちらにせよ、彼のことばにも、「だれと」がきれいに欠けていたんです。
 「なれるとおもうよ」
 ネーコはあとじさりして、扉をそっと閉めました。


 それきり、ネーコはいなくなってしまったのです。

12. ネーコの冒険