15. 対魔法官
唱えても
となえられても
対魔法官はへいっちゃら
パーチクに穴を掘るさしずをしているエンリケの顔が、だんだん青くなってきました。ひたいにはあぶらあせをうかべています。どこかぐあいわるいのかな?
「この感じ…いや、そんなはずは…」
なにかを感じとったようです。前を歩くパーチクの肩をそっとつつくとささやきかけました。
「小僧、おまえ、感じてるだろ?」
「うん、このまえあんたと死んだカラスにおそわれたときと同じ感じだね」
「…でもわしではない。わしはいま、なにもしておらん。…」
「もう一人、あんたたちにはないしょで対=対魔法官がいたとか?」
「いや、そんなはずは…」
「じゃ、あのカラスが生き返ったのかな?」
その答えこそが、まさにエンリケの一番考えたくないことだったのですが、パーチクはさらりとそれを口にだしました。
「あのカラス、あんたよりも長生きしてそうだったし、死んでも死なない術のひとつくらい知ってるかもしれないよね。人間じゃないから、ぼくたちにはわからないことも知ってそうだし」
「それで、そうだとしたら、おまえにはやつに勝てる自信はあるのか?」
エンリケは、もしあのルーイスが生き返っていたなら、とうてい自分では勝てる見込みがないことを知っていたので、ワラにもすがるような思いでパーチクのうしろ頭にささやきかけたのです。
「ううん、やってみないと、わかんない。あっちの方がずっと永く生きてるかもしれないしね」
エンリケの顔はよけい青ざめました。おれもこの小僧もルーイスのやつに殺されて、頭の中をしらべられてしまうんだろうか…
パーチクはちょっと黙ったあとで、「ところで」とエンリケにはなしかけました。
「まっすぐに「メブチの縦坑」へいきたいんだ。地上にはそこからでたいんだ。そうなるように案内してよ」
「なにか計略があるのか?」
「うん、まあね」
そう答えましたが、そのじつ、パーチクの頭にはネーコのことしかなかったので、まっさきにネーコの無事を確かめたかっただけなのでした。ネーコさえ助かれば、カラスやほかのれんじゅうはどーだって…
「まあ、いくらやつでも、とにかくいまのところ、風の傘をお城にかぶせるので手いっぱいだろうから、ぼくたちがぎりぎりに近づくまで待ってから、ひといきにやっつけようとおもってるだろうね。攻め手が風の傘がなくなったことに気がつかないくらいのあいだだけの時間でね」
「近づかなければ…」
「やつをたおさないと、味方が攻め込めないし、ぼくたちも帰れない」
まあ、なるようになるだろうとエンリケは思いました。覚悟しました。やってみなければ、どうなるかわからない。そんなエンリケに、パーチクはもっていたずたぶくろからカチカチになったパンをひっぱりだして、折ってエンリケにわたし、じぶんのぶんも折ってがりがり食べはじめました。
「小僧、やっぱり見てくれだけで、じつは小僧ではないのかもしれん」
エンリケもパンをかじることにしました。そうすると、なんとなく心が落ちついたので。
「メブチの縦坑は、こっちだ」
パーチクにゆびさしました。
目の前の土のかべがおしひろげられてゆきました…
「?」
カルメンのかたわらで、ぼおっとうずくまったままはるか上の縦坑の入口をみあげていたネーコの耳が、かすかな音を感じました。
「だれかが縦坑のかべに、穴をあけるようだ」
カルメンは手琴をかかえたまま、やはりうずくまったかっこうで、しかし上の方をみあげもせずにぼそりといいました。
「なんで穴があくの?」
ネーコはぼうっと上をみつめながらたずねました。
「縦坑について、なにもこだわりをもたないものが、縦坑に用があってあけたのだろう。金や銀や、そういった地の宝に用のないものが、わたしか、お前に会うためにあけたのだろう」
「…わたしか、カルメンに?…だれだろう…」
縦坑の星の声で輝いた壁のはるかに上の方に、ぽつんと黒い点ができました。あたりをおおっていた青白い光が、目に見えて弱まりました。
「ああ、穴があいた。これで縦坑の力は失われた」
上からかすかな声がきこえてきました。
「…うわ、なんだこの光は!…ここはどこですか!?」
さいしょの声は聞いたことのない人でしたが、つぎに答えた声は…
「星の光、じゃなかった、星の声というやつです。ここがメブチの縦坑、メブチの富の根源です」
ネーコにはなつかしい声。
「あ、パーチクの声…」
ネーコの耳がぴくっとふるえました。
「われわれの任務は宝探しではない!いきますよ!」
さっきの聞きなれない声がして、そのまま静かになりました。
「おまえの仲間がきたのか。おまえはいくのか?」
「ううん、だって、わたし、カルメンのつぎのカルメンになるんでしょ?」
カルメンの顔は相変わらずなんの動きもしめしませんでしたが、彼女の心はちょっと波立ちました。ぼくたち人間の心にたとえるなら、「こっけいなきもち」、または「ふきだしそうになった」ということでしょうか。まったくこだわりのない娘だな。
「縦坑の壁が破られたということは、この城も滅びるときがきたということだ。穴のあいてしまった縦坑では、満月の力をとらえきれない。新しいカルメンにカルメンの力をつぐことはできなくなった。わたしでカルメンの役目も終わりということ。もうお前は必要ない」
「え〜っ!?じゃあ、そのしゅきん、もらえないの?」
ネーコはかなりがっかりした声をだしました。カルメンのように、手琴を弾いて歌ってみたかったんです。あのリズムを歌ってみたかったんです。
「気に入ったのか、あの歌を。歌をつぎたいのか?この手琴の歌を」
「うたってみたい」
「ならば、おしえよう。今日はまだ満月には遠く、縦坑はその完ぺきな力を失ったが、歌を継ぐくらいには月も満ちたし、歌を継ぐくらいには縦坑の力も残っている」
カルメンは、その細い手で手琴をつかみ、ネーコの手にわたしました。手琴には弦が三本。かわいらしい、下向きにしぼった弓の形をした胴、それに矢をつがえたように、いい形の首がのびていますが、全体に地味なものでした。
「あ、かるいんだね」
「さっきわたしがしていたようにかかえてごらん」
「こう?」
ネーコがカルメンから手琴をうけとっているそのとき、パーチクたち、いや、指揮官のゴプ中尉は、つぎにどうするかでなやんでいました。
「では、ここはお城のどまんなかの地底なのですね?」
「そのとおりでございます。正しくは縦坑のぶん北へずれていますが」とエンリケ。
「上にはなにがありますか?」
「書物庫です。その上に対魔法官の控え所がございます」
ゴブ中尉は頭の上の土を見上げると、エンリケにたずねました。
「目標は、いま、そこにいるのですか?」
「ひとりは…たしかにこのすぐ上に…」
「ひとりは?では、ほかにも?」
エンリケはこまった顔をしました。
ゴブ中尉はもういちどききました。
「もうひとりはどこに?」
「それが…」
エンリケはとまどっています。ふたつ、たしかにふたつの気配を感じるのに、でもやっぱりあいてはひとりのような気がするんです。そこへよこからパーチク。
「このお城の、上、それも屋上とかじゃなくて、空‥」
「空?」
エンリケもおなじ意見だったので、だまってゴブ中尉にうなづいてみせました。
お城の見晴らし台では、メブチ公が闇に目をこらして、寄せ手のようすをさぐろうとしていました。見ながら敵のようすを声に出し、わきにいる書記に、地図の上に敵の位置を書込ませています。
「これ以上ちからおしに押してくる様子はなさそうだ。囲んでおいて、ひあがらせるつもりか…」
もう逃げられないことはわかっています。降参したとしても、たぶんなにかしらの罪をでっちあげられて殺されてしまうでしょうし、戦い続けてもいずれ負けて、死ぬことになるでしょう。暗やみの中、メブチ公をとりかこむように立っているのは書記のほかに放列ドラゴン使いと、将軍、将軍の連絡を伝えるための兵士が数人、そしておとぎの護衛のセラ。
なぜか、あの忠義者、じいの姿が見えません。どこにいったのかな?
「干上がらせるにも、こちらには歌の井戸がある。時間がかかるだろうね」
「とりあえず、城壁はどこも破られたという知らせはございません」
「ウン、わが対魔法官どのはすばらしい。風の術がこれほどまでのものとは」
「人間ではないだけのことはあります」
メブチ公と将軍は、たのもしそうにほとんどまんまるになった月の空をみあげました。黒い、それでいて青い空。
「王様には絶対にひとあわ吹いてもらおう。ただで転ぶのはおもしろくないからね」
メブチ公にも、なにか作戦があるみたいです。
セラはぼんやりと月明かりに照らされたメブチ公の背中をながめていました。セラも、もう自分たちが生き延びる時間がかぎられてきていると感じていました。メブチ公と別れたくないと思いながら、かれの背中を見つめていたのでした。ふりむいてほしいと思いながら。
「…!?」
セラはふりかえってみました。なにか聞こえてきます。
「歌っている…」
メブチ公も音に気づいたみたいです。
「歌の井戸か…あの娘か?しかしまだ満月では…まさか!」
メブチ公はあわてて見晴らし台を降りました。セラたちも急いで続きました。
「いま歌をつぐとは!いまついだら満月の力が足りず、不完全なカルメンしかできないではないか!」
メブチ公の背中に、いやな汗が流れます。もしかしたら!
「消えている!」
メブチの縦坑は、本当なら夜にはその口からやわらかなあかりをもらしていなければいけないのに、いま、メブチ公の目の前にある縦坑の入口は、ほとんど光っていません。まるで死にかけているみたい。その入り口から、ちょっとたどたどしい楽器の音と、女の歌声がきこえてきています。
「しまった!穴を掘られたか!無知なやつらめ!歌の井戸は、横穴を開けられれば死んでしまうのだ!…なんということを!…まあいい、もとより王様にこの井戸を渡すつもりはない」
たしかに、よこどりされる宝物を無傷で渡すつもりはありませんでしたけれど、始末は自分でつけたかったので、くやしかったのです。しかし、すぐにくやしがっている時間はないことに気がつきました。
「将軍、城の地下に穴を掘られた!城に敵が入ったぞ!直ちに兵をさしむけろ!たぶん、たぶん対魔法官の詰め所あたりだ!」
将軍はさっそく兵士のひとりに命令しました。その兵士はかけおりてゆきました。
書物庫の床にあけた穴から、ゴブ中尉たち、忍び込んだ兵士たちは順番に書物庫へと上がりました。きちんと整頓された書物庫を抜けだします。先頭に弓を持った兵士たち。つぎにゴブ中尉、エンリケとパーチク、アルシヘたち、最後にうしろを見張る、これまた弓を持った兵士たち。暗い回廊をゆっくりと階段へ向けて進みます。エンリケはなにかとても落ち着かない気持ちになってきました。心が重苦しく、ドキドキしてきました。
「やっぱり、あのカラスみたいだね」
パーチクがささやいたのにうなづきました。この重苦しい感じはルーイスと同じでした。この感じは以前は彼に向けられたことはなかったのですが、別の人間に向けられたときに横から感じたものと同じ、憎しみでも恐れでもない、ただ重苦しい、気が重くなるふんいき。魔法使いじゃなければ感じられないふんいきなのに、兵士たちの動きも、少しかたくなっています。
「前に出たほうがいいと思う。こっちへ出てきたみたいだ」
パーチクがひとりごとみたいにつぶやいて、兵士たちの足元をくぐるように列の前に出てゆき、エンリケもそれに続きました。兵士たちは硬い顔のまま、彼らに道を譲りました。
ゆくての暗がりに、男が一人立っていることにみなが気がついたのは、パーチクがそちらヘ向かって歩き出してからのことでした。いつからそこにいたのか、兵士たちにはまったくわからなかったのに、パーチクにはわかっていたということなのでしょう。
男は一見、ただのたくましい剣士のように見えましたが、目は閉じたまま。口になにかをくわえているようです。なにか、黒くてとがったものが口からつきだしています。カラスの頭です。
「カラス君、それ、新しい体?」
パーチクがたずねました。
「死んでるね」
カラスの頭を口にくわえた男は、返事はせず、かわりに恐ろしく大きな火の玉をパーチクに向けて飛ばしました。回廊いっぱいの、攻城ドラゴンが吐くような危険なやつを。
兵士たちはとっさにその場にふせようとし、アルシヘはあわてて自分の放列ドラゴンをその場に据え付けようとしました。
でも、火の玉はパーチクの顔の前で闇にのまれるように消えうせてしまいました。パーチクが目の前にまわりの空気を集めて濃くしたので、その壁を火の玉は破ることができなかったのです。
今度はパーチクの番です。彼はなにか口の中でむにゃむにゃ唱えたみたいです。
その場にふせながらもパーチクとカラス男の対決を見ていた兵士たちは、ちょっと目が回るような気持ちになりました。おかしい。注意深い者には理由がわかってきました。暗くてわかりにくいものの、パーチクよりもむこうの景色がゆがんでいくように見えているのです。まるで彼の目の前には水の壁があるみたいな…
パーチクが一歩前に進むと、ゆがみもまた前に進み、ゆがみの向こうでカラス男が後ろにあとずさるのが見えました。
パーチクの目の前からカラス男の前にかけて、すごい量の空気が集まっているのです。あまりにも濃いので、まるで氷のようになって、しかもものすごく熱い空気。それがいま、カラス男をぐいぐいと正面から押しているのです。これをいっぺんに解き放ったら、きっと爆発のようなことになるにちがいありません。
ルーイスはあわてずに目の前のかたまりからすごいいきおいで空気を自分の後ろへひきぬいて飛ばし始めました。彼と彼をくわえた男の身体のうしろにに、もうれつな勢いの風が吹きはじめました。
パーチクはあきらめて目の前の空気のかたまりを解き放ちましたが、自由になった空気はものすごい勢いでカラス男の両わきを吹き抜け、回廊の角につきあたり、そこで向きを変えてホコリや砂やゴミやネズミなどを巻き込んでお城の中をすごい勢いで吹き抜けました。
「風を使えるんだから、やっぱり空気じゃダメか」
パーチクはそのまますたすたルーイスのほうへあるいてゆきました。カラス男はそれを動かずにまちうけます。エンリケはあっけにとられてそれをながめるだけ。うかつに割り込んだらあっという間に殺されてしまう。
二人の間があと一歩というところまで縮まったとき、おたがいは同時に前に手をさしだしました。手と手はにぎりあい、手のひらは合わさって、それはまるで子供と大人が踊りの遊技をしているかのよう。でも、それは死の握手であって、力自慢がふたり、どちらの力が上か、力くらべをしているようなもの。相手に直接さわることで魔法の威力を最大まで相手につたえるためだったのです。
パーチクの、子供の小さなからだは、ルーイスが借りている剣士のたくましい体にくらべて、いかにもたよりなく思えました。引き裂かれてしまいそうに見えました。でも、ルーイスのからだは借り物で、しかももう死んでしまっている、「死人」のからだなので、生きていてなおかつ自分自身のものであるパーチクのからだとは持っているエネルギーがちがいます。なおかつ、パーチクは死人使いなのです。このちがいは、目に見えないけれど大きく勝敗を分ける原因となり、剣士のからだはみるまに崩れはじめました。腐った肉の恐ろしいにおいを放ちながら。
「死人は、生きる力のリズムにであうと、あきらめて土に帰ろうとする。腐ってゆく。だから、そのつもりがなくても死人使いは死人に触れてはいけない。死人使いのさいしょの教えだ」
このパーチクのつぶやきにカラスは答えました。
「おまえ、ながく、長く長く生きてるな。しかも…おまえのたましいは…」
ぼくの魂だって!?パーチクはあわてて魔法をゆるめました。
「魂って、ちょっと待って!」
崩れてゆく死人の口の中で、やはり崩れながらカラスは白いまぶたを閉じ、ちょっと口を動かしましたが、それは言葉にならず、笑ったみたいに半開きにしたくちばしが、同時に彼をくわえている死人を笑っているような顔にしただけで、それもみるみるうちにぼろぼろと崩れ落ちてゆき…
「魂って、カラス君、おしえてよ!待って!」
腐った土の山をかきわけながらパーチクは叫びました。しかし、ルーイスの魂魄は彼の姿かたちとともにすでに怠惰の世界へと去ってしまったようです。
ひざまづいて、腐った土にまみれながらぼうっとするパーチクの脇を、ゴブ中尉たちが追い越してゆきました。アルシヘがパーチクのわきを通るときに、ちらっとかれの顔を盗み見すると、泣いているのがわかりました。なんで泣くのかはわからなかったけれど、ちょっとかわいそうになって、ドラゴンをわきにかかえ直し、あまったほうの手でかれの背中をそっとたたいてあげました。前のほうで、かけつけたお城の兵士たちとのこぜりあいがはじまったので、彼女はあわててそちらへ去ってゆきました。
「小僧、おい、しっかりしろ、気配はまだ半分しか消えていないぞ!」
エンリケは小僧が目の前の敵に勝ったことにホッとしながら、まだ高いところから感じている「あの気配」が残っているので気が気ではなく、はやくカタをつけてしまいたかったので、突然くじけてしまったパーチクの気持ちなどわからないふりをしてせかしました。じじつ、わからなかったし。
「ぼくの魂って、たましいってなんだよう!なんであんなになってからそんなことゆうんだよう!知ってるなら、わかってるなら…ひどいよう!なんで意地が悪いんだよう!…」
パーチクは泣きながら腐ったどろどろのかたまりをかき回しています。エンリケは、パーチクが急に泣きだした意味がわからないし、人一人分の肉が腐った猛烈なにおいとで気味が悪くなってきました。小僧、カラスとの戦いで目に見えないとこをやられたのかな?もしそうならパーチクのことはあてにできません。これから先は自分でカタをつけなくては。さいわい、ルーイスが溶けたあと、あの重苦しい気配はぐんと減ったので、彼自身でもどうにかできそうな気もしてきていたのです。
「わしはいくぞ。よくやってくれた。ありがとう」
エンリケはとりあえずパーチクに礼をいうと、兵士たちの後を追いました。
「メブチ騎兵の所在は?」
討伐軍の将軍のもとへ、彼にとっておもしろくない知らせが入ったのはゴブ中尉たちを忍び込ませる攻撃の、ちょっとあとのことでした。メブチ公の手持ちの騎兵が一個連隊全部、討伐軍の来る前にお城を出てどこかに向かったというのです。将軍はそれからというもの、たびたびメブチ騎兵の情報を求めるようになりました。幕僚はイファン国との国境をふさいでいる別の部隊などと連絡をとって情報を集めています。いま、その連絡の将校がもどりました。
「敵騎兵団が国境に近づいた形跡はまったくありません。ルステワンデ森までいった様子もありません」
「それでは、逃げ出したのではなく、どこかを襲うつもりなのだろう。われわれの段列か?いや、そんなことをしてもわが包囲はゆるぎもしないのはわかっているはず…かえってみずからの死期をはやめるようなもの…」
将軍は地図に目をやりました。お城、討伐軍、畑、畑、林、この司令部のある村…
「ねらいはここだ。われわれを狙うつもりだ。われわれが崩れれば寄せ手は困ったことになるし、外国へのきこえも悪い。国外へ逃げるのはムリだ。ならばきゃつらの位置は…」
将軍の杖は地図の上をすべるように動き、自分たちのななめ後ろにある雑木林まじりのくぼ地で止まりました。
「このくぼ地を捜索せよ。たぶん、隠れるならここだ。昨日いなかったとしても今夜入ったかもしれない。いれば夜明けにはこちらを襲うだろう」
副官の一人が手持ちの騎兵たちをつれて闇の中へでてゆきました。
「司令部も動かしておきたいが、いま動くと寄せ手が混乱しそうだ。手持ちで守り抜けるかがカギだな」
しかし、くぼ地にはだれもいませんでした。将軍はむつかしい顔でなにか考える様子でしたが、やはり手持ちの部隊を増やしておくことにしました。
そこへ一人のずぶぬれの兵士が連れてこられました。
「ゴブ部隊は城内に潜入、対魔法官一名を退治、地下階において城の手勢と交戦中。城方の対魔法官はもう一名いる模様」
将軍はその兵士をまねくと、机に向かわせ、お城の見取り図を見せて、忍び込んだ様子をくわしく聞きだしました。
「そうか、そこからネジ込むのも手ではあるな。で、その、対魔法官を退治した子供は無事か??その子に穴を広げさせる事はできそうか?」
「子供はその敵を打ち取ったあと、ちょっと頭が変になってしまって、現在は戦闘できる状態ではありません。配属砲兵がドラゴンによって壁を崩す事を考えております」
「エンリケ殿のいう通りの強敵であったのだな。是非もない。これからもう一度放列ドラゴンによる総攻撃をしよう。そのスキに後詰めをおくりこむ」
しばらくして、さっきのような寄せ手の猛烈な攻撃が繰り返され、ゴブ中尉の元へ、さっきよりも多くの兵士たちが送り込まれました。彼らもまた、腐った土の中に手をつっこんでボオッとしているパーチクを追い越して進んでゆきました。
まだ夜明けまで時間はあるし、メブチの縦坑はその力を失ってしまったので、とりあえずすることのなくなったメブチ公は、見晴らし台に幕僚たちを残し、セラをつれて寝室へ行きました。
寝室の警備の兵士たちも、いまは地下階の小競り合いに駆りだされて、あたりに人のけはいはありません。
メブチ公はセラを寝台に腰かけさせました。自分もセラのわきへかけます。
「セラ、おまえは家に帰りなさい。お金をあげよう。自分の生まれた家で、しあわせな農家の主婦となりなさい」
セラはあわてました。あわてて、メブチ公の手をつかまえて、引き寄せて、抱きかかえました。
「いやです!」
「あははは、こら、これではわたしが小娘のようだ。強いおまえがやさおとこのわたしを抱き寄せてしまっては…」
メブチ公は笑って冗談として流そうとおもったのに、セラが泣きそうな顔で一生懸命に自分をみつめているのを見て、笑うのをやめると、彼女のほおに指をのばしました。
「お殿さま、セラは、お殿さまのために死にます。そうおもったのに、家に帰れなんていってはいやです。お殿さまが好きです!」
「無理に死んでもわたしのためにはならないよ」
「もういちどかわいがってください!セラをかわいがってください!」
いじらしさといとおしさがこみあげて、メブチ公はそのままセラの背中をだきよせました。セラは、自分の願いがかなったので、とてもすてきな顔をして、それをメブチ公は、口にはださなかったけれど、「きれいだ」と感じました。
お城の地下の石の回廊ではせますぎて、おおぜいの人間が剣をふるうことはできません。おかげで少ない人数のゴブ中尉たちはなんとかじりじりと進んでゆき、やがて角をはさんでの石弓のうちあいになりました。ゴブ中尉の側が角をまがれない形で射すくめられているので、アルシヘのドラゴンはあまり活躍できていません。彼女はなんとか戦闘に加わろうといろいろ考えましたが、どうも出番はないようです。いらいらしてまわりを見回すと、さっき激しい競り合いでやっとの思いで前を通り抜けた対魔法官の詰め所の入口が目にとまったので、自分の部下を連れてそこまでもどってみました。
暗く、がらんとした石の部屋。木でできた古ぼけた机、それから…奥のすみの暗い所に、壁の石をくりぬいて作った、ほこりっぽい棚みたいなくぼみがあるのがアルシヘの目にとまりました。そこからワラやらいろいろなきたならしいボロくずが飛び出ているのが見えます。
「こういうところになにか隠してあるかもね」
せっかくおカネ持ちなお城に忍び込んだのですから、なにかお土産があってもいいよね。
彼女はその下までいって、せのびして手で中をさぐってみました。子供のころ鳥の巣の中に手を入れて、こうしてかき回したことがあったなあ。
なにやらやわらかくてなまあたたかくてピクピクするものが手にふれたので、アルシヘはちょっとびくっとしたものの、別にかみつくようすもないので、おもいきってそれをつかんで引っぱり出してみました。鳥のヒナ?
「うええっ、なにこれ…」
アルシヘの手のひらには、なまあたたかい大きな肉のかたまりみたいなものがぴくぴくしていました。それを見たアルシヘの部下たちは、さすがに気味が悪くてあとじさりました。
「こ、これ、宝物じゃなさそうね…」
肉のかたまりみたいなものは暗い色だったので、細かいところは良く見えないけれど、暗やみに慣れてきた目には、その表にぶよぶよした管みたいなものが網目のように絡みついているのが見えてきて、アルシヘもとうとう気持ち悪さに我慢できなくなってきました。
手のひらのものを床に放り出して、(べとっという音を立てました。)自分の足ではいやだったので、机の上の重そうな本を投げつけました。
ばん。
本が叩きつけられる音の中になにかはじける音がきこえて、その物はつぶれてしまったようですが、アルシヘたちは本の下をのぞく気はなく、またゴブ中尉たちの後を追いかけました。
「!…気配が消えおった!」
エンリケは、突然頭の上のあのカラスの残りの気配が消えたことにおどろきました。
もうお城に対魔法官がいる気配はまったくありませんでした。
見晴らし台に詰めていたメブチ公の幕僚の一人が、ようやく少しだけ白くなってきたものの、依然真っ暗な空から、黒い小さななにかが落ちてくるのを見ました。
黒い小さなものは三角形になったまま城の屋上の床に落ちました。
幕僚が指さした先を見て、メブチ公の将軍は、全てが終わったとおもいました。
黒いものは、さっきまでお城の上を飛んで風の壁を作っていたルーイスの体だったのです。
ルーイスは、このお城の対魔法官になったときに、心臓を自分からとりだして、さっきアルシヘがさぐった巣に隠していたんです。だから頭が取れてもあんなかたちで体と別々に生きていることができたのです。頭が消えてしまったあとでも、体は心臓があるかぎり飛び続けて自分の仕事を続けていたわけなのです。
「ついに風の傘がなくなった。これからは寄せ手に撃たれ放題になるな。ここは引き払ったほうがいいだろう。すぐ殿にお知らせしろ」
寝室へ向かって兵士の一人が走ってゆきました。
風の傘が消えたことに寄せ手はまだ気がついていませんでした。エンリケから風の傘がたぶん消えたということを知らされたゴブ中尉は、自分の任務が果たされたことを知りましたが、せっかくここまで進撃できたのだから引き返すのもばからしいとおもい、このまま進むことにして、傘が消えたという報告を手持ちぶさたなアルシヘたちに任せました。小さなドラゴンは置いていかれました。
風の傘が消えたことを知らされても、メブチ公はうなづいただけでした。横のセラはなぜかうっとりした顔をしていて、暗い気持ちで悪いしらせをもたらした兵士は、なぜか、ちょっとだけ心が軽くなるのを感じたのでした。
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