数学に憧れます。すばらしい学問だと思います。でもぼくには数学の「センス」はありませんでした。
努力だけでは越えられない壁の向こう側に最初からいるひとは天才。天才といえばラマヌジャン。 1900年初め頃のインドの寒村(いや、暑いんですけど)のかたすみで、地べたにすわって、ニワトリやいぬころを追っ払いながら、そしてたぶんブツブツいいながら石版に式を書きなぐり、思った通りになればかたわらのノートに清書するというワイルドな方法で数の真理を探究する少年がラマヌジャン。 彼が買ってもらえた教科書は公式だけずらっと書いてある、いわば問題集の解答ページだけ残したような本だったそうで、それを片っ端から自分で証明していったというから、もうそれだけでふつうの人ではありません。(そう思ってる時点でぼくには数学のセンスはないんでしょうけれど。)証明の副産物でまったく新しい定理まで見つけてしまい、彼のノートは25才になるまでどんどん膨れ上がっていったそうですが、インドにはもはや彼のノートを理解できるレベルの人はいず、イギリスの偉い先生に片っ端からその「デンパ」論文を送り付けるも、彼は学歴がないしインド人だしデンパっぽいしでハナから相手にしてもらえなかったところは悲劇の数学者ガロワににてるのですが、なぜかガロワのような悲壮を感じられないのはここで彼を救う神が現れるからです。まるで中島敦の文学作品群が最後の最後に その神、大数学者ハーディも最初はやはり「うわ、デンパ来た!」とばかりにラマヌジャンの手紙をほっぽりだそうとしたのですが、数時間後、その手紙のたくさんの公式の中にただのデンパでは考えつかないような「本物」がまぎれていたことに思いあたり、「やっぱデンパじゃないかも超天才かも・・・」と気になり、その数時間後、改めて検討して、「天才、これ天才!このひとイギリスへ呼んでイギリス!」と熱狂するのです。ハーディとその他ラマヌジャンの天才にほれこんだ人々がいなければ、ラマヌジャン伝説はなかったかもしれません。危機一髪。なにかホッとするエピソードではありませんか?
田舎の貧乏な、なにももっていない青年が、石版と石筆で、その死後80年以上たってやっと後世の知能はそのすべての証明を終えるのがやっとで、それらはいまだになんのためにあるのか、使えるのかわからないという膨大な定理や公式を頭の中だけで生み出していたなんて、コンピュータの進歩してきた最近になってやっと使い方のわかってきた理論を編み出していたなんて。数学という最先端の学問の、人種や富や技術などかんけいなく現在の最先端をゆける(極論ですが)平等性に感動するとともに、いまラマヌジャンがいて、彼が最先端の器材を扱えたなら果たしてどんなことになったのだろうかと考えると、ちょっと楽しい気持ちになれるのでした。世界のどこかに生まれかわってるといいな!ラマヌジャン。 |
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