前世紀後半はソ連というとても神秘的な存在が自由社会を脅かした時代でもありました。
人々が真剣に世界を滅ぼすような核戦争の恐怖を心の隅に置きながら生きていた時代、いわゆる「冷戦」時代です。
冷戦時代のソ連軍のなぞの戦車といえばT-64です。
1970年代の終り頃にT-72がフランスの将校団に紹介展示された後もT-64は存在だけが認識されているのみで、80年代から90年代にかけたその手の雑誌では「覆面主力戦車」とか「西側を真似しようと無理した結果、欠陥がありまくりでT-72に置き換えられた、なかったことにされた戦車」とか、様々な語られ方をしました。まさにミステリアスな戦車だったのです。
ぼくはソ連が崩壊するまで、ソ連という神秘の国の情報をたまらなく愛していました。当時はインターネットとかないんで、戦車の情報は戦車マガジンとかパンツァーとか軍事研究位なのを毎月必死に読んではあれこれ妄想していたのです。。
これがぼくの青春だったわけですが、やっぱり仮想敵は強大であってほしいもの。「覆面主力戦車T-64」とかいう記事の方に惹かれるわけです。当時はこの戦車のサスペンションは油気圧式で姿勢変更可能とかいう情報もあったんで、BMDのようにパレットに乗せて空挺投下も可能なのかなとか妄想は広がったわけです。(転輪とか似てるし)でもただのトーションバーサスだったよ・・・
そんなうちに、ソ連が崩壊して25年とか経ってみると、T-64本当の姿が見えてきました。
結局、T-64は、T-80とともにソ連軍のエリート戦車だったのです!
T-64と80は、ワルシャワ条約軍がヨーロッパに電撃作戦をかける上で予想される、敵味方によるNBC攻撃下の大気汚染から遮断されて戦うことができる唯一の主力戦車で、しかもT-64だけでも敵戦車の2倍以上の数で、補給なしに数百キロを侵攻する能力を持っていたのです。
その自動装填装置はT-62やT-72のように射撃時に薬莢排出ハッチを開放して射撃後の薬莢を車外に捨てるなどということはなく、次弾が入っていたカセットに押し込んで車内にしまうという画期的なシステムを持ち、対空機関銃も車外に出ることなく操作できます。渡河作戦の潜水時だけは車外に出ないとダメだけどさ。
でもそういう時の車外作業は防護服着た工兵隊におまかせなのでしょう。
キットの、ソ連戦車には必需の車体後部の丸太ん棒は、近所で拾ってきた樹の枝に替えました。
この戦車のコンセプトは、前方だけという割り切った方向からだけの重防御を図った、できるだけ軽量化された車体にできるだけ強力なパンチ力、外気とできるだけ遮断された戦闘室、装填手を省略して少ない人員でたくさんの戦車、と言ったところでしょうか。たくさんの戦車を揃えるには、たくさんの戦車兵が必要で、そのメシ代だけでも途方も無いことになるわけで、経済イデオロギー国家においてのT-64のウリとしては、兵員が3/4に減るというのは大きなアピールだったでしょう。
キットはトランペッターにしては素晴らしいです。スキフのよりは確実にいいです。どこも可動しないのですが、可動工作も結構楽な方で、乗員ハッチとブルドーザーブレードと砲身とキャタピラと車輪とサスペンション可動に組んでみました。
キャタピラは別売りのトランペッターのはめ込み可動。これはとてもいいかんじです。マスタークラブのやつみたいにやたら折れたりしないし頑丈です。
この戦車は、小さい車体に、小さいけど車体から見ると結構でかい砲塔が魅力です。ここだけ見るとM-26と近いイメージでかっこいい。
この戦車の車体は薄くて、四号戦車のフェンダーから下ぶんの厚みしかないです。
遠目で見ると砲塔がでかく見えてかっこいい!
砲身を可動にしたついでにソ連戦車おなじみのルナ赤外線照射灯も連動に。動くと楽しい!
夜戦装備を充実させていたのはジューコフのおかげでしょうか。
横から見ると極端に小さい砲塔とバカ長い砲身も魅力。転輪はKVシリーズみたいなルックスで、しかも薄べったくてスポーティー(?)な感じ。不安な気持ちになるくらいです。いわゆる、「サイレントブロック(死語)」で、ゴムが内蔵なのも核戦争に備えての放射熱対策なんではと思わせます。でもゴム部の塗装とかしなくていいので楽だし。
砲身は可動じゃなきゃ戦車キットとか作ってもつまらないので可動にします!
内装式の防盾はネットで検索して、それらしくフルスクラッチ! A型だと防盾を砲に止めるボルトは下2つですが、B型だと4隅につくようです。砲耳はまあこのへんかな?
ガンシールドカンバスは、薄手のニトリルゴム手袋をぶった切ってきて使用。弾力がなくていい感じです。
写真のは一回くっつけたあと納得いかなくて剥いだところ。
実車では赤茶色のカンバスを車体色で塗ってるみたい。
ブルドーザーブレードは可動にしてみました。
この機構は、なんと無動力! 乗員がバールのようなもので車体前面のふたつの留め金を回すとロックが外れてバタンて下に落ちます!
収容時は手で持ち上げてロックするんで二人いないとダメだと思います。これはT-72とか80とかでも同じです。
バックして前進を繰り返すと重力で下がったブレードにより勝手に穴が掘れるという愉快な装備です。
キットの車体下部の前部は形状が違うみたい。このままだとブルドーザーブレードが降りないんで、余分な出っ張り部分をポリパテで裏打ちして削ります。でもまあ裏には抜けなかった。
車長用ハッチは回転式で、キットでは残念なことに回転できないのでプラ版で回転式に!
機銃照準用のペリスコープが左に飛び出しています。これは機銃と連動にした。
このへんは我が61式戦車に似てるかも?当時の流行かもしれません。
サスペンション可動にしてみた。嵌めこみキャタピラはこういうときちょっと弛みレスポンス性に劣るね。組み立ては非常に楽でいいんだけど。
転輪は内側のリング部分をぶった切って留め具に使うことですんなり可動に。
上部転輪はビーズで止めて可動に。
サスペンションのショックアブソーバーはさすがにいろいろ試したけどジャバラとか無理!プラ棒をジャバラに削ってシリンダー内に引き込むなんちゃって可動です。(負けた気分orz)
冷戦はぼくの青春でした。当時作ったキット達と我らがT-64を比較してみたくなった。
左からチーフテン(タミヤ)AMX30(エレール)T-64、T-62(タミヤ)です。
T-64以外は25〜30年くらい前に作った。
T-62は、当時、中東戦争とかの評判もあって、80年代当時では「ぱっとしなかったんでT-64とか72に変わられちゃって数は少ない」とか言われてたのですが、どっこい!HiであるT-64を補完したLoの側の装備だったので、ものすごい数が整備されたようです。 主力だったゆえにあまり表に出なかったというのが真相だったようで。極東ソ連軍にいっぱいいたっぽい。
キットは確か中学生の時に父ちゃんとお出かけして買ってもらってすぐ素組塗装なしで作ったもの。その後高校生とかになって塗装した記憶が・・・タンクデサント用手すりとかを当時の流行で伸ばしたゼムクリップに置き換えてたり。
当時の模型誌のキットレビューで、似てないからいきなり改造したとかいう記事でタミヤが怒ったとか。
たしかに、素組の形を見せないで、いきなり自分的に見てダメだから改造した作例しか見せないとかいうレビューはアンフェアです。最低です。一般のお客さんはその記事を見て自分の判断なしで「ダメって聞いた」とかいって買わないって話になるんだから営業妨害に近い。
似てないから修正とかそういう記事は、商業誌では発売数年後にデテールアップ特集でやるべきです。
でもね、キットは資料が揃った今の目で見ると、言われるとおり砲塔形状はちょっと残念です。でもニューキットレビューではそういう判断は素組を提示してそれを見た読者に任せるべきです。それがプロでしょう。ネットで個人で自腹切ってそういう紹介をするのならいきなり切った張ったもありですが、プロの模型誌ライターはそれをやっちゃダメです。
ワルシャワ条約軍最大の強敵と思われていたのがこのチーフテンです。重装甲で鬼火力の重戦車って感じ。キットは10代に作ったのかな?高校生だったかな?
120ミリライフル砲は榴弾でも命中の衝撃だけで敵戦車を破壊できそうな迫力です。
この戦車のエンジンも、T-64のエンジンも、元はユンカースの航空用対向ピストン式ディーゼルで、一部資料ではアメリカの機関車用ディーゼルってなってますが、元はユンカースです。クランクケースが両脇に付いた非常に小さい平べったいエンジンです。T-62の長大な車体後部と比べると、そのコンパクトさはすばらしい。チーフテンのは左右のクランクの位相を変えて圧縮比を可変にして「多燃料エンジン」とか言ってたはず。当時のタミヤのキットはスポンソンの下が筒抜けなのが許せなかった記憶で塞いだと思った。スカート付けたんで見えないけどね。
黙殺されがちですが、フランスのAMX30も軽量コンパクトでたまご型の全体型やステレオ式測遠器、車外に出なくても操作できる機関銃など、装甲を除いたコンセプトは非常にソ連戦車に通じるものがあります。キットは20代前半に作ったのかな?排気管を覆うメッシュ部分の再現とかないものの、とても素晴らしいキットです。最近のタミヤやAFVクラブの塗装可能素材(?)とかと違ってキャタピラとかもまったく劣化なし。子供の頃持っていた「世界の戦車」とかいう本で、「装甲が50ミリと薄いのは、敵の砲の威力がありすぎて厚くても意味が無いため」って書いてあって絶望的な気持ちになったのを覚えてます。
T-64はあと何台か作りたいです。ぼくの青春の戦車です。