「名艦」という言葉っていうのは、カタログデータがすごいだけでは当てはまらなくて、「とのとき、そこにいて、役目を果たせた」というフネに当てはまると思うのですよ。
演習で使いづらいとか、戦略や政策に当てはまらないとか、装備がしょぼい、発展性がない、なんて欠点があげつらわれようとも、「輝かしい勝利の戦場に居合わせた」という事実だけで、そのフネはもう名艦の称号を受けるにふさわしいと思うのですよ。
軽巡洋艦夕張というのは、平賀譲御大がおのれの才能を誇示するため、おのれの野心のため国家予算を使って建造させた実験的なフネです。
国際建艦軍縮条約時代にあたって、水雷戦隊の嚮導艦として企画された3500トンの天龍型軽巡洋艦を発展させた、いわゆる5500トン型軽巡洋艦以下の排水量で、5500トン型と同じ片玄あたりの火力発揮能力を達成できるという、兵装の合理化を行う実験的なフネが、平賀のアイデアでした。イギリスとかで言う嚮導駆逐艦的な構想だったみたい。
実際の設計は藤本造船官でしたけども。
うまく行けばワシ偉大、失敗したら藤本が無能なせい。的な師弟関係だったみたいね。
藤本造船官は優秀な人だったので、このフネをそつなくまとめ上げることができました。重い連装砲が高いところにあって、軽い単装砲が低いところにあるのだけなんか重心的に気持ち悪いけども、ちゃんと理由があったようです。それがなんだったか忘れた。

実験艦的に、しかも計画時に運用側からそんな構想のフネ使えねえよ!って言われて一品メイドだったので、艦隊行動的にも鬼子扱いだったようですが、戦いは数だよ兄者なので、対米戦が始まると、圧倒的な米海軍相手には実験艦も戦力として使わなくてはなりません。
そしてみにくいアヒルの子は華々しい勝ち戦の一端を担うシンデレラとなるのです。
ミッドウエーでの惨敗のあと、海軍が航空前進基地を設けるようとしていたガダルカナルに、日本海軍が飛行場を完成させるのを見守って待っていたかのように米軍が侵攻します。
陸軍には内緒で作ってたので僅かな陸戦隊とあとは土建作業員しかないなかったので飛行場はあっという間に奪われます。
そこで海軍は現地でかき集められるフネで持ってアメリカ上陸部隊船団を襲撃することにします。「兵は拙速を尊ぶ」の言葉通りの素晴らしい対応です。
重巡、軽巡、駆逐艦、型がバラバラな急造夜襲部隊に、夕張も入っていました。
結果は小競り合いとしては大勝利です。詰めの甘さにケチはつくけれども。
いくら夕張よりカタログデータがすごくて絵的にかっこよかったとしても、日本海軍に完璧な勝利の美酒を味わえたフネはあまりいません。
たとえば戦艦陸奥みたいに、カタログじゃ世界を圧倒するデザインとか言いながら、相手の16インチ砲戦艦を5隻も増やさせる口実になりながら、自分は何もしないうち謎の爆沈とか、どっちの味方かわからないフネだっているのです。
フネの「人生」は様々で、なにか人間の人生と似た幸運や不運は血筋の優劣によらないのは面白いところです。
ピットロードの夕張はスケールの許す限りをこだわり抜いた素晴らしいキットだと思います。
艦橋後ろの見えないようなところまで、艦橋の中や檣楼の中まで拘って再現しているのは感動的です。
艦橋トップは当初オープンだったのですが、第一次ソロモン海戦の頃は鋼板の天井が付いたということです。
檣楼の戦闘指揮所の射撃指揮装置が別パーツで熱いです。
主砲と機銃、魚雷発射管は可動に。
2つの連装発射管のあいだに予備魚雷のケースがあります。6本分。
予備魚雷は諦めて、三連発射管二基のほうがよかったのでは?
予備魚雷は火がついても急いで捨てたりできそうにないし。
個人的に三軸艦て大好きです。
夕張は日本では珍しい三軸艦で、プラモ買ったのもそのへんもあるから。
フルハルならではの船底のデテールもなんかワクワクします。
煙突をつけたらもうどうでもいい煙突基部のダクト配置もちゃんとこだわってて感動です。
先週作った日振型海防艦と、ホコリまみれだったんで洗った神風型と並べてみました。
ちなみに、水に浮かべたらちょっと傾くけど喫水線レベルで浮きましたよ。

もうちょっと船底にオモリ入れとけばよかった。