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 2007年夏 

      白 夜 行 〜北欧見たまま〜


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家族旅行計画もちあがる ◆コペンハーゲン街歩き  ◆フェリーでオスロへ
オスロ発ベルゲン急行の旅  ◆ストックホルムのシーフード

[ 家族旅行計画もちあがる]
「たまには親孝行がしたいから、家族旅行なんかどう?」という耳よりな話が舞い込んだのは 今年2月。夫が出張で上京した折、東京在住の長女と久々に会って食事をしているうち、そんな殊勝なことを言い出したと夫から の電話だった。長女は東京で、次女は福岡で仕事をしているがともに独身。帰省先となる鹿児島の私たち夫婦の家へ娘たちが 来ることはめったになく、四人家族全員が揃うのは年に一回もあるかないか。

福岡市で生まれ育ち、大学進学と同時に親元を離れた娘たちにとって、鹿児島は親は住んでいても友だちのいない馴染みの ない土地。わざわざ帰りたい場所ではないらしい。それならと私たち夫婦が福岡や東京に出かけた折、娘たちに会うように しているが、よほど積極的にお膳立てしない限り家族全員が揃うのは難しい状況が十年来続いている。

だから18歳で上京して以来、学生時代を経て就職も東京でした長女が一番長く皆と離れているからこそ、人一倍家族を思う気持 も強いのだろう。姉妹のどちらか結婚したら家族旅行なんてできないから、費用は私が持つから今のうちに皆で行こうよ、と言 い出した長女の気持が嬉しくもあり家族全員賛成。私は近場でいいと思ったが長女の提案は海外旅行だった。

ところが3月になっても話が進まない。長女いわく仕事が忙しくて計画を練る時間がないという。それではと、唯一勤めを持 たない専業主婦の私が旅のプランを立てることにした。私と夫は中国の雲南あたりへ行きたい気持も強かったが、娘たちの 希望を優先した結果、まだ家族の誰も行ったことのない北欧に行こうということになったのが4月初旬。予定は最長一週間。

旅のプランを立てるのが大好きな私はおお張り切り。まず夫と娘たちに年休が一週間揃って取れる日程決めの調整を始めてもらい、 その間に私は旅行代理店の店頭に置いてある北欧の無料パンフレットを集めて参考にし、手持ちのガイドブック、そしてインター ネットで旅の最新情報も集め、一週間で効率よく回れるルートをいくつか考えた。夫と娘たちは6月18日から22日まで年休を取る ことになり、旅の日程を17日出発24日帰国と決めたのが4月中旬。

私の考えたルートは、成田から直行便でコペンハーゲンへ行き、1泊。翌日夕方コペンハーゲンを出航する国際フェリー(客船) に船中泊して翌朝オスロ到着、その日はオスロ泊。翌朝8時過ぎ発車の通称ベルゲン急行で7時間かけてノルウェー西端の港町 ベルゲンへ。そこへ一泊して翌日午後の飛行機でストックホルムへ行き、そこに2泊で終わり。ストックホルムからコペンハー ゲン経由で24日朝成田着、という一週間で3カ国周遊の旅程だ。

さっそく私は手書きでデンマークとノルウェーとスウェーデンの北欧3カ国の地図を書き、それに日程や旅程、宿泊地、移動手 段など書き込んた紙を娘たちに送り、それをもとに長女が航空券を手配。宿泊予定地のホテル4ヵ所と客船とベルゲン急行の 予約も、長女がインターネットを駆使してオンラインで予約を入れて、5月下旬には全ての手配が終わったとのメールが入った。

私の場合海外旅行を決めたら、お金も時間もかけて行くのだからしっかり準備しなきゃと、けっこう下調べをしたり、行く目的 や旅のテーマをはっきり持って出発することが多かった。しかし今回はスポンサー付の家族旅行。しかも行き先は治安も良い 先進国なので何となく物見遊山的な気楽さがあって、駆け足だけどとにかく一週間家族と時間を共有し、皆で楽しもうと考えた。

現地の気温や天候をインターネットで調べて服装プランを立てたり、無駄な荷物を持っていかないように娘たちとメールで情報交換 して出発直前に荷造り。出発前日チェックした現地の週間天気予報では、行く先の4都市とも最高気温が20度C前後、最低気温が 10度C前後とある。日本なら桜の咲く季節の気温なのでジャケットに薄手のセーターも1枚加えた。外食用のワンピースと靴も忘 れないでね、と長女の注文。

17日午前11時40分成田発コペンハーゲン行に乗るために、私と夫と次女は当日早朝福岡発成田行にまず乗る必要がある。そのため 私と夫は前日夕方福岡入りして前泊。福岡発が無事定刻に出発して、成田空港で長女と待ち合わせ、出国手続きをして4人並びの 席に座って、12時間の空の旅が始まった。

思えば14年前にも年末年始を利用して、家族四人でアメリカへ行った。カリフォルニア州に移住した私の妹一家が住んでいるので、 そこを訪ねたのだ。あのときは私たち夫婦も40代になったばかりで、娘たちもまだ10代だった。雲の上でそんなことを考えながら 機内誌を読んでいると、私たちが訪問する期間中に、北欧で一番盛り上がる夏至祭があることがわかった。夜でも明るいという 白夜を想像しながら、雲の上の私はいつのまにか夢の中…。(2007.7.4)

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[コペンハーゲン街歩き] ※青字は写真参照
11時40分発スカンジナビア航空機に乗り継いで12時間弱、同じ17日の夕方4時過ぎコペンハーゲン着。私の腕時計は日本時間のままで、 午後11時過ぎを示している。そろそろ寝る時間になるところだけどここはデンマークの首都コペンハーゲン。コペンハーゲン国際空港 は北欧の玄関口らしく、いろいろな言葉が飛び交い大勢の観光客で賑わっていた。外はどんより曇っていて暑くないのに、空港内を行 き交う人々の服装は真夏そのものだ。

空港の入国審査はいたって簡単だった。係官はただパスポートの写真と私を見比べ、何も聞かずニコッとしてポンと入国のスタンプ を押しておしまい。荷物の検査もなくスイスイと出口へ移動できた。テロだ何だと大騒ぎしている国もあるのに、何とも寛大な印象 だ。首都コペンハーゲンは183万人、デンマークは人口544万人のこじんまりした国だ。日本なら県に相当する目の届きやすい人口 なので、各種政策も立てやすいだろうと思われる。

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タクシー乗り場に着くとボルボ製の車がずらりと並び、壮観な眺め。乗り込むとシートはオール 黒レザー張りの豪華版。憧れのボルボ!と娘たちも大喜びだ。約20分ほどで市内中心部のスクエア・ホテルへ到着。タクシー代220 クローネ(約5300円)は長女がカードで支払った。ガイドブックには付加価値税25%とチップ15%が代金に含まれていると書いてある。 タクシー運転手さんに限らず、ほとんどの人が英語を話すそうだから安心だ。

ホテル到着後雨が降り出したのでしばし休息。その間、ガイドブックや地図で行きたい場所をチェックして、午後7時ころ雨が やんだので4人で出発。夕食のレストランのめぼしをつけようと、チボリ公園横のレストランを下見して、お城のような 市庁舎を見ながら広場を横切り商店街へ。しかし日本と違って、日曜日なので飲食店以外のお店 はすべてお休み。照明のないショーウィンドウを見ながら観光客がぞろぞろ歩いている。私たちも1キロメートルくらいそぞ ろ歩きして引き返したが、石畳赤レンガ造りの建築物 にヨーロッパにいることを実感させられた。

午後8時になりおなかもすいたので、下見した地ビールのレストランAPOLO へ入る。日本のように、座れば水とおしぼりの サービスなんてことは全然ないし、料理のサンプルも店頭にないので、横文字のメニューだけ見て選ぶしかない。メニュー にはその国の言葉の下にたいてい英語の説明が書いてある。料理の写真が添えてあるメニューもあるけれど、分かりにくい。 決める前にさりげなく隣りのテーブルのお皿の中身を横目でチェック。 どんなものが出るか参考になるし、大体の量もわかる。テーブルに黒牛の写真があった。 よく見ると【和牛/神戸牛】と書いてある。国際的な高級品のようだ。

大きめのお皿に料理とつけ合せが乗っている。わが家のメンバーは小食なので、ニシン料理とソーセージとポテトサラダに決めて、 それを4人でいただくことにした。地ビールはたくさんの種類があったが250ccで30〜33クローネ、500ccで45〜47クローネと書いてある。 つまり日本なら普通500円で飲める生ビール1杯が何と約1100円以上もする。とても高い。あとでレシートを見たら付加価値税 (日本の消費税相当)が25%も含まれていた。

道路に面したほうは外から丸見えのレストランなので、食事をしながら街並や道行く人びとの様子が観察できた。観光客も多いが、 どの人も申し合わせたようにジーパンとTシャツ、女性は肩やおなかを出したタンクトップ姿が多く、スカートやヒールの高い靴を 履いている人は見当たらない。たまにミニスカートを見かけると下にスパッツを重ね着している。老若男女関係なくジーパン姿が 圧倒的に多い。それを見た娘たちは「地味!」「オシャレじゃない」という。

レストランはほぼ満席。通りも人の行き来がたえず、午後9時過ぎまでゆっくり食事を楽しんだが、外はまだ普通に明るい。 午後10時ごろ日没はあるらしいから完全な白夜とはいえないが、いつになったら日が暮れるのかと思うほどの明るさ。冬が長く 日照時間が短い分を夏の間に取り返そうとでもいうように、陽があるうちは人々は外に出て歩き回っているようだ。

ホテルに戻るとさすがに疲れもあって、シャワーを浴びて10時半にはベッドに倒れこんだ。朝4時ごろ目を覚ますと、もう外は すっかり明るかった。真夜中でも真っ暗ではなかったよ、と次女。翌日は朝食の後、8時半にはホテルを出て街歩き。ちょうど 朝の通勤時間帯だったので、大量の自転車が自転車専用道を走っていた。スカートをはいた女性 がいないのも、みんな自転車に乗るからではないだろうか、という結論になったが…。

ドイツでも見たことがあるが、コペンハーゲンでも車道と歩道の間に自転車専用道が設けられている。各道路は少し段差をつけて 分離されていたり、自転車道は青く塗られて自転車マークが描いてあったりする。そこをヘルメットをかぶった人々が大挙して 通勤しているさまは、ガソリンにむやみと頼らない“エコロジー”の考えが人々の生活に根付いているのだろうと思った。観光 客用の貸し自転車もいたるところに設置されていたが、私たちは敬遠してせっせと歩いた。

というのも、北欧の人々はとても背が高いので、貸し自転車も道端の自転車もサドルの位置がハンドル より高い。横に立つとおへそより上にサドルがある大きな自転車だ。背が低く短足の私たちには不向きなので貸自転車は断念。 せめてもの記念にと、道端に止めてあった自転車の横で写真を撮ったが、小柄な次女などはサドルが胸の高さまであり、こびとの国 の少女のようだ。

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最初に1キロメートルほど北にあるローゼンボー宮殿まで歩いて行き、広い庭園を散歩。その後 は東方向にある船着場ニューハウンを目指し、たくさん船の見える運河沿いのオープンカフェでコーヒーを飲みながらしばし休憩。 商店街の開店が11時なのでお茶のあとお店を見てまわり、夫はデパートで見つけたハンチングを気に入り300クローネ(約7300円) でお買い物。天気は良かったが、薄着で出たので日陰に入ると寒気がした。11時30分にホテルへ戻りチェックアウト。

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私たちは午後3時にホテルを出て、オスロ行きフェリー乗り場に行く予定だ。ホテルで荷物を出発まで預かってくれるので、私たち はジャケットを着て再び街へ出た。コペンハーゲンの中心部はさほど広くなく、公園も多いので散歩気分で歩き回るにはちょうどよい 。ランチ(量が多すぎた)の後、私と夫は娘たちと別れて大きな湖のある公園を歩いた。日本で は平日の昼間に夫婦で散歩なんてことは皆無なので、旅の良さとは、こんなのんびりした時間を共有できるところにあるのだろう。

高税率高福祉といわれる北欧の国々。少子高齢化に向かう日本の手本になる政策も多いといわれるデンマーク。たった丸1日の コペンハーゲン滞在の印象だけでは何も語ることはできないが、経済大国ではなく「生活大国」と呼ばれるこれらの国々の人々の 暮らしぶりには興味がわく。北欧3カ国を1週間渡り歩きながら、人々の生活の一端を少しでも知ることができればいいなと思った。 (2007.7.11)

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[フェリーでオスロへ] ※青字は写真参照
デンマークの首都コペンハーゲンの名は「商人の港」を意味するらしく、500以上の島々から成るデンマーク最大のシェラン島に位置して、 人口約150万人の北欧最大の都市という。到着早々、私たちが市庁舎前広場からコンゲンス・ニュートー広場まで歩いた 商店街は王室御用達の老舗や高級ブランド店が軒を連ねる、世界的に有名な歩行者天国らしい。

あいにく日曜日で閉店だったので翌日朝にもう一度その通りを歩いたが、買い物に来たわけではないので途中から裏通りに入り、 石畳を歩いた。どれも半地下になった古い建物を修復しながら、お店や住宅に利用して今でも大切 に使っているのが感じられる街並みだった。

私は以前、デンマークの福祉や医療についてデンマーク人から学ぶという講演会を聞いたことがある。それによればデンマークの国民 健康保険カードを持っていれば、国内はもちろんEU加盟国であれば治療・入院などの医療費は生涯無料と聞いた。また公立なら大学 までの教育費が無料で(私立学校の場合一部自己負担あり)、国民年金は67歳以上の全国民に支給されるそうだ。退職年齢は67歳と決 まっているが、早く退職して早期年金を受けとることも可能らしい。

デンマークでは福祉や医療にかかる経費の公共負担率は80%と非常に高い、それを支えるのが国民が払う税金で、個人所得税率は最高 で約60%、普通でも給料の半分は税金になるそうだ。これらの直接税のほかに間接税では日本の消費税に相当する付加価値税が25% かかる。日本人の感覚からいうととんでもなく税金が高いが、そのかわり教育費、医療費、老後の生活が保障されている。

どっちがいいかという問題以前に、私は国民がそれだけ高い税金を支払うのはよほど政府を信頼しているからだろうと思った。 そして自分たちの払った税金がどこの何に使われているか、国民にはっきりわかる仕組みがあるのだろう。日本のように税金の 使われ方が不透明で不平等感があるかぎり、政府に高い税金を払うのは嫌だし、自己防衛のため個人でせっせと教育費や老後の ための貯金をしなければいけない。その点デンマークでは、自分で貯金するかわりに国にお金を預けているようなものかもしれない。

講演ではデンマークの選挙の投票率は80%以上が普通と聞いた。これは日本のように政治は政治家に任せるという考え方ではなく、 国民の政治意識や自治意識が高いことの反映と思える。ただしお金持ち(高収入者)には不利な税制なので国外へ脱出する人もあ ると聞くし、税金が高いから夫婦共働きが普通なので男女平等の考え方も強いようだ。最近減税して財源不足となり、社会保障の 削減問題もあるという。デンマークの人口は兵庫県と同じくらいの規模なので、国民の合意で格差の少ない社会を実現出来ている のかもしれない。

と、そんなことは旅行前や旅行後に調べたり考えたりしたこと。ノルウェーへ移動する日、私たちは3時に集合してタクシーに乗り、 10分少々でオスロ行きフェリー乗り場へ着いた。そこには大きな客船が二隻停泊していたが、私たちが乗船するのはDFDSシーウェイ ズの大型客船(乗客定員約2000人・4万トン級)だ。すでに大きな荷物を持った人びとが続々と集まっている。長女が代表して4人の パスポートを持ち、受付を済ませてくれた。お父さんたちにはいい部屋を取ったからね、11階にあるラウンジが無料で使える グレードだよ、と長女。

デンマークからノルウェーへ行く方法は、飛行機と鉄道とフェリーの3つある。コペンハーゲン⇔ノルウェー間の国際フェリーは 毎日一便、午後5時に両方の港から出ている。豪華客船の旅なんてこの先実現しそうもないから、この際だし1泊だけの客船の旅も いいなと、私の独断で海上ルートに決めたのだ。船内に入ると、中は11階建になっていた。私と夫は7階の船首側に窓のある部屋、 娘たちは同じ階にある窓側の部屋だという。窓のない内側の部屋や船底に近い階の部屋だと安いらしい。

さっそく部屋に荷物を置いて、船内を探検よろしく見て回った。フェリーには3階から11階まで客室があり、いくつものレストラン やカフェ、免税ショップ、バー、映画館、プール、有料のインターネットブースなど退屈しない 工夫が凝らされている。部屋はダブルベッド、トイレとシャワー付洗面所、応接セット、ミニバー、冷蔵庫、テーブルには果物と スナック菓子の入った篭、タブロイド版の新聞が置いてあり、出航したあとシャンペンが届いた。

午後5時に出航。16時間の船旅が始まった。シェラン島とスカンジナビア半島最南端の海峡を客船は滑るように進む。横揺れはほと んどないが屋上に出てみるとかなり早いスピードで進んでいた。屋上は風が強くて寒いほどだったが、大勢の乗客で賑わっていた。 まもなく海上には、一列に並んで優雅に回転する10機の白い風車が見えた。海と風車の組み合わせ。 この新しい風景は、風力発電で世界トップを走るデンマークの象徴のように私には思われた。

乗客はヨーロッパの人々がもちろん多いが、韓国語や中国語を話している団体客も意外と多かった。欧米人の場合、年齢層でいうと 高齢の旅行者が目立つ。それもカップルが圧倒的に多い。こんなふうに高齢になっても夫婦揃って旅に出て、食事やおしゃべりを 心から楽しむ様子はほほえましい。日本でも案外高齢者カップルの旅行者が多いのだろうけど。旅の好きな私は、楽しいことは先取 りしたいし長生きするとは限らないから、一人旅でもカップルでも行けるチャンスが来れば迷わず出かけることにしている。

夕食は2時間ほどかけてゆっくりいただき、部屋に戻ってシャワーを浴びて、窓から外を見ると、船首の左側に太陽があった。もう 夜10時近いがまだ空は青く明るい。窓辺の椅子に座って日没の一瞬をカメラに納めようと待った。 日本の場合、日没の太陽は真下に沈んでいくが、北欧の夕陽は時間が経つにつれ右へ右へと斜めに移動しながら高度を下げるが、な かなか沈まない。午後10時10分、やっと太陽が水平線に接したところを写真に撮ったが、数分もしないうち沈みかけの太陽はもう 船首のレーダー塔の陰に隠れてしまった。

ノルウェーの最北端、北極圏に位置する港町アルタやノールカップ岬まで行けば、5月から7月にかけて一日中太陽が沈まないミッド ナイト・サン(真夜中の太陽)、いわゆる白夜が体験できるという。白夜でなくとも私は午後10時過ぎの日没を見ることができたので、 この部屋を取ってくれた長女に感謝。満ち足りた気分で窓のブラインドをおろすと、いつもより多めに飲んだ赤ワインもほどよく体 に回ってきて、心地よい眠りについた船上の夜だった。(2007.7.18)

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[オスロ発ベルゲン急行の旅] ※青字は写真参照
スカンジナビア半島は北極海とノルウェー海に面した西側にノルウェー、バルト海とボスニア湾に面した東側にスウェーデンが位置 する巨大な半島だ。地図を見ると、その形は恐竜が長い首を下方に伸ばし、大きな口を開けて小さな半島と島の国デンマークを呑み 込もうとしているように私には見える。6月18日午後5時にコペンハーゲンを出航した国際フェリーは、カテガット海峡をひたすら北 上し、翌朝9時30分オスロ・フィヨルドの最奥に位置するノルウェーの首都オスロの埠頭に到着した。

フィヨルドとは、氷河に削られたU字谷に海水が入り込んでできた氷食谷の入江・峡湾のことで、ノルウェーの西海岸全体に広がり 美しい大自然の景観をつくり出している。埠頭からホテルまでは1キロメートル余りの距離なので歩いていくことにした。フェリーを 降りると夫は左手、私と娘たちは右手と、互いにこっちと思うほうの道へ歩き出す。結局3対1で私たちの意見のほうの道を歩いたが、 それで正解だった。

ノルウェーの総人口は約450万人で福岡県よりも少なく、首都オスロの人口は約52万人とこじんまりしている。ここも自分たちの足 で行ける所だけ見て回った。今度のホテルもオスロ中央駅近くにあり、オスロ・シティーという名のショッピングセンターが目の前に ある。チェックインには早すぎる時間なので、ホテルに荷物を預け、さっそく10分ほど歩いてノルウェー工芸博物館へ。入場無料で、 中学生らしい一団が先生に引率されて勉強に来ていた。

そこから西方向に歩いて王宮のある庭園へ。思ったより昼間は日射しが強い。人々は思いきり肌を出し、芝生では日光浴している人 もいる。広々とした庭園は芝生に覆われ大木が涼しい陰を作っている。平日昼間の公園はのどかで、ベビーカーを押している若い 女性がとても多い。私たちも現ノルウェー王の住居だという王宮の見える木陰でひとやすみ。少し離れた辻のところでは、男性が 延々とアコーディオンを弾いていた。王宮前広場からまっすぐ中央駅方向へ延びるメイン・ストリートの カール・ヨハンス通りを歩く。

庭園の中にお城のようなオスロ大学の校舎、その向かい側に国立劇場、少し歩くと国会議事堂、 その先にはオスロ大聖堂と、通り沿いに主な建築物が集まっている。私たちは国会議事堂の見えるカフェで昼食をとった。 ピザとチキンサラダを4人で分け(量はこれでちょうどいい)各自飲み物を注文して1人約2千円也。 こんなに外食費が高いのは観光客だから? 北欧では医療費や教育費にお金がかからないから、食費が高くてもやっていけるのだろうか。

オスロ市内には有名なムンク美術館など、たくさんの美術館や博物館があるが、バタバタと駆け回るのが嫌なのでほとんど行かなかった。 足の向くまま気の向くまま、異国の人々や街の雰囲気を感じながらそぞろ歩きするだけでも、十分楽しい。途中、 建物の壁面にどでかいムンクの「叫び」が描かれていた。さすがオスロ! と、一同感嘆して眺めた。

ひとまわりしてホテルに戻り、チェックイン。洗濯して一休みして再び外出。大型ショッピングセンターは若者たちでにぎわい、 いろんな国の人々が行き交い、活気があった。オスロでは学年が終わり夏休みに入っているようで、街のあちこちでキャンプにでも 行くのか大きなリュックを背負った中・高生の団体と何度もすれ違った。子どもたちはとても長身だ。コペンハーゲンに較べると ワンピースやカラフルな服を着ている女性が多い。

翌朝、ホテルのモダンな内装のレストランで朝食後、チェックアウトして中央駅8時11分発ベルゲン行列車に乗りこむ。予約座席は 5号車の53〜56。通路をはさんで二人掛けイスが横一列の席だった。しかもイスが進行方向と逆向きなのに、イスの向きが変えられ ない。後ろにはテーブルを中に向かい合った4人掛けの空席があった。私たちのめざすベルゲンはノルウェー西海岸にある港町で、 フィヨルド観光の拠点となっている。走るほどに列車はだんだん高度を上げていく。

2時間くらいして車掌さんが検札に来た。私たちの切符を見て「ミュールダールまで?」「いえ、ベルゲンまで」と娘。ミュールダール は谷間の急斜面を走ることで有名な、フロム鉄道に乗り換える駅だ。フロムからはフィヨルド観光のフェリーも出ているが、私たちの 乗った通称ベルゲン急行も、途中フィヨルドの流れや万年雪の残る山の景観を車窓から楽しめる人気 の鉄道だ。車掌さんに4人掛け空席のことを聞くと、予約は入ってないとのことですぐに移動した。

正午ごろミュールダール駅到着。ここでたくさんの旅行者が下車した。フロム鉄道に乗り換えるのだろう。この駅の高度はかなり高く、 このあたりから万年雪をいただいた山々が次々に現われた。途中で最も標高が高いフィンセ駅で5分 間停車したので、乗客はみな降りて雪山を記念撮影。このあと列車は徐々に高度を下げつつ雪山がフィヨルド に映る美しい姿や、真夏なのに雪の残る谷を走り抜ける。私たちは感嘆の声をあげてデジカメを構え写そうとしたその瞬間、 ゴーッとトンネルへ。トンネルを抜けてまた写そうとすると再びトンネル。そのたびに娘たちはコロコロと笑う。

向かいの4人掛けの席は60歳くらいのご夫婦。ドイツ語を話しているようだ。ご主人はビデオカメラを片手に車窓の景色を熱心に 撮っている。日本のメーカーの機種だったので、心の中で「ご愛用ありがとございます」。彼らは私たちのテーブルに並ぶデジタ ルカメラを見て、けげんなようす。4人で3台も?と。そのわけは、私たち親子はそれぞれ別家計なので、三世帯で3台のデジカメが 集まったのだ。約7時間の鉄道の旅が終わり、午後3時10分ベルゲン着。記念に乗ってきた列車を デジカメで撮った。

ベルゲンはノルウェー第2の都市で、19世紀までは北欧最大の都市だったという。とはいえ街の中心部は徒歩で充分まわれる広さ。 ホテルに荷物を置いて、さっそくベルゲン名物の魚市場に行った。築地の魚市場を想像していたら全く違って、湾に面した広場に テント張りの屋台が並び、干しダラ、スモークサーモン、カニの足、シーフードのオープンサンドなど、ほとんどが加工品なので 期待はずれだった。果物や衣類、土産物屋の屋台も並んで、世界中から集まる観光客相手の、完全に観光用「魚市場」だった。

私たちはベルゲンの街が眼下に見渡せるフロイエン山に、ケーブルカーで登ったり、市街地を歩 いたり、14世紀中ごろドイツから来たハンザ商人たちが貿易事務所を開いたというブリッゲン地区などを歩いた。ブリッゲン地区 は中世ハンザ都市の面影を残す三角屋根の木造建物群が残り、ユネスコの世界遺産にも登録され ている。街のオープンカフェでは若い男女がジョッキでビールを飲んでいたが、日本のようにおつまみや肴のたぐいが何もなく、 ビールだけ飲んでおしゃべりしている。

ここで泊まったホテルは通常の部屋の倍の広さがあり、快適だ。せっかくノルウェーの港町に来 たので夕食はシーフードにこだわって、別のホテル内のレストランへ。ウェイターさんに料理の内容を聞いて、赤魚料理、アジア ンスタイルのエビ料理、白身魚のフィレの3品を注文。いつものようにシェアで(分け合って)いただく。アジアンスタイルのエビ 料理って何だろうと興味深かったが、出てきたのは何とエビの天ぷらだった! どれもおいしかった。

デザートメニューを見ると3種盛り合わせのアイスクリームがあった。口直しに少し食べればいいので1つ頼むと、「ワン?(1つだけ?)」 とウェイターのお兄さんが語尾を上げて聞いた。その声がひょうきんで、思わず吹き出した。「もう、おなかがいっぱいなの」と私 たちが言い添えると、ウェイターさんも笑って「了解!」。こうしてベルゲンの美味しい夜はふけていった。(2007.7.25)

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[ストックホルムのシーフード] ※青字は写真参照
6月21日はノルウェーからスウェーデンへ移動する日だ。ベルゲンからストックホルムまでの直行便はなかったので、オスロで国際便 に乗り継ぎだった。ところがベルゲン発が45分も遅れたので、オスロの乗り継ぎに間に合わなかった。延着のお詫びなどここでは一 切なし。乗り換え乗客はみな足早に移動している。私たちも国内線から国際線フロアに急いで移動。状況がわからず困ったが、渡航 経験が多く英会話も一番できる長女がテキパキ迅速に対処してくれたので、出発間近のストックホルム行を確保できた。感謝。

当初予定より1時間遅れて午後6時半にストックホルム着。タクシーで中央駅横のラディソン・ ホテルまで運んでもらった。ロビーがとても広くて、内装やデザインも素敵なホテルだ。そろ そろお米のご飯が恋しくなったので、ホテルの近くに見つけた中華のレストランに入った。中国系の店だったが寿司などの日本料理や チャーハン、日本のビールもあって大満足。店内では握り寿司を若いカップルがお箸で上手に食べていた。9時過ぎに店を出たが まだ明るい。

ストックホルムは最後の滞在地なので2泊の予定。ところが2日目の6月22日は北欧最大のお祭り「夏至祭」の前夜祭にあたっていた。 そのため商店やレストランも午後2時には閉まるという。買い物したい娘たちは「エーッ!」。夏至前夜祭のことを知ったのは成田発 スカンジナビア航空の機内誌に書いてあったからで、私たちはそうとは知らずにやってきたのだ。

夏の到来を祝う夏至祭は、北欧ではクリスマスに匹敵する大事な祭日らしい。スウェーデンの場合6月20日から26日の間の金曜日を 夏至前夜祭とし、土日と3連休で夏至祭を祝うという。22日金曜日はまさに前夜祭当日。スウェーデンの人々は前夜祭には山や湖な どの別荘(サマーハウス)に移動し、料理とお酒を用意して家族や親戚・友人が集まり広場にメイポールを立て、そのまわりで一晩中 歌ったり踊ったりするそうだ。夏至祭は観光用イベントではなく、北欧の人々が楽しむ伝統的なお祭りなのだ。

ストックホルムは大小14もの島々からなる街で、見どころも多くとても歩いては回れない。そこで私たちは朝10時出発のストック ホルム市内めぐりバスを利用した。約1時間かけてガムラスタン、ソーデルマルム、スカンセンなどの島を周遊しながら 国会議事堂や王宮、大聖堂など中世の建築物、ノーベル賞授賞式後の晩餐会の行なわれる赤煉 瓦の市庁舎、オペラハウスなどなど、日本語音声ガイドを聞きながらひとまわり。 海辺に並ぶ建物群はどれもこれも重厚で超ゴージャス。ため息の出るような街並みだった。

午後、私と夫は地下鉄を利用して、ストックホルムの台所といわれるエステルマルム市場へ行った。博物館のようなレトロな建物 の中に、魚介類や野菜・チーズなどの生鮮食料品店が集まりレストランも併設されていたが、3分の1くらいは閉店していた。満員 のレストランがあったので、私たちもそこに並んだ。席について夫はサーモンのサンドイッチ、私はエビ のサンドイッチを注文。ビールを飲んで待っていると、注文品が来た。

置かれた皿を見てびっくり。どんぶり一杯詰め込んだむきエビをひっくり返したように、ピンクのエビが山盛り。食べても食べて もエビだらけ。半分以上食べたところでやっとエビの下に敷いた食パンが見えた。これってホントにサンドイッチ? 夫のサーモ ンサンドは、パンの横にメガネケースくらいのサーモン切り身があった。私は7割くらいエビを食べたらもう満腹で食べられなかった。 時計を見ると2時半。どんどん店じまいしている。そうか、この人たちもきっとこれから夏至祭を楽しむんだ、と納得してお店を出た。

近くに武器博物館や音楽博物館があるので行ってみたがどこも閉館で、商店街も軒並み閉店していた。ストックホルム市内は地下鉄、 郊外電車、バス、トラムなどの縦横無尽に走っているので便利だ。ただし難点は地下鉄もバスも初乗りが500円強。北欧の交通費は 本当に高い。それに北欧では公共トイレが有料なのも共通している。所々にトイレがあるが5クローネ(約100円)硬貨を入れないと使 えないので、不便だ。

最後の夜はホテル内の有名なシーフードレストランを長女が予約していたので、私も娘たちもドレスに着替えて出かけた。メニュー を見てもイメージがつかめないのでウェイトレスに内容を聞いて、まわりを見て量の見当をつけ、メイン料理のシーフード盛合せを 2人分注文。前菜なしの変則的な注文だけど気にしない。出てきたものを見て、やっぱり正解だったと思った。

20センチくらいの足のついた洗面器のような器が2段重ねになっていて、器には氷が敷き詰められ、下段の器には味付けの異なる 数種類のクルマエビがびっしり並べられ、ロブスターとカニも乗っかっている。上段に生カキほか数種類の貝類が、こちらも放射 状にびっしり並べてある。ワインをおともに北海のシーフードに挑戦して、エビ、カニ、貝を食べまくり。食べても食べても何層 にもエビが重なり、なかなか減らない。とうとう敷き詰めた氷が溶けて、エビや貝の5分の1くらい水没してしまった。

こんな量をまわりのテーブルの人々は1人分平気で平らげている。やっぱり胃袋の大きさが違うらしい。コース料理を頼めばもっと バランスよく野菜なども出るのだろうけど、量が多すぎることが分っているので頼めない。結局、蒸したり、薫製したり、焼いたり したエビ・カニ・貝だけを大量に食べることになった。もう当分はエビもカニも見たくないと思うほど食べて、満腹な夜だった。 レストランはたちまち満席になり、いろいろな言葉が飛び交う華やかな雰囲気の中で、私たちの北欧最後の夜は更けていった。

ストックホルムは街全体が宮殿と思えるほど美しい場所が多かったが、足元をよく観察すると、 タバコの吸い殻は散乱し、早朝の歩道はゴミや液状のものでかなり汚れていた。治安がよいとはいわれるが、ホテルのすぐ外では ケチャップ強盗未遂も発生した。犯人は外見や言葉から移民のようで、油断は禁物。道路や地下道などではアコーディオンを弾 いている移民らしい男女を見かけたが、彼らはそれで収入を得ているようだ。物乞いではなく働いているのだから、私はポケット の中にコインがあるときは迷わずあげた。

家族とはいえ4人がいつも同じ気持や考えとは限らない。意見が食い違うこともあったが、無事1週間の旅を終えた。旅行3日目、 娘から「結婚って、いかに辛抱できるかってことなのね。お父さんお母さんを見ててよく分ったわ」と言われてしまった。それが 分ればもう結婚しても大丈夫、と心の中で私。

夫も娘たちも日本では携帯電話に縛られた生活をしているが、旅行中はすっかり解放されていた。そこが海外旅行の良さなのか もしれない。今回の旅行は離れて暮らす家族4人の時間を共有することに重点があったが、白夜の北欧で目的が達せられて、それ ぞれの心の糧になった旅行だったと思う。(2007.8.01)

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