今月のカメラ   2000年12月号   Canon Demi と OLUMPUS 35UC

今月は10月号の続編となります、おやじさんのカメラです。
おやじさんの初代のカメラが10月号のKONICA IIIでした。おやじさんが次に購入したのは、CanonのDemi Sです。

時代は、カラー写真になりつつありましたが、なにぶん、フィルム代と現像、プリント代が高いので、ハーフサイズが流行になっていました。
 
代表的なのは、オリンパスペンのシリーズでした。おやじさんは、「倍の枚数が撮れる」と、よく言っていましたから、小型で倍の枚数が撮れるという魅力で、ハーフサイズのコンパクトカメラを購入したのだと思います。
Canon Demi S は、Canonの webのミュージアムで確認すると、1964年9月発売となっています。Demiの初代は1963年2月発売ですから、約1半後に、上位機種を出したわけです。上位機種といえるのは、初代が28mm F2.8のレンズであったのに、Demi S は、30mm F1.7と、明るいレンズを搭載しているためです。この時代の、コンパクトカメラとしては、F1.7のレンズは大口径のため上位機種です。ここで、個人的な疑問にぶつかりました。1972年に、私が一眼レフを買うときに、おやじさんは、F1.4の標準レンズは必要無いと言っています。ASA(当時の用語のまま記載)100の上に200も400もあるし、実際使用する場合、ほとんど開放で使うことはないのだから、値段の高いF1.4を買う必要はないと、説明しています。なのに、自分のカメラは、より口径の大きな物を買っています。初代は、本体価格が10,800円ですが、Demi S は14,000円ですから、結構価格は違います。余談ですが、初代のDemiは、KONICA IIIと同じく、ライトバリューという方式をとっています。

見てお分かりのように、正面には、セレン光電池用の窓が大きく開いています。この当時は、この位置か、もしくはレンズの周りに、光電池の窓をつけていました。光電池というだけあって、窓から入った光は、電気に変換されます。その電圧をアナログの針の振れにして、シャッター速度と絞りを連動させた針と重なるように、調整すればいいという方式で、電池は必要ありません。距離は完全な目測で、距離の数字はなく、「ヒトの顔」とか、「ヒト3人」とか、「山」とかの今で言う「アイコン」になっていて、背面にアイコンと実際の距離の換算を示してあります。ですから、ファインダーは、単に構図を決めるだけの枠の意味しかありません。ファインダーは逆ガリレオ式のため、逆から除くと、オペラグラス程度の倍率で見えるので、よく面白がって、ファインダーを逆からのぞきました。

ケースとストラップは、本体価格に含まれませんが、おやじさんのDemi Sにはついていました。ストラップはハンドストラップを三脚ねじ穴で固定するもののため、実用では取ったりつけたり何度もしました。

なお、後ろの姿の、ファインダーの左の黒いところは、大学時代に、私の名前のシールを貼ったのが残っているもので、はじめから付いている物ではありません。

Demi Sを購入した動機は聞いたことはありませんが、KONIKA III が壊れたのではありません。それが証拠に、KONICA III は、昭和50年代でも充分に問題無く動作していました。記憶にあるのは、「小さいカメラはおかあさんの」という考え方です。妹の幼稚園や、小学校の行事では、母がDemi S を使っていた覚えがあります。「写真とってね」と、母から渡されて、「針と針を重なるように、ここ(絞りとシャッター)を動かして、ここを押すと写真が撮れる」と、子供でも簡単に扱えた覚えがあります。「おかあさんのカメラは簡単で小さいな」と思った記憶があります。妹の幼稚園の運動会で、父母が出場するレースで、はじめて、Demi Sを使わせてもらった記憶があります。

友人のYくんとは、高校時代に写真で遊んでいました。Yくんは、Canon Demi C を使っていました。Yくんは、大学入学後に、一眼レフを購入したので、それまでは、Demi Cをメインのカメラにしていました。
今回、YくんのDemi Cを撮影してきました。私のDemi Sより、かなり保存状態は良好でした。

 
左が、50mm F2.8を撮りつけた状態です。35mmフルサイズに換算すると75mm望遠くらいです。ただ、50mmは50mmだし、F2.8だし、目測での距離合わせだし、レンジファインダーのようには、いかないのでなかなか思った写真は撮れなかったと思います。右が28mm F2.8の状態で、これで標準の姿になります。

大学時代は、私のサブカメラは、KONICA IIIかDemi S、YくんのサブカメラはDemi Cかな。でもYくんは、一眼レフばっかり使っていたようです。わたしは、いろいろなカメラを面白がって使っていましたが。

ビハインドシャッターは、レンズをはずせば見ることができます。
 
レンズは、スクリューマウントになっていますが、このDemi C専用ですので、ほかに交換できるレンズは見当たりません。

Demi Cがフィルターをつけても、キャップが使用できたのに比べて、Demi S は、キャップがフィルターにつくのではなくそのまわりの、絞りリングにつくために、フィルターをした場合に、キャップが使えなくなりました。そのため、Demi S のキャップはいつのまにかどこかに行ってしまいました。大学時代にすでに調子が悪くなった、Demi S のシャッターはやがて動かなくなって、いまは、すこし錆がでたまま、たんなるオブジェとなっています。でも、ニコイチ用のドナーを探して、レストアできれば、ハーフサイズで楽しみたいとも思います。
おやじさん
のカメラに話題を戻すと、三代目はオリンパス35UCです。おやじさんが、このカメラを購入したために、私の手元に、KONICA III と Canon Demi Sがやってきました
記憶では、当時高校生だった私が「これがいい」と勝手に決めたのです。時代はハーフサイズはもはや姿を消し始めて、ヤシカエレクトロ35に代表される、当時の用語で「EE」というカメラになっていました。わたしがほれ込んだのは、マニュアル動作が可能なことです。絞りとシャッタースピードを「A」に合わせれば、プログラムAEなのですが、ファインダー内の表示で、EV値を読み取れば、マニュアルで動作します。絞りリングの横にEV値が出るようになっています。機構的には、KONICA IIIとそっくりです。親子二代の好みの一致と言うべきでしょうか。シャッタースピードは、バルブも含んで1秒から500分の1秒まで、絞りは、F1.7から16まで。そうなのです、レンズは、F1.7という、このレベルのカメラとしては、大口径になるのです。焦点距離は42mmで、この手のカメラとしては、普通です。もちろん距離計連動です。当時の資料が無いので、推測ですが、基線長は32mmくらいあります。ファインダー倍率は、0.7倍くらいに見えますから、有効基線長は21mmくらいと思いますので、さすがにライカには遠く及びません。(あたりまえ)
レンズの右側にシンクロ接点があり、カメラの天面にアクセサリーシューがありますが、30分の1秒のところが赤表示になっています。これが何を意味しているのか、マニュアルが無いのでわかりません。X接点で、全速同調はできないとう意味なのでしょうか、それとも、フラッシュバルブのM級とかMF級をこの速度でシンクロできるという意味でしょうか。ただ、この当時は、おやじさんは、私に、フラッシュの傘とストロボをくれましたので、光らせるものは持っていなかったはずですから、シンクロの設定もわからないはずです。
前から見るとファインダー部は、右から、測光窓、ファインダー、ブライトフレームと、距離計窓、その左の上だけ空いているのが、ファインダー内にEV値を表示するための光窓ですから、けっこう凝ったつくりです。測光窓は、向かって右についている、感度ダイヤルで機械的に、窓の絞りを変化させています。このため、可変抵抗の必要が無く、測光機能の故障は少ないと思います。感度は、なつかしいASA/DINの表記で、ASA25から800まであります。トライXの増感現像でもしない限り、800もあれば十分だったのでしょう。

後ろ姿を見ると当時、はやり始めたスポット測光のボタンがついています。当時の私一眼レフですら採用されていない機能です。ひいき目でしょうが、当時のコンパクトカメラとしては、最上級です。
 

ファインダーをデジタルカメラで撮影してみましたが、なかなかうまく行きません。それでも、KONICA IIIでは、まったく撮れなかったのに、35UCはこのくらい撮れましたので、アイポイントが結構外にあるのでしょうか。
上のEV表示、パララックス表示のあるブライトフレームと、距離あわせの画像が見えます。






このカメラ以後のおやじさんのカメラは、もはや旅行用の記録写真ということで、小型のコンパクトカメラとして、最近のコンパクトカメラの常で、結構寿命が短く、壊れても修理する気にもならないので、何台か使ってるはずですが、私が興味を持つカメラを使うことはありませんでした。もう、写真を趣味とする時代じゃなくなってきているのでしょうね。

うちの息子たちは、おやじのカメラをどのように記憶に残すでしょうか。いろいろ使っているので、これという記憶が残らないかもしれませんね。はたして、息子たちに残せるカメラはあるのでしょうか。


このページでは、その昔よく使った、「バ△○ョンカメラ」という表記には、問題があるので、かわりに「コンパクトカメラ」という表記にしています。言葉のイメージとは違う場合もありますが、お許しください。

(2000.12.02 オリジナル)

その後、OLYMPUS 35UCは、レストアしました。試し撮りもOKでした。時々稼動させようと思っています。
2003年11月号を見てください。
(2004.1.3)


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