今月のカメラ 2000年10月創刊号   KONICA III

まず、1回目は私の、おやじさんの愛用したKONOCA IIIを取り上げなくてはなりません。

時代を感じさせる、茶色の皮革ケースと、ストラップについた、フードのケースが懐かしい。

この茶色のケースの思い出があるので、オリンパスOM−2の茶色のケースはうれしかったし、しばらくニコンFEシルバーには、あえて茶色の皮ひもをつけていました。






クラシックカメラの
ページにするつもりはないけれど、簡単に説明するならば、レンズ交換できない、35mmフィルム用レンジファインダーカメラです。
巻上げがノブ式から、移行する時期にあたり、小西六はレバーをレンズの左手側(写真では向かって右)に持ってきて、左手で上から下に下げるようにして、2回ガチャガチャと押し込むと巻き上がるという方式を模索したようです。レバーがべらぼうに重いので、決して速写性はありません。速写性を上げたかったらしいのですが。結局、35mmカメラ全体としては、その後、レバー式のワンストロークになっていったわけですが、なかなか面白い時代のカメラです。
詳細仕様、生産時期の詳細は、その道の専門書に譲ります。珍しい機種ではないので、載っているしょう。

おやじさんから以前聞いたところでは、二眼レフの全盛期に、あえて35mmを買おうと思ったとのこと。へそ曲がりは、親譲りだと、この話を聞いて確認できました。購入は昭和30年頃と思います。当時の、安月給の地方公務員では、高い買い物だったに違いない。隣の家では、はやりの二眼レフだったので、子供心には変にうらやましかった。隣のお姉ちゃんのお誕生会の記念写真を撮られるのがうれしかった。おかげで、大学時代、中古で二眼レフを買ってしまいましたが。
幼稚園の頃の記憶では、何度かシャッターを押しています。ファインダー(当時はのぞき窓といわれたが)の中の二重に見える真中の絵を、重なるように調整して、シャッターを押せよと言われたものです。そのため、ファインダーは二重に見えるのが普通のカメラと信じていましたので、のちのCanon Demi になったときは、物足りなかっのを覚えています。



おやじさんは
アクセサリーシューに、よく傘式のフラッシュをつけました。当時は、ストロボは高価で一般の人は使用していませんので、普通でしょう。シンクロ接点は、切り替え式で、バルブはM級で、22.5Vの積層電池を使っていました。昭和50年代は9Vで動作させる傘となりましたが、当時は22.5Vが普通でした。フラッシュの玉はひと箱残っていましたが、モノクロ用のものです。セルフタイマーはこの機種では内蔵していないので、シャッターボタンの上の、レリーズボタンの上をはずして、外部式のセルフタイマーをつけていました。子供心に、「ジーッ」という機械音が気に入っていて、よく持ち出しては、セルフタイマーだけ動作させていました。にゅうっと伸びてくる金属棒が妙に面白いものでした。初めて電子式で、機械音のしないセルフタイマーを見たのは、Canon AE-1だったと思いますが、実感がわかず味気無いと思ってしまいました。
おやじさんは、のちに、KAKOのストロボを購入してから、夜間の撮影は手軽になりました。KAKOのストロボは、単三4本の電池パックが、電池の液漏れで壊れても、AC動作で、私の高校時代まで、現役でした。やたら長い、5mくらいのコードのため、AC動作でも、記念撮影くらいなら使用可能でした。当時のアクセサリー類はいくつか残っていますので、いずれまた載せてみます。




露出計は
内蔵していないので、セレン光電池式の電池の要らないメーターで露出を決めていました。ライトバリュー(LV)という考え方が提唱されていた時期で、シャッタースピードと絞りの間に、目盛があります。そのため、シャッターと絞りが連動するため、個々に設定するには、コツが必要です。LVは、今のEVと等価と考えれば良いと思います。













フードケースの
フードケースの中には、純正のフードとワルツブランドのY2フィルターとシリコンクロス?が入っています。クロスには、ニコンのSシリーズの何かの絵と、カメラ店の名前があります。仁天堂(じんてんどう)写真部は、もう10年以上前に廃業しています。今は、パチンコ店の駐車場となっています。米沢の繁華街の中央三丁目にありました。「米沢銀座」と書いてあるのが、時代を感じさせます。電話番号は、たったの3ケタです。フィルターは、初代は、ガラスが欠けています。写真のものは、比が大学時代、某写真店の不良在庫の中から見つけて購入した、同じワルツのものですが、Y2ではありません。大学時代に、KONICA IIIは、一眼レフが2台になるまでのサブカメラで、すべてモノクロしか撮っていません、そのため、このフィルターをつけっぱなしでした。







私の子供のころの

写真は、すべてこのKONICA IIIで撮影されました。昭和40年代はじめの頃、母方の一番年下の叔父の結婚式に、カラーフィルムを入れていった、おやじさんは、カラーだから、ぜひ写してほしいと、晴れ着の若い女性にたのまれていたのを覚えています。カラーフィルムの現像には、フィルムについてきた封筒に、撮影済みのフィルムを入れて、郵送で現像に出す時代でした。
上の写真のように、ケースのふたをあけ、撮ってもらったものです。
我が家のカメラとしては使いやすさと、経済的なことで、天下のベストセラーCanon Demi に、その地位を渡してからは、比が大学生で、セカンドカメラとして使うまでは、お蔵入りとなってしまいました。
今は、シャッターが正常に動作してくれません。たぶん、完全な機械式ですから、修理はきくでしょう。修理に出して、動作するところを、おやじさんに見せたいとも思うことがあります。おやじさんにも、比にも一番の思い出のカメラです。

なお、カメラの写真は、OLYMPUS C−2000で撮りましたが、デジタルカメラに不慣れなため、と言うより、いいかげんなライティングのせいではありますが、きれいに撮られていません。これもブツドリの練習で、今後はなんとかしましょう。











時間があれば、手持ちの写真関係の話題を載せていきます。中古カメラの説明のページではないので、個人的な、思い出なんか書いていきます。同世代の方が、ニヤッとしてくれればいいのです。
私はは決して写真が趣味でなく、カメラが好きなのだと理解してください。コレクターじゃないので、持っているカメラには、それぞれ思い出はあります。

なにか思うところがある方はメールください。(2005.9.3 内容改版)
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すぐには返事は出せないとは思いますが、常識のあるメールであれば、返事は出します。また、丁寧なメールをいただきまして、購入した中古カメラの使用法についての質問がありましたので、説明させていただいたこともあります。あくまでも、常識のあるメールであり、ともにカメラの好きな人であると確認できましたので。






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