今月のカメラ 2001年8月号   Canon IVsb

昭和28年、生産終了
西暦1953年のことです。あと2年で生産終了して50年ですから、ものによっては50年経過しています。私が生まれる前に、すでに生産終了していたわけで、リアルタイムに販売時期の状況を体験していないカメラになります。
私がこれを入手したのは、今から20年以上前です。当時は、特に人気もなかったと思います。ライカをはじめとするレンジファインダー機は、過去のものになっていました。まだ、やっとコンパクトカメラでオートフォーカスのものが出てきたばかりで、一眼レフのオートフォーカス化以前の時代になりますが、日本製の一眼レフの黄金時代はまだ続くというころでした。ライカ(ライツ)は、M5で人気を無くし、経営は行き詰まっていました。カナダ製のM4−2、M4−Pと発売しましたが、日本勢の一眼レフの攻勢の前には、なすすべがなかったのです。レンジファインダーは、一部のマニアのおもちゃでしかなくなった時代でした。その時代になぜこれを入手したか、答えは、「今月のカメラ6月号」にも書いてあります。
OLYMPUS M−1を購入するときに、ライカM3とM4を触らせてもらいました。その感触が、手に残っているようでした。1976年には、ライツミノルタCLを触ってもっとはっきりしました。レンジファインダー。とくにライカに対する憧れがありました。大学の後輩が、レオタックスを使っていました。とても羨ましかった覚えがあります。いつかはM4と思っていました。なぜM3でなく、M4であるかは、いずれ書きます。
そんな中で、ライカコピーと言える、Canon IVsbが入手できました。とてもうれしかった覚えがあります。これをぶら下げて、さっそく、撮影会に繰り出しました。もちろん、写真を撮る気持ちはありません。たんに、ぶら下げて、人の目に触れるところに出たかったのです。たぶん、注目をあびることは、無いとは思っても、外に出てみたかったのです。そのとき同行した友人は、すでにあまり見なくなった、ペンタックスのSPに200mmをつけて来ましたから、なにやら古いカメラぶら下げたへんなやつらに見えたでしょう。
今月は本体と50mmとします
来月は、アクセサリーと交換レンズについてです。
この50mmは、このカメラに付いてきました。昭和20年代に、はじめに買われたときから付いていたのかは、わかりません。でもCanonはこの時代で、50mmと表示しています。他社なら、5cmとしていますが。F値は、1.8ですから、当時としては明るいほうです。フィルターも純正がついていました。 モノクロ時代のレンズですし、写りは今のレンズと比較しちゃいけません。ピントが合って、一応撮影できるというだけで、感謝したくなっています。ほかのカメラにつけたこともありますが、ピントは合いました。ただ、鏡胴の距離表示が、フィートのみのため、最初はあわてました。1m先ぐらいの
ところに合わせているはずなのに、距離は3と示してあるので、ずれているのかと思いましたが、3フィートだったのですね。
入手した当時は、カメラ修理の専門会社というのは、ほそぼそとはありましたが、部品をカスタムしているといレベルではなく、腕に覚えの人が、なんとか修理しているという時代で、ほとんどのカメラは、生産したメーカーでの修理となっていました。Canonに部品で残っているのは、シャッター幕だけという説明で、それ以外の故障は、即ジャンク行きという状態でした。ですから、すでに、修理は絶望的と思っていました。そのため当時は、常時使いたいとは考えられませんでした。しかも、クラシックカメラと呼べるものでは無し、中と半端な存在でした。

 
キャップも凝っています

金属のかぶせ式は、現在はほとんど見られませんが昭和20年代30年代には普通でした。今月のカメラで取り上げたコニカVも金属のかぶせ式でした。内側には、内部にすべり止めのふわふわの毛状のものが貼りつけてあり、外れにくくしています。内側を黒く処理しています。

後姿です
ファインダーの覗き窓はひとつです。現代の常識では、覗き窓がひとつなのは、あたりまえと思われますが、この時代は二つのものも多かったのです。一眼レフではないので、距離計とフレーミング用の覗き窓は別ということが存在するのです。実際にライカM3が登場するまで、レンズ交換に連動した、ブライトフレームの切り替えなど行われていませんでしたから。
ファインダー意外では、横が角張っているのがライカとの違いで、ニコンのSシリーズも角張っていましたから、偶然か、故意か、ライカに対抗してか、角張ったボディーにしています。






F,1x、1.5Xというのは
ファインダー倍率切り替えです。Fで通常50mmレンズでフレーミング込で使用しますが、「IVsbの売り」としては、ファインダー倍率を上げて、正確なピントあわせが出きると言うことでした。当時の資料も、現在の測定値もないので、断言はできませんが、この倍率を上げても、レンズのカムの精度と、距離計の精度、もちろん経年変化もふくめて考えると、はたしてほんとうに正確な距離あわせが出きるのでしょうか。
正確な号は覚えていませんが、1978年ごろの写真工業誌で、連載されたもので、はたして一眼レフは正確なピントあわせが出きるのかという内容を、ぼんやりと思い出すと、ライカと比較してはいましたが、標準的なスプリットスクリーンの一眼レフを、有効基線長の換算すると数ミリになるため、一眼レフの場合、レンズの倍率を掛ければ、ライカとは、135mmで対等になるが、それより短いレンズだと、距離精度がとれず、広角では、ほとんど合わせられないという数時になっていました。当時のCanonは、ライカ並の精度を出していないとして、公差倍と簡単におけば、50mmでは、やや優位であるものの、すでに85mmで、一眼レフより悪いということが想像できます。まあ今となっては、このような、比較については意味を持たないのでしょうが、意味は無くとも、純粋に当時の技術と、トレンドを考えてみるのも、カメラのひとつの楽しみ方と思っています。
このホームページを何度が訪れている方はお気づきでしょうが、私は、写真が好きなのではなく、カメラが好きなのです。

シャッターは、コピーそのものですね
バルナックライカのコピーそのもののフォーカルプレーンシャッターです。高速部分と、低速部分でニ軸になっていて、シャッター設定ダイヤルが、回転します。












低速シャッター設定
は前面で行います。最近のカメラとの違いは、T設定があるということで、Tはタイム露光のことで、B(バルブ)とのちがいは、Bは、レリーズボタンを押している間は、シャッターが開いているのに、Tは、一度押すとシャッターが開き、次に押すまで、閉じないというもので、考えようによっては、長時間露出には便利な機構です。











フィルムカウンター
は、自動プリセットされません。と書くと、最近のカメラしか使ったことの無い人は、まったく理解できないと思いますが、フィルムを出し入れするフタを開けても、フィルムのカウンターが、自動的にゼロに戻るのではなく、フィルムを入れたときに、自分で、カウンターと言うべき、5,10,15と数時が書いてある、円盤を手で回して、ゼロに合わせるのです。ホームビデオカメラで、テープの時間カウンターを、入れ替えたときに手動でリセットする機種と同じようだと考えてください。
FILM ASA SPEEDと書いてあるのは、現代のISO感度ですが、露出計が内蔵していないので、今入っているフィルムの感度はいくつだっけと覚える必要の無い、メモ代わりです。
巻き上げは、ノブを矢印の時計回りに回すのですが、ノブをくりくりとは回さずに、人差し指の、横、親指側でも引っ張りながらこすって巻き上げるのがプロっぽいと思っていました。今でもやっちゃいます。形で、バルナックタイプを買った、最近の若い方は、しがらみがないため、何本かの指で、ノブをくりくりと回していらっしゃるので、逆に新鮮であり、それができる若さを羨ましく思います。細かいことで、年の差を感じます。

フィルム出し入れは
底が外れるだけのもので、バルナックタイプに似ています。巻き取り軸ごとはずれてきて、軸に巻いてから、そのまま入れるというやり方で、中にパテントの番号を記入しているのは、ライカのパテントに引っかからないように苦心しているようすがわかります。戦後の日本のカメラ業界は、ライカに追いつけ追い越せで、しかも、ライカコピーと、悪口をたたかれながらも、少しづつ違うことを取り入れて行った歴史があるのです。
シャッター幕は
まだ健在です。ライカと同じとは行きませんが、一眼レフとは違ったおとなしい音が今でも聞くことができます。でも、これをオーバーホールに出すと、新品の一眼レフ一台が買えるほどの金額がかかると思うと、どうしたものか、考えてしまいます。私の感覚では、道具としてのカメラでは、ありえなくなっています。レンジファインダーがだめと言う意味ではなく、もう50年前の道具ですから、現役で使うには無理があります。ご家庭のもので、道具を見た場合、50年たっても現役のものは、どれほどあるでしょうか。

一時期、レンジファインダーの魅力にとりつかれた時期がありました。今のレンジファインダーやライカのブームになる前でした。しかし、道具としてのカメラと考えた場合、超望遠、マクロと使わなくてはいけないときがある以上、結局一眼レフに戻ってきました。いまでも、趣味とか、おもちゃとして見ると、レンジファインダーの味については、理解できますが、写真を撮るための道具として、今バックに入れて持って行くのは、やはり一眼レフと、そして残念ながらデジタルカメラなのです。


(2001.8.4)


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