今月のカメラ 2003年3月号   OLYMPUS OM-1クローム

2002年1月に突然
OLYMPUSは、OMシステムの終了を宣言しました。最終的には、2003年3月をもって、最終とするという発表でした。OMユーザーは、いずれはやってくるであろう、その「Xデー」という日は、できれば、ずっと来ないで欲しいと願ってはいましたが、OLYMPUSも、一企業であるわけで、利益を追求しなければ、その株主の利益も、社員の生活も得られないことになりますので、あたりまえの決定ではありました。一眼レフのメーカーとしては、OMシステムで、一時代を築いてはいましたが、経営判断であるのか、技術的な問題であったのか、オートフォーカス一眼レフは、いったんは発売したものの後継機種もないまま、フィルム使用のレンズ交換可能な一眼レフから撤退することになったわけです。おりしも、Eシステムとして、レンズ交換式のデジタルカメラシステムの発売について、アナウンスされたばかりで、作為は無いとは思えるものの、あまりの偶然性に、あぜんとするばかりです。

今月のカメラは、このOMシステムの終了にあたり、その代表例としてのOM-1の画像を見ながら、私の思い出を書いて見ましょう。

高校に入学すると、入学祝いをたくさんいただきました。その時に一番欲しかったのは、カメラでした。特に一眼レフに興味がありました。カタログ集めとか、雑誌から情報収拾とかせず、おやじさんの意見と、おやじさんのなじみの写真店のご主人の勧めるもので、間違いはないだろうと思いました。まだ、カメラの知識も無く、思い入れも無い高校生としては、当然の状態であろうと思います。おやじさんのカメラは、Konica IIIがすでに、引退状態で、Canon DEMI S で、ちょっとだけ、撮影していましたので、一眼レフはありませんでしたから、引きずるものもありませんでした。
写真店のご主人は、OLYMPUSのM-1という、まだ、発売してさほどたっていないという、比較的新製品のカメラを勧めてくれました。比較として、ペンタックスのSPを見せてくれました。そのころは、アマチュアの一眼レフとしては、ペンタックスが無難な選択だったころでした。そのペンタックスと比較して、「小型」そして、「シャッター音もショックも小さい」というのが、勧める理由でした。参考として、Leica M4を触らせてくれました。Leica M4を一眼レフにしたような、感触だというのです。今では、そのような話しは良く聞きますが、OLYMPUSの営業がそう言って、カメラを置いていったのか、そのご主人が、そう感じたのかは、いまは確認できませんが、それが高校生の私を感動させたわけではありません。高校1年のカメラをこれからはじめるやつに、Leicaのことを話しても、理解できるわけではありません。M-1には、50mm/F1.8を付けて、セミハードケース付きで購入しました。

しばらくの間は、50mmのレンズでも間に合っていました。しかし、すでに周りには、ペンタックスに望遠や、望遠系ズームレンズをつけて撮っている同級生と先輩がいました。高校生にとっては、はじめに魅力を感じるのは、望遠レンズでしょう。M-1についていた、交換レンズの読本を眺めては、欲しいなあと考えていました。はじめに購入したのは、交換レンズではなく、Kenkoの2倍コンバーションレンズでした。中間につけるだけで、焦点距離が2倍になるアダプターは、夢のような商品でした。でも、本や雑誌で詳しく読むと、合成したF値は、大きくなるし、画質も落ちると知って、本来の望遠レンズが欲しくなりました。
高校時代に購入できたのは、135mm/F2.8です。価としては、200mm/F4も買えたのですが、2倍コンバーションもあるし、F4と明るさも考えると、135mmのほうが使いやすそうでした。それと、クラスメートから、父上所有という、Nikon F Photomicに135mm/F2.8付きのものを使わせていただいて、感動していましたので、刷り込みで、135mmが使いやすいと思っていました。135mm/F2.8は、それからの、いつものお供になりました。
クラブで使っていたペンタックスSLは、55mm/F1.8でしたが、中間リングがあったため、近づいて撮ることが可能でした。先輩も中間リングを使っていました。安いからと、買った接写レンズもさほど近づいての撮影はできないし、中間リングも欲しくなりました。OMシステムとしては、当時はオートではない、つまり、つけると、絞りが設定値まで、絞り込まれてしまう、中間リングが、7mm,14mm,25mmと3種類ありました。一度に買えないので、ひとつづつ買っていきました。結局、稼働率の良いのは、7mmで、次に14mmとなりました。それで、山野草の写真を撮っていました。

大学の入学祝いがたくさん集まりましたので、一発なんか買ってやろうということで選んだのが、300mm/F4.5でした。やっぱり、こどもだったわけで、長い望遠に興味ありでした。もっとわかっていれば、16mmとか、21mmでも買ったのでしょうが、残念ながら、興味だけで生きていました。300mmは、確かに、望遠としては、すばらしいと思いました。2倍のコンバーションつけても、なんとか、手持ちでいけました。
次に買ったのが、記憶では、さだかではないのですが、OM-1のブラックボディーと、85mm/F2でした。たぶん、85mmを買ったため、2台で撮りたくなって、その直後にボディーを買ったということのように思います。85mmは、OM-2につけて、自分の目になったようでした。一点を見つめた場合の、自分の画角に、これほどぴったりのレンズはありえないと思いました。そのあと、10年以上、OM-1に85mmをつけた状態が、続きました。そのころは、「オレの標準は、85mmだ」と思っていました。

社会人になってからは、まず、広角を一本と思って、35mm/F2.8を購入しました。あまりに、広角だと、使いこなせないのではという気持ちがありましたので、35mmにしたわけですが、「食わず嫌い」ということで、結局まともに、35mmを使った記憶はありません。お試しで何枚か撮ったほかは、あまり稼動していません。それから、レンズではありませんが、稼動率が高かったのは、バリマグニファインダーです。倍率の変更できる、アングルファインダーで、これは、山野草の撮影には、ぴったりの装備で、デーパックに、必ず入れていました。
モータードライブと、ベローズ、スライドコピアも買いました。モータードライブは、OM-1につけて、縦吊りをして、持ち歩きました。友人のバイクに乗っている姿を、ひとつのコーナーで、何枚も写すのに便利でした。それ以外は、特にモータードライブは必要無かったかもしれません。モータードライブは、Ni-Cdで動作させていますが、中のセル交換は、一度してもらっています。また、だいぶセルがくたびれてきたように思います。

スクリーンは、M-1,OM-1には、標準で、マイクロプリズムがついていますが、使いやすいと思って、高校時代は、スプリットに交換していました。その後、接写が多くなると、スプリットが暗くかげるのを嫌って、全面マットにしました。300mmを購入したあとは、望遠用の前面マットも購入しました。今は前面マットがメインです。ほかのカメラも、スクリーン交換できる機種は、全面マットに交換してあります。

妹は、高校のときに、私のレンズも使えるということで、OM-2を購入しました。50mm/F1.8は、貸しました。私が持っていないレンズということで、そのあと妹は、100mm/F2.8と28mm/F3.5を購入しました。それで、兄妹合わせると。28mmから、300mmまでは、200mmを除き、そろったわけで、ズームレンズを使うという頭がなかったわけではないのですが、とにかくそろえておけば、なんとかなるだろうという発想でした。いまでは、この範囲は、ズーム一本で実現できるので、ばかばかしくなります。そう言う時代でした。
妹が結婚する時に、発売直後のEOS650にEF28-70mmをつけてプレゼントしましたら、結局私の手元に、OM-2と、レンズは、集まってきました。妹にEOS650をプレゼントしたのは、EOSの考え方に、今後の一眼レフの方向性を見たように思ったからです。

ズームレンズは、1989年ころに、中古で、35-70mm/F3.5を購入しました。それで、妹から譲り受けた、OM-2に、この35-70mmをつけた状態が、しばらく、私の海外出張のお供になりました。最終的に、盗難にあっても、一番精神的にショックが少ないであろう組み合わせでした。しかし、何度も海外出張していますが、まだ盗難にあっていません。

結婚するまでは、OMシステムで間に合っていたし結婚して、こどもが生まれても、日付の入らないシステムで、少々文句を言われながらも、なんとかやってきました。OLYMPUSの日付の入るコンパクトを併用したということもあります。でも、1990年代になると、Minoltaのアルファーはもちろん、Canon は、EOSで売れているし、PentaxとNikonは、旧システムとコンパチを保ちながらオートフォーカスへ、ちゃんと移行しているのに、OLYMPUSと、Contaxは、マニュアルの独自路線でした。OLYMPUSは、もはや、OM互換のままで、オートフォーカス機へ移行する気は無いなと、判断して、いったい自分は、これから、どうカメラと付き合っていけば良いのかという時期に来ました。OLYMPUSは、信者といえるほど好きだったのですが、これ以上付き合って行くわけには行かないと決心しました。でも、特に手放す気はなく、壊れるまで使いつづけるが、メインは、移行しなければと考えました。確かに、あの決心以降は、OMの稼動率は下がりました。ただ、いざと言う時のため、時々動作させて、予備と考えています。

2002年1月の終了アナウンスの後、購入したのは、キャップ類だけです。新品のレンズはいまさら買う気もなかったし、中古価格も高騰して、眺めているだけです。部品取りを物色しても、それすら、高いのですから、あきらめぎみでした。最近は落ち着いてきて、中古価格全体が下がっている現状では、そのうち、CanonのFDレンズや、その時代のボディーのようになるのではと、期待しています。







この写真は、OM-1です
正面から見た形がいちばん好きです。この小型のボディーには、50mm/F1.8が似合っているように思います。
モータードライブ使用できるように、改造してはいません。プリズムは、腐食しています。モルトはボロボロです。外側も腐食しているところもあります。シャツター幕はまともです。シャッターも切れます。スローガバナーもまあまあまともに動作しています。アクセサリーシューは取り付けた痕は残っていますが、三脚には、取りつけた形跡はまったくありません。わずかに、底にアタリ痕があります。モルト交換で、すぐに現役復帰可能のようです。プリズムは、ドナー探ししていますが、安いドナーは無いので、高くてもOM-10を何とか入手しなければと考えています。
以前に「今月のカメラ」に出した、M-1,OM-1ブラック、OM-2は、オーバーホールに何度か出したためか、プリズム腐食しているものは、ありませんが、残念ながらこいつだけは、中古で買ったため、腐食したようです。でもなんとか現役復帰させてやりたい。

OMシステムで欲しいものはと言われると、最後に、21mmが欲しかったのですが、Nikkorの20mmで、なんとかやっていけますので、無理はやめました。あとは、できるだけ、壊れずに、長く動いてくれよと祈るだけです。M-1,OM-1(2台)は、メカシャッターなので、そこそこ、動作してくれると思います。カビの生えたレンズは、一本もないのが、自慢です。ちょこちょこ使っていたのが良かったのでしょう。



もう春です。今年は、雪が少なくて、屋根の雪降ろしは、1回で済みました。除雪機の稼働日数もきわめて少なく、除雪機用には、ガソリンの購入は、1回で済みそうです。写真撮影は、暇をとれず、暇があるときには、天気が悪くと、さんざんでした。
今月も遅れてしまいました。

(2003.3.8)


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