2. 私の大学院体験記:総括と評価

2-2-1 大学院中退者のその後

大学院を出た人の多くは非常勤講師として生活すると思いますが、この悲惨さは様々な所で語られています。私はこれを経験しませんでしたので何とも言えませんが、非常勤講師の生活の情報は大学院情報より容易に手に入るはずです。ここではこれ以下の選択、すなわちアカデミックキャリアからのドロップアウトの道を選択するとどうなるかを述べて見ます。

大学院を中退した人のその後の人生は、非常に厳しいものになります。まず職がありません。しかしそれは当然のことです。大学院を中退すると30歳前後であるのが普通ですが、この年まで社会経験がないのはある意味致命的です。言語学習については、十台前半までくらいにある言語を習得できないなら、その後それを「外国語」としてしか習得することはできないことは広く知られています。これは社会生活にも言えることで、20台前半までに社会人としての基本を体験しないと、その後それを体験したとしてもそれは「外国語」としてしか身に付かないのです。大学院生はこの時期を通常の社会とは極端に異なる集団の中で過ごすことによって、致命的なハンディを負います。その一方でプライドだけは高いのが普通で、一般の会社から求められないのは当然です。

さらに、大半の大学院生は専門の研究分野以外に何の取り柄もないと思いますが、その研究は社会的には全く何の価値もないのが普通です。つまり社会人としての能力的価値が低いと言うことです。結局何の資格も持たず、活かせる程の語学力があるとか、心理学などのカウンセラーなどの専門的経験があるとか、経済などの社会に直結した知識を持つとかいうのではない大半の人は、アルバイト経験がある受験産業に職を求めると言うことになります。しかしながらこの業界が少子化の直撃を受ける構造不況業種であることは明白です。専任となったとしても将来的には極めて不安定ですし、非常勤などの地位ではいつ職がなくなるかまったく分かりません。

それでは経験のない他の業種を選択できるかと言うと、これはもっと難しいのが普通です。日本は徹底した年齢差別社会、言い替えればやり直しのきかない社会です。本人の内容と無関係に年齢だけで将来性を制約したり門前払いを食わせたりするのが普通です。まして何の経社会験の無いものが30過ぎから「新人として1から始めます」という意志を表明しても、嘲笑を浴びせられるのが関の山です。というか、そういうものに嘲笑を浴びせるということが日本社会の常識的対応なのです。

万が一比較的安定した職に就くことができたとしても、なかなか難しい問題があります。まず挙げられるのは、職業に興味が持てないことです。もともと研究が好きで大学院に進んだ上に、それ以外のことに時間を割くのは無駄だと言う生活をすっと続けていたのですから、これもある意味当然のことです。しかしもちろん会社はそれではやっていけません。研究を全くあきらめたり、趣味として生活と完全に切り離せれば問題ありません。しかしそうでないときは悲劇です。本人も頭で理解しているはずなのですが、つい思考は好きな研究のことに戻りがち、仕事はおろそかということになります。興味の持てない仕事を生活のためと割り切ったつもりになって続けるのは非常に苦痛です。一方外から見ると、やる気がないのは隠しようがありません。もともと30過ぎまで社会の役に立たないことをしていた準社会的落後者は人一倍やる気を見せなければならないはずです。それなのにこれなのでは、雇用者側から睨まれるのはもちろん、同僚からも孤立してしまいがちになります。

また雇用者側から見ると、年齢だけ高くて経験の浅い人間をどう扱うのかは非常に難しい問題です。業界によっては年齢と無関係に経験のみで判断すると言う所もあるでしょう。(中年の新人が息子のような若いマネージャーに怒鳴られるというような世界です。)これならある意味まだ救われますが、雇用側から見れば、新卒の無経験者と大学院中退の無経験者のどちらかに仕事を出そうとするとき、将来性のある若い人に重要な仕事を渡そうとするのは当然でしょう。つまり会社内の地位がいつまで経っても不安定、あるいは低いままということが考えられます。このような立場の人物は周囲もどう接して良いか分からず、結局会社内で孤立化するということになるでしょう。

学部生の方や大学の中にいる人は想像がつかないでしょうが、かなり多くの一般社会人は、「大学の先生」に対して非常に強い軽蔑と嫌悪の感情を持っています。私も社会に出るまでこれを知りませんでした。しかし大学院中退者はそれからさえ落後してしまった愚か者です。そのような過去を公開すれば社会からの激しい軽蔑と偏見の目に晒されることになります。(私は何度も経験しました。)一般社会で生きて行くのなら、大学院中退者はその過去をひた隠しにせねばなりません。(履歴書の長い空白をどう合理化するかは頭の痛い問題です。)しかも大学院中退という忌まわしい過去は自らが選択した結果なのです。言い替えれば同情される余地がないといことです。これは社会に対して秘密を隠し続ける苦痛を倍増させます。

さらにもう一つ覚えておくべきなのは、実際の理由がどのようなものであっても、大学院を中退することになったのは100%本人の側に原因があったからだされてしまうと言う点です。つまり本人に研究能力がなかった、言い換えれば無能だったからだとか、本人に社会的適応性がなかったからだとか、そもそも本人は研究者を目指すような人物でなかったからだ、と判定されるということです。私の例はともかく、実際アカデミックポストを諦めるのには無数の理由があるはずです。そこには本人の側にもその他に起因するものも複雑に入り組んでいるものです。しかし周囲からは常に100%本人の側に原因があると評価されます。(これは一般社会人もそうですが、アカデミックポストにある人、目指す人の方によりそう判断する傾向が見られます。さらに、この人は「特殊」な人だ、これは「特殊」なケースだ、と断定します。付け加えておきますが、私がこのようなホームページを立ち上げたのは、「特殊」どころか私の例にはかなり多くの人に通じる「普遍」があるのではないかと考えているからです。思い違い、思い上がりでないことを祈ります。)

こうして大学院中退者は、断ち切れない研究への思いと、社会への不適応感を抱え込んだまま、忌まわしい過去を押し隠しながら低所得層の一員として生きて行くことになります。

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