2. 私の大学院体験:総括と評価
2-1 失敗の原因
私の大学院経験の総決算を試みましょう。まず失敗の原因は以下のようにまとめられると思います。
1) 大学院における指導教官の持つ役割の重大性を全く認識していなかった。
今から思えば無知もいいところだったのですが、学部生のころは指導教官の持つ役割の重大性を全く認識していませんでした。これを読んでいる学部生の方の中には私のような愚か者はほとんどいないでしょうが、なんといっても真っ先にこのことを心得ておく必要があります。
[詳細2-1-1 「指導教官の持つ役割」へ]
2) 「授業」や「演習」があり、「教官」と「学生」がおり、「授業料」を納めていたせいで、どのような大学院も(したがってX大学も)教育機関として一定の機能を果たしているという幻想を抱いてしまった。
大学院における「教育」と言うものについて、学部生の方は大きな思い違いをしがちです。それが幻想であることに気付いて下さい。
[詳細2-1-2 「教育機関としての大学院」へ]
3) 形式上の指導教官に色々な意味での指導を期待できなかった。尊敬もできなかった。また専攻分野で指導を仰ぐべき教授に学問的力量の点で問題があった。
大学教授とはどのような人種なのかという点については、体験して見てはじめて分かったことがほとんどです。学部生の方からは見えにくい部分でしょう。大学院で成功するためにはまず大学教授を知ることです。
[詳細2-1-3 「大学教授というもの」へ]
4) 以上の事態を認識し大学院を変えることを決意するが、近隣に適当な大学院もなく、経済的事情から遠方の大学院に変わることもできなかった。
大学院での成功するための最大の条件は良い指導教官につくこと、これに尽きます。とはいうものの、これに比べればおまけのようなものですが、その他の条件も存在します。これは学部生の方からは最も見えにくい部分でしょう。そしてそれが理解できたときはもはや遅いと言うのが普通です。私が自分の失敗を公にしようと考えたのも、そのような手遅れの状況に陥る人をできるだけ減らせればと考えたからです。
[詳細2-1-4 「その他の条件」へ]
5) 大学教授に対して恐怖感を感じるようになり、たとえ大学院を変えても研究を続けることができないことが明白になった。
これについては理解してもらうのが難しいことかも知れません。
[詳細2-1-5 「大学教授恐怖症」へ]
2.2 負債
次に大学院経験によって負った私の人生における負債を挙げて見ましょう。
1) アカデミックキャリアから落後することで、結果として一般社会人として取り返しのつかないハンディを負った。
大学院から落後して、はじめて世の中には「取り返しがつかないこと」が沢山あることが分かりました。
[詳細2-2-1 「大学院中退者のその後」へ]
2) 何をしてもどうせダメだという発想しか浮かばなくなった。
自分なりに活路を見出す努力をしてみたが、遂に一度も実を結ばなかったという経験がこの原因であることは明らかです。一度でも何らかの成果があれば少しは変わったかも知れません。しかし原因はそれだけではありません。このような発想は「常に最悪のケースを想定する」という、必要に迫られて自分から身に付けた習慣なのです。
[詳細2-2-2 「ある習慣」へ]
3) 多額の借金を負った。
奨学金のことです。その額は消費者金融からの借金だったら、間違いなく個人破産となるほどの額です。借りたものを返すのは当然です。返済は長期に渡りますし、利子が付かないので個人破産となる心配はありません。しかし借金は借金です。また、低収入者にとってはその返済は決して容易ではありません。
[詳細2-2-3 「奨学金返済」へ]
4) 鬱病を抱え込んだ
鬱については色々な話もありますが、大学院を離れ、大学教授と接しなくなった現在では問題なく生活しています。(「鬱鬱」とすることはありますが、それは病気としての鬱とは全く別の、単なる気分程度のものです。質が違います。)とはいうものの、再発しないかという恐怖にいつも怖えて過ごさねばなりません。これは間違いなく最大の負債です。
[詳細2-2-4 「鬱という病」へ]
2.3 大学院に対する感情
最後に、現在私が自分の大学院体験に対して持つ感情を述べて見ましょう。
1) 不条理感
私にとっての大学院は、一言で言うとカフカ的世界だったと言えます。明らかに優雅な別の世界に住んでいる人々がいる。私もその一員に加わりたいと願い、論文や書類を持って右往左往する。しかし至る所で目論見は外れ、予想外の悲劇に巻き込まれ/巻き起こして苦しむ。自分が考えたことが正しいのか誤っているのか、自分は馬鹿なのかそうでないのかすらまったくわからない。そして気が付くと処刑の場に立たされていた。そんな気分です。
2) 未達成感
最も残念なのは学問そのものに触れられなかったことです。大学院に進もうと考える人は、金が欲しいとか有名になりたいとかいう欲望より、純粋に学問を知りたいと考えるものがほとんどです。多少の障害があっても、学問に触れる喜びさえあればそんなものは苦にならないはずです。そしてできるなら自分の能力を学問の場で試してみたいと考えるはずです。しかし私はそのいずれの経験もしませんでした。学問は一人だけで行うものではありません。碩学の話を聞いたり、様々な討論や批判から自分の考えを鍛えて行くことがあってこそ自分の研究が進むのです。私は何年も大学院にいながら、そのような機会はほとんど全くありませんでした。(例外は数回あった集中講義と、体験記で触れたフレーゲの演習のみです。)そのような場で次第に自分の実力不足を認識し、納得して大学院を辞めたのだったらまだ気持を切替えられるのですが、自分の持っているものを自分で見切れないままになっているのは耐えがたいものがあります。残念の一言に尽きます。
3) 無力感
残念というより非常にやるせないなのは、途中から自分の状況のどこに問題があるかに気が付いており、かつ解決策も分かっていながらどうしようもできなかったことです。体験記を何度読み返してみても、私の結末は私にとって不可避であったとしか考えられません。すべての出来事に対して一つ一つ思い返してみても、やはり各時点で同じように考え、同じように行動し、結局同じ結果になったであろうと思います。従って、もし自分が学士入学の時点まで(頭の中も含めて)戻って、再び同じ方向へ進み始め、同じ出来事に直面するという歴史を外から眺めたとすると、同じように追い詰められ、同じように大学院を辞めざるを得ない状況に陥る同じフィルムを見直すようなことになると思います。そういう意味であのときああしていればという悔いはありませんが、その一方で何か大きな力のようなものについて思わざるを得ません。これを変えようとして、私は自分なりに考え、行動したつもりでした。しかし私は自らの力でこれを変えることはできませんでした。周囲に頼れる人がいないのも状況を変える経済力がないのも運の問題でしょう。しかし同じ立場にあった人が経済力の差からいとも易易とこれを乗り越えたのを見せつけられると、自分の運命について思わざるを得ません。(先に首都圏に移った方の大学院生は、才能もあった上に移った大学院が素晴らしい環境だったせいもあって、現在ある大学の助教授職に就いています。)