2-1-2 教育機関としての大学院
大学院に在籍し、さまざまな状況を経験する中で、私が大学院における教育に対して抱いていた思いの多くは幻想だったことが分かりました。ここではそれについて述べてみましょう。
大学院体験記の中で、様々な教授の行った授業や演習に対して、私はそれは教育として極めて不適切であったと批判しました。また教授が様々な関心を持つことは、教授自身にとっては望ましいことでも、学生にとっては必ずしも望ましくないこと、そしてそれを認識していないことに対して、指導者として無責任であると批判しました。このような批判に対して常に持ち出される反論は、「勉強は自分でするものだ」と言うものです。事実本を読んだりものを考えるのは自分自身で努力するほかにありません。また教授が手取り足取り学生にものを教えてくれることを期待するのは確かに誤っています。がしかし、だからといって初心者にいきなり専門性の高い授業をしたり、質問に答えない演習をしたりすることが許されるはずがありません。多くの場合このような言い方は教官の怠慢や無能の言い訳にされているに過ぎないように思われてなりません。
この点に関して是非指摘しておきたいことがあります。それは、一体大学院は教育機関なのか、選抜機関なのかという点です。自動車教習所とマイナーリーグはこれらの両極端にあります。自動車教習所は入所するもの全員を一定水準に到達させることを目的とします。従って能力の劣るものにより多くの指導をなすべきで、能力の秀でたものは放っておいても良いことになります。一方マイナーリーグは有能なものを選抜・育成することが目的です。従って能力の秀でたものにより多くの指導がなされるべきであり、能力の劣るものは放っておいても良いことになります。もちろんこれらは両極端であって、大学院はそのいずれの側面をも持ち合わせていると考えるべきでしょう。それを踏まえた上で是非次の点を指摘したいと思います。それは、一般に教育に関して無関心なすべての教官は大学院をマイナーリーグのように考えているという点です。(もちろん私の指導教官で手抜きで有名なB教授様もそうでした。)彼らは大学院での指導教官は何の指導もせず、何の手本も示さず、学生にケチをつけるだけであるのが正しい態度だと思っています。なぜなら、彼らによると大学院ではそのような中でも頭角を現すもののみをが生き残れば良いからです。彼らはこのような発想を大学院を選抜機関と見做すことで正当化しようとしています。しかしはっきり指摘しておきたいのですが、彼らはそれが自分たちにとって楽だからそうしているのです。いかなる選抜機関にも単にケチを付けるだけの指導者などいません。私には彼らは自分に都合の良いような勝手な解釈を捻りだしているだけとしか見えません。そして何の指導もせず、何の手本も示さず、罵詈雑言を投げつけられてつぶれてしまった大学院生を見て「ほら見ろ。俺の見立てたとおりあいつは駄目だったんだ。つぶれたこと見るとそれは明らかだろう。」と言います。
もう一つ是非言っておかねばならない点は、彼らは学生が「授業料」を払っていることに何の考慮もしていないという点です。そんなことを言ったなら「君は学問を商売のレベルで見る俗物だね」と言われるに違いありません。しかしそういう教官に次のことをはっきり言っておきます。もし学生が「お布施」とか「学力査定手数料」とか「学位授与手数料」という名目のお金を大学に払っているのなら特に問題はないと思います。しかし、専門の大学院生にしか分からない授業を聞かされたり質問にも答えてもらえないのに「授業料」だけ取られたなら、それは一般社会では「詐欺」と呼ばれる犯罪行為です。もっとも大学の中では社会と異なる常識が通用しているのですから、大学の中ではこれはきっと何か私には分からないアカデミックな難しい名前が付いた正当な行為なのかも知れません。少なくとも大学教官の間ではこれは「犯罪」ではないという共通の理解があるようです。彼らは一体何で給与を得ているのか、大学院の教育を考えるとき、私はこの点を絶対に落してはならないと考えています。
付け加えるなら、私が大学院の経験の中で少しだけでも心の慰めになっているのは、「授業料」を免除され続けたことです。もし免除されなかったなら、私は大学院に金を払って精神病になりに行ったことになります。(ちなみに、授業料を払っていない人間は受けた「教育」について批判する資格はないという批判に対しては、では彼らは批判されるところは全く無いのか、とだけ言っておきます。)現代の日本で、どのような定食屋で食事を注文しても、うまいまずいの差はあるにせよ、少なくとも食品が出て来ることは確かでしょう。しかし大学院を定食屋に例えるなら、栄養豊富な食事を出すところもあれば、石ころや果ては毒を出すところまであると言えると思います。その上で代金を取られるのです。(そういう意味では、大学院は定食屋ではなく風俗店に例える方が適切でしょう。)これから大学院へ進もうと思う人は、大学院とはこういうものであるということを認識し、その選択には慎重の上に慎重を期して下さい。
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