3. 結語

以上で私の覚え書きは終りです。いくつか言い残したことは別に挙げることにして、最後に付け加えたいと思います。

ここまで読んでこられた方は、大学院に進むと言う行為が、いかに人生に取って危険の大きいことか、失敗したときに取り返しのつかないことになるかについて、十分に理解されたことと思います。最悪の場合、鬱病から自殺に至ると言うことになりかねませんし、そこまで行かなくとも、莫大な借金を背負った上に社会の辺境で満たされることのない生活を続けることになる可能性が大きいのです。

もちろんそのような結果を覚悟の上で、なお困難な道を選ぶことを妨げようとは私は思いません。また全員が私のような経験をするとも考えられません。しかし問題は別の所にあります。それは、大学院の負の部分についての情報が少な過ぎるということです。もし私が大学院在籍時にそのような情報を得ていたら、少なくともいくつかのトラブルは避けられ、また取り返しの付く程度の失敗で納めることができたかもしれません。冒頭でも書いた通り、私の醜悪な体験をこうして掲載するのも、大学院進学希望者がこれを読むことで少しでも自分にプラスの形で活かすことができたらと願うからです。

私は、大学院側の無責任も糾弾されて然るべきだと考えます。最近は少子化対策なのか、大学院拡充を図る大学が増えています。しかし、大学院の負の面を広く知らせることなく安易に定員だけを増やそうということは、失敗した場合の重大性を考えると極めて危険なことであるのは、ここまで読んで来られた方は同意して頂けると思います。私にはこのような安易な大学院拡張は狂気としか思えないことです。しかし大学院で失敗をしたときにはどのような結果になるかを大学院自身が警告している例など見たこともありません。もちろん大学院の裏情報については、その公開を大学院に期待しても無理です。それは次第にネット上で得られる情報として増えてくるようになるので問題ないと思います。しかし、少なくとも各大学院は、過去の在籍者とその就職状況を公開するべきであると考えます。これによって、自分が進もうと考える大学院は、過去10〜20年で一体何人アカデミックポストへの就職者がいるのかという情報から、その大学院についてある種の判断がつくことになります。もちろんこの情報をどう用いるかはその人次第です。どうしてもある研究室に行きたいというひともいるでしょう。また私のような経験を悲惨とは思わず、そのような経験をしてでも好きな研究を続けたいと言う人もいるでしょう。そのことはもちろん何の問題もありません。しかし、 情報を持っていて、それに対して自己の判断を下した上で行動したなら自己責任の範囲ですが、最初から情報を持てないのはアンフェアーです。大学院に進むということの帰結の重大性を顧みるなら、それに見合っただけの情報を公開するのは大学院側の義務であると思います。

私の指導教官だったB教授は、めでたく御退官され、現在ではあるマンモス私大でビールを少し飲みながら第二の人生を送られているようです。もちろん国家公務員だったのですから、国民の税金から死ぬまで年金が送られるはずです。このような優雅な生活と、低所得層で不適応を克服しようと努力しながら満たされないものを抱えて過ごす生活とには、その大きさに愕然とする程の落差があります。これこそが大学院における勝ち組と負け組の差です。最後にもう一度繰り返します。これから大学院に進もうと考えている人は、この落差をしっかり見つめて、己の進むべき道を選択して下さい。

表紙