2. 私の大学院体験記:総括と評価

2-2-4 鬱という病

鬱に付いてはいくつか印象に残る経験がありますので、以下に列挙してみます。(専門家の方はどう思われるでしょうか。)

第一に挙げたいのは、私は鬱をうつされたということです。もちろん鬱は伝染病ではありません。しかし私は次のような経験をしました。昔アルバイトで教えていた生徒が鬱病を発病し、救いを求めてか私の家に尋ねて来るようになったのです。精神科にも通っていました。最初は保護者と連絡を取りながら私も対応していたのですが、ついに手に余るようになり、関係を絶ちました。しかしこの結果、既にかなり悪かった私の症状は劇的に悪化しました。自分が鬱に傾いているときに、より症状が進んだ人に接すると、引きずり込まれるように症状が悪化するということはあるのでしょうか。もしそうなら、自分も鬱的傾向にあると自覚している人は、よりひどい症状を呈している人を避けるべきでしょう。自己防衛です。

最も印象に残っている事は、朝起きた数秒だけは症状が出ないということです。鬱状態にあるときには、自分が鬱状態であることを常に強く認識しています。この感じは切れ目なく1日中続きます。ところが不思議なことに、目覚めの後の数秒は、全く壮快な状態なのです、その後、一気に鬱の状態に変化します。後は寝るまで変化しません。なにしろ毎日の事なので、非常に印象に残っています。

もうひとつ、些細なことで状態が悪くなると言うことが印象に残っています。例えば、気分転換に古本屋に行ったところ、定休日で閉まっていたら、それだけで一気に状態が悪くなります。昨日見たあの本はやっぱり買っておこうと思い、本屋に出かけた所、既に売れていた場合などもダメです。どうも何かを「し損ねる」「無くす」などがだめなようです。こんな些細なことが、と理性では思っていても、精神状態は自分でコントロールできません。鬱傾向にある人は、このように鬱を悪くするようなことは、些細なことでもできるだけ避けるべきです。

鬱状態に陥って、何故人は鬱になるとあんなに簡単に自殺するのか、少し分かった気がします。普通の人が普通に生活している限り、やはり死には非常に大きな恐怖や抵抗を感じるものです。しかし鬱になると、そういう抵抗が薄らいでしまうのです。例えば知らない場所に行ったり、知らない人と合うことには必ずある程度の抵抗を感じるものですが、慣れてくるとだんだんその抵抗が薄らぐものです。丁度それと同じ感じで、死に対する抵抗が薄らぐのです。(化学反応を自殺に、反応エネルギーを抵抗にたとえるなら、鬱は触媒に相当するとも言えるのではないでしょうか。)だから鬱状態で自殺した人について、後に残された人は、彼はさぞ恐い思いをしただろうと言うかもしれませんが、実際はそうではないと思います。彼はふっと顔を背けるように、あるいはその場で回れ右をするように死ぬのではないかと思います。むしろ自分にまとわりついている鬱そのものの方がずっと苦しいのだと思います。

総括と評価:目次


表紙