The First Days
2000.2.19

   「できはしない」とわたしはいった     
「もう子供でも鳥でもないんだから」
                                  −W・H・オーデン

 

  「最後なんだから!」という話がその前から続いていていることは、いた。最後にみなさんで走っておきたいねぇ、という話が出ていた中、卒業ツーリング「卒ツー」において決まっていたことは“2月の19日、ニコタマの環八と246の交差点の付近のタマビの近くのジョナサンに16時に集合”ということだけだ。また行き先は“西へ、とりあえず目標は富士山”ということしか決まっていなかった。

  とにかく、自転車の用意は防寒対策以外は“いつもの”用意を適当にして出発した。雪が積もってるかも知らん、まぁ寒いだろうという想定のもと、防寒対策としては汗をかいても蒸発するTシャツ(パタゴニア)にフリース(ウォーラス)、風を防ぐ雨具(パタゴニア)、雨具(ノースフェイス)、ダウンジャケット(古着屋で¥2,000でかった)とコーデュロイのズボン、雨具(モンベル)、スノボ用のズボン、ネパールで買った帽子、スキーで使うグローブ、登山用靴下を持っていった。

  お昼頃、家の前で自転車に荷物を積み込む。向かいの家のおばさんに「またいくの?」なんていわれる。「いやぁ、ちょっと4,5日いくだけなんですけど・・」というと、そのおばさんはその隣にいた親戚?に「あの子は自転車で海外に行ったのよ!」とささやく。なにか不思議な感触を残したまま、13時に家を出発する。

  14時ころ国道6号、隅田川のほとりの言問橋のファミマで一本休憩を入れる。ここはよくお世話になるところである。そして、レンタルCD屋に借りたものを返すためにお茶の水に向かうとさすが2月の土曜日だけに神田は大混雑をしていた。そのなかに日本を3周くらいできるくらいの荷物を自転車につけて、音楽をガンガンにかけながら走っている自転車野郎がおもむろにCDを返しに行くと民衆はさぞかし不思議そうに私を見つめていた。

  そこから皇居、永田町のあたりを通って国道246号をひたすら西に向かった。週末の表参道やら渋谷やらを音楽をけたたましく流しながら走る自転車野郎。都内Runは信号も車も多いけどオーディエンスも多いので万歳である。予定地近くで一本取り、そして予定地のジョナサンがみつからない。うろうろしているとばったり戸塚のラーメンライス系冒険旅人I氏、俗称「イーシャン」とであう。「なんて意味の分からない集合の仕方なんだろう!」と感動しながら、ニコタマのこぎれいなケンタで時間をつぶすことに・・。

  18時過ぎ、府中のマッチョ系冒険旅人K氏、俗称「チョーサン」がニコタマに到着。K氏は家からぶっとばしてきたものの37度を超える熱があるもよう。そしてどこからどうみても浮いて見える3人はケンタで閉店まで時間をつぶしこの日は多摩川の河川敷でカップラーメンを食ってビールを飲んで寝た。一人で焚き木をしている若い娘がいたのが何人かいたのが恐かった。