春のフランスを旅する(5) 田舎にホームステイ(3) 2017.4.19〜4.22
4月21日(金)晴れ 知人宅泊
《朝の空気は清々しい》 《鶏3羽:毎日卵を産む》
朝、農場をひとりで散歩してみた。まだ耕していないので雑草が伸び放題。ただ、この草は暫くして近所の農場の方に頼んで
牛の餌として無料で刈って貰うことになっているらしい。そして、秋になったら大きな耕耘機で畑を耕して貰うのだが、これも何か
ギヴ&テイクで無料でやってくれるらしい。近隣の農家の方たちに助けられながら、若い彼らは着実に準備を進めている。
ただ、今は毎朝、野ウサギが出てきて、試行的に作っている収獲間近の《ジャガイモを掘り起こされてしまった》と言って
嘆いていた。
ところで、彼らが目指しているバイオ農業とはどういうことか?簡単に言うと、化学薬品や化学肥料を使わず、有機農法と
いうことになろうかと思う。種子や苗の段階から何処のバイオ農場で栽培されたのかもチェックされる。フランスにおける
バイオ農業は日本とは比べものにならないくらい厳しい審査があるらしい。最初1年掛けて試験栽培をし、2か所の監視機関
によるチェックを受けて、合格すると認定マークを付けて出荷できる。しかもそのチェックは認定後も不定期に常時あるという。
違反すれば直ちに取り消される。そう言えば、最近フランスではバイオの認定マークの付いた野菜などがスーパーでも目に付く
ようになってきた。フランス人も健康志向に目を向け始めたということなのかもしれない。
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朝ご飯には、昨日市場で買って来たガチョウの卵を目玉焼きにして食べた。《大きい!》 大きさも重さも、鶏の卵の3倍は
ある。値段も一つが2.2ユーロ(250円位)だった。肝心のお味の方は、(^_-)-☆ 黄味は濃くて大変美味しかった。
《ガチョウの卵とその目玉焼き》
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《春の景色:菜の花畑と若葉》
午後からドライブに出掛けた。これまで何度もフランスに来ているが、4月は初めてだった。緑が綺麗で、丁度菜の花畑が
満開。本当に綺麗だった。度胆を抜かれたのはルピナス(藤のぼり)の畑。辺り一面のムラサキ色。しかもその向こうには
菜の花の黄色。何だか異次元の世界にいるようであった。
アンジェはブルターニュとの境に近い。中世の頃にはケルト民族とブルトン王国とのせめぎ合いが続いていたという。
従って、その国境には結構大きなお城が沢山ある。その代表的なお城に連れて行ってくれた。《シャトーブリアン》重厚感
のある大変立派なお城で、昔の栄華を感じた。
《シャトーブリアン》
4月22日(土)晴れ Angers10h26--(TGV)--11h26Paris Montparnasse Paris 泊
《若いご夫妻がアンジェの駅まで送ってくれた:お世話になりました》 《駅構内にピアノの音が響く:素晴らしい!》
《結局どこの紙幣か分からず終い》
TGVでパリまでノンストップ。1時間の旅である。パリ・モンパルナスの
駅からバスに乗ってホテルに着く。預けておいた手荷物を受け取ると
その中に封筒が入っていて、以前間違って換金された件について、
マダムが換金所と交渉して希望通り元のユーロに戻しておいてくれて、
紙幣が入っていた。感謝感謝であった。(^_-)-☆
【プラハでのアクシデント】
ビッグ・アクシデント
ダヴィッドの家にはテレビがないため知らなかったが、前々日の4月20日(木)夜、シャンゼリゼ通りでテロがあった。
ホテルのテレビでは、選挙のことが大々的に取り上げられているが、そのテロについても報道されていた。
土曜日の午後、やはりあまり人の多く集まるところへは行く気にならず、日本への土産を買いにスーパーに出掛ける
程度にした。
4月23日(日)晴れ Paris 泊
当初、パリ郊外のセガン島に日本人が設計した音楽堂ができたというので見に行く計画をしていたが、テロのこともあり、
何だか行く気になれず、ホテル界隈を散策した。近くの役所には、大勢の人の列。第1回目の大統領選挙である。日本の
選挙と違うところは、投票用紙に名前を書くのではなく、《候補者の名前の印刷された用紙が机の上に置いてありそれを
取って投票箱に入れる》とのことであった。勿論、どの候補者の用紙を取ったかは分からないようになっている。先進国で
記名式の投票をしているのは日本だけらしい。識字率がほぼ100%の日本だからこそのことである。
《投票所に並ぶ人々:選挙への関心は高い》 《夜のテレビは選挙一色》
4月24日(月)晴れ Paris CDG21h55-------(JAL)------16h30(25日)成田18h30-----19h45CHU
一夜明けて、選挙の結果も出た。前夜、近くのバステイーユ広場で一部の若者が騒いだと聞いたが、朝の街はほぼ落ち着いた
雰囲気であった。私たちは、午後から市内の知人宅にお邪魔して過ごし、夕刻、シャルル・ド・ゴール空港へと向かった。
そして、飛行機は予定通り離陸。座席は、どうしたことか、これもテロの影響か3割位しか埋まっていなかった。こんなに
空いていたのは初めてだった。手足を伸ばしてゆっくり寝ることができた。
25日(火)夜自宅に戻る。楽しかった長い旅は終わった。