春のフランスを旅する(1)田舎にホームステイ  2017.4.8〜4.12

4月8日(土)晴れ Praha9h40〜〜〜(AF)〜〜〜11h30Paris(CDG)                   パリ泊

  パリに戻った私たちは、先ずホテルのマダムにプラハで
 使えなかった紙幣のことを話した。ホテル近くの換金所は
 土日で店が閉まっていたため、2週間後再び私たちがパリ
 に戻ってくるまでに、マダムから換金所の主人に《話だけ
 でもしておいて欲しい》と頼んで、紙幣と計算書を渡した。
                      注《前ページ:プラハ


《いったい全体、これはどこのお金?》

アクシデント-その1
 ホテルで一息して、午後、近くのスーパーマーケットに出掛けた。日本への土産はいつも帰る日の前日位から
急いで買っていたが、暇のあるうちに買っておこうということで、コーヒー、クッキー、スープの素などなど結構沢山
カゴの中に入れた。その時、何やら放送がかかると、店内にいる買い物客がレジの方に移動し始めた。《夜食べ
るヨーグルトを買い忘れたワ》と家内が言うので、私がヨーグルト売り場の方へ行こうとすると、店員が《もうダメで
す》と両手を広げて行かせてくれなかった。《ダメだって!》と言って戻り、かなり混んでいたレジの列に並んだ。
そして、また放送がかかると人々は何かそそくさと店の外に出ていく。私たちは《ようやく自分たちの番が来た》と
思ってレジの台に買ったものを乗せようとすると、店員が《もうダメです。すぐに表に出てください》と言う。回りを
見ると、客はいつの間にか、私たち夫婦と私たちの後ろに並んでいたおばあさんだけになっていた。仕方なく買っ
たものを店の買い物カゴに入れたまま外に出ると、警察官が沢山居て、《早く向うの方に行ってください》と人々に
促していた。私たちも何が起きているのか分からぬままに、赤白のテープが張ってある交差点まで移動をした。
店の近くで信号待ちをしていたバスの乗客も降ろされて避難している。スーパーの隣近所の店からも店員や客が
出されている。《何があったのですか?》と近くにいた人に聞いても《分からない》と言う。( ゚Д゚)
 ただ、辺りには何か緊張感が漂っていた。

     
     《スーパーマーケットを中心に50m位は立ち入り禁止の赤白のテープが張られていた》

 その後、立ち入り禁止のテープは30分位で解除されたため、私たちはスーパーに戻り、買い物をしてホテルに
戻った。そして、ホテルのマダムにそのことを話すと《最近、大型ス−パーでの爆破予告事件が続いている。それ
なのではないか》とのことであった。
 それにしても、周りの人々がササッと店の外に出て行った様は、敏感に反応する緊張感の現れであると感じた。
それに比べ、私たち夫婦の緊張感のなさを味わった出来事であった。(>_<)

4月9日(日)晴れ Paris(Austerliz)12h28----(IC)----14h01Vierzon                知人宅泊
エキサイティング-その1
 3泊4日で知人宅にホームステイする。列車に乗るのは午後。午前中ホテルの回りを散策しようと思い、出発の
準備を終えた後、外に出た。すると、何やらブラスバンドの軽快な音楽が聞こえてきた。行ってみると、人人人。
道路を埋め尽くしている。走る人。応援する人。聞いてみると、《パリ・マラソン》であった。参加者5万7千人。
シャンゼリーゼ、オペラ座などパリ市内の観光名所を殆ど網羅して走る。私の居た場所は、リヨン駅からバスティ
ーユ広場に通じる道路。プラタナスの緑が本当に綺麗だ。拍手しながら応援する人、《アレ、アレ!》(行け、行け)と
大声で応援する人。私たちも偶然出会ったイヴェントに少し興奮しながら応援していたが、30分程経っても走る人
はまだまだ途切れそうになかったので、適当な処で引き上げることにした。それにしても、マラソン大会というより、
お祭りの感じで私たちもその雰囲気に浸ったひと時であった。(^_-)-☆


《パリ・マラソン:アレ、アレッ!》                   《ブラスバンドまで出て応援》

 
《パリ・オステルリッツ駅:電車を待つ人々》          《車窓から見た一面の菜の花畑:春》

アクシデント-その2
 電車はフランスの大地を軽快に走り、予定通りヴィエルゾン駅に着いた。駅にはパトリックご夫妻が迎えに来てくれて
いた。昨年の春以来1年振りである。《ボンジュール、サバ?》(元気?)とお互いに声をかけ、ビーズ。(抱き合って、
ほほを付ける)《マリーズにお願いがあるのですが。》《何でしょう。》《実は、インターネットで切符を買ったのですが、
間違えて二重に買ってしまったのです。窓口に一緒に行って、払い戻しの手続きして貰えませんか。》
 私は、航空券もフランス国内の国鉄の切符も出来るだけ事前に自宅でインターネットで買って出かけるようにして
いる。ところが今回、これから行くポーからボレドーまでの区間の切符を既に買ったということを忘れていて、再び買って
しまったということなのだ。払い戻しの手続きは自分一人では心もとないので、奥さんのマリーズに手助けを頼んだという
わけ。 《いいわ、一緒に行きましょう。》と彼女は窓口に向かった。私は後から続き、窓口へ。《ボンジュール》若い女性
の駅員がにこやかに迎えてくれた。マリーズが切符を見せて説明している・・・・。《インターネットで買った切符は、インタ
ーネット上からでないと払い戻しができないようよ。》ということであった。仕方ない。《今晩、息子のダヴィッドに家でやって
貰いましょう。》ということになった。

エキサイティング-その2
 《さあ、出掛けましょう》とマリーズが言って、私たちは車に乗り込んだ。《今日は私の孫、コンタンの18歳の誕生日
パーティよ。》駅から20分程車で走って、田舎の集会所のホールに着いた。中に入ると、パーテイはもう始まっていた。
フランス人にとって、18歳の誕生日は特別のようだ。日本でいえば成人式、元服。結婚パーテイ同様、大々的に披露
宴をするらしい。大人、子ども等親戚縁者総勢25〜6人程が集まっている。。マリーズが先ずコンタンを紹介してくれた
後、今度はコンタンが、自分の母親や父親を紹介してくれた。ところが、彼には父親が2人いる?今の実の母親が離婚
していて、別れた旦那、つまりコンタンの実の父親もパーテイに来ているのだ。しかも、別れた旦那が再婚していて、
その奥さんと子ども、コンタンから言えば異母兄弟、紹介されても何が何だか分からなくなってしまった。ましてや、
名前など覚えられない。大勢いるはずだ。実は、フランスではよくあることで、子どもたちも異母兄弟など、兄弟姉妹が
増えた位の感じと受け留めるらしい。離婚した相手と仲良くすることなど日本ではとても考えられないことである。フラン
ス人の結婚観・離婚観の違いを感じた。

         
        《親戚縁者が大勢集まっての18歳誕生日パーテイ》

 
《プレゼント披露》                                             《感極まって母子の抱擁》

  
《前菜》                               《メイン料理》                          《主人公のコンタンがケーキカット》

 宴は進み、プレゼント披露。出席者はプレゼントを事前に本人の自宅に届け、当日、誰からのプレゼントとは言わず、
本人が開封して披露してお礼を述べるのだ。ハガキや心温まる言葉などでも良い。ご祝儀(お金)を持って行くことはない
らしい。私は、事前にこの宴に招待されていることを知っていたので、『溜水穿石』(リュウスイセンセキ)と筆で私が書い
た額を日本から持参して差し上げた。筆で書いたものが珍しかったのか、大変喜んでくれた。
 また、コンタンの子供のころからのビデオを見た後、母親が息子への思いを話し、感極まって涙した時、息子のコンタ
ンが優しく母親を抱擁したのを見て、会場に来ていた人たちは皆感動し、静かに見守っていた。母親の気持ちに共感を
覚えたのであろう。

***************

 パーテイが終わり、私たちはホームステイするパトリックの家に向かった。ご夫妻が私たちを出迎えてくれたヴィエルゾン
の駅の近くを通り、国定公園の森を抜けて、小一時間で着いた。すると、彼らの息子のダヴィッド夫妻はもうパーテイから
戻っていた。実は、この旅行の最後にアンジェの近くに住むダヴィッドのところへもホームステイさせてもらうことになってる。
ただ、今回私が切符の二重買いをしてしまったので、彼は直接自宅に帰らずに、親の家に立ち寄って貰ったもの。直ぐに、
インターネットでその手続きをしてもらったのだが、結果は、その切符《払い戻し不可の切符》であったため徒労に終わって
しまった。(>_<)私のために遅くまで付き合い、面倒なことをしていただいたことに申し訳なかったと詫びると、《何の、何の、
1週間後に会えることを楽しみにしています。》と言って、午後9時過ぎ、彼らは3時間は掛かるという自宅に車で帰って
行った。

4月10日(月)晴れ 田舎を満喫
 《今日はどこへ行きたい?》《特に行きたい所はないワ。敢えて言うなら、スーパーマーケットかな? 元々あなたたちに
会いに来て、おしゃべりすることが目的だから、あちこち行くことはないワ。》 マリーズと家内の会話である。ここ数年来
毎年のようにホームステイさせてもらっている。午前中は家でゆっくり過ごし、午後からお土産や夕食の食材を買うために
スーパーマーケットに行った。そしてその帰り、木々の緑が綺麗なチョットした水郷に寄って4人で散歩した。

 
《桜の花びらが水辺に浮かび、春爛漫》

  
《夕食:奥さんのマリーズは料理上手》 《イースターでは仔羊を食べる習慣?》

4月11日(火)晴れ ご夫妻の友人宅へ
エキサイティング-その3
 午前8時半、マリーズの友人の家に《ブーダン》を作りに行く。ブーダン:豚肉と血のソーセージである。私は2回程食べたこと
があるが、それを作るのは勿論初めてである。途中肉屋さんで豚肉とその生血を購入。そして、9時半頃友人宅に着いた。
そして、直ぐにブーダン作りに取り掛かった。

   
《玉ねぎ、パセリをみじん切りにし、それと豚肉を合わせて、ミンチにする。私も挑戦》 

  
《胡椒、白ワイン等を加えた豚の生血の中に、ミンチした豚肉等を入れ、手でよくかき回す》                       《塩漬けした豚の腸》

   
《豚の腸の中に漏斗(ジョウゴ)を使って、材料を入れる》        《腸をぐるぐる手で回して10〜15cmの長さに整える》 《85度の熱湯で20分茹でる》

 
《茹であがったら、約20分程風通しの良いところで冷ます》              《ブーダンの出来上がり!》

   
《ボナペテイ!》(どうぞ、召し上がれ!)

【感想】
 腸の皮は食べず、中身だけを食べる。見た目はグロテスクだが、味は、少しの塩気もあり、豚肉の味が良く出ており美味
しかった。何はともあれ、珍しさもあって2本も食べた。赤ワインにはピッタリ。以前に2回ほどレストランで食べたが、少し
臭味があり、食べづらかった。しかし、出来立てのブーダンは全く臭いがなく、むしろ豚肉の甘みさえ感じた。フランス人に
とってのブーダンはその見た目から敬遠する人もいるようだが、グルメ族には応えられないとか。ただ、設備の関係から
これを自分で作る人は殆どいないそうで、普通のフランス人でも経験できない大変貴重な体験をした。

4月12日(水)晴れ Vierzon8h49---(SNCF)---14h15Toulouse
 パトリックのお宅は、パリから南へ約150km。世界遺産の大聖堂のあるブールジュの郊外。リンゴ畑が広がる田舎の村
にある。パトリックの息子さんのダヴィッドが、7〜8年前留学生として来日していた時に知り合い、パトリックご夫妻が日本
に来た時は我が家に1週間程ホームステイされた。その時からの付き合いである。ただ、4月に来たのは初めてで、リンゴ
の白い花が満開の丘陵は、木々の緑と相まって本当に見事であった。

     
     《パトリックのお宅:木々の緑が目に沁みて本当に素晴らしい》

 
《リンゴ畑の広がる丘陵地》