70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅡ-③ 2016・08・06~08・29
『「巡礼」は、フランス語では「ペルリナージュ」と呼ぶ。何らかの聖なる性格をまとわしめられた土地に向かい、
心には尊崇、献身、信仰の思いをしっかとこめて、幾山河をも越えて旅することをいとわぬ情熱がそれである。
フランス文化を愛して、これを極みまで学び究めようとねがうならば、ついには、このような性格の旅へと最後は
収斂していくはずのものではないだろうか。』 =「フランス巡礼の旅」田辺 保著 朝日選書=
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Limoges(リモージュ)---Perigueux(ペリグー)---Port Sainte Foy(ポート・サン・フォイ)---Bazas(バザス)
---Mont de Marsan(モン・ ド・ マルサン)---Orthez(オルテズ) 歩行日数24日間
歩行距離:493.3km 歩数:725、063歩 (万歩計) 1日平均:2055km ザック重量:約10kg
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8月11日(木)晴れ:Thiviers(ティヴィエ)---Sorges(ソルジュ) 22.1km(100.7km) 32,544歩 Gite泊(1泊2食:20€)
ガイドブックによれば今日の宿泊地、ソルジュまでは14km程とある。それで、いつもより遅く9時15分頃ホテル
を出た。ティヴィエはこの地域の中心都市と言えども、30分も歩くと田舎道となった。少し先の農家から、何とも言
えぬ聞いたことのない『ボー!』というような動物の鳴き声が聞こえてきた。行ってみると、ロバの親子がいた。
『お腹が空いたヨー!』と鳴いていたのか、マダムがリンゴを抱えて出てきた。『ボンジュール!』『可愛いですね。』
というと、彼女はそのリンゴを一つ私にもくれた。(^_-)-☆
家並を抜けて1時間もすると、ベルギー人のジュリーが追い抜いてきた。彼女は昨日はキャンピング場に泊まった。
素泊まり10€で、美味しいレストランもあったとか。『プールでは思いっきり泳いだワ。楽しかった。』と。《あなたも泊ま
れば良かったのに。》と言いたげであった。続いて、レンヌのステファンもやって来た。若い人は歩くペースが速い。
私はゆっくり、ゆっくり、一歩、一歩である。先輩の言葉、『歩いておれば、いつかは着く』 《一歩、一歩》と歩く
テンポに合わせ、ひとり口に出しながら歩いた。
2時間程歩いたところで自分の居場所が分からなくなってしまった。しかし、先に進むしかない。森の中、分かれ道で
何処を探してもサン・ジャックマークがない。見ると、ステファンもマークを探しながら、ウロウロ、ウロウロ。『チョット
ここで待っていて。』と言って、私が100m位行くとあった。『ステファン!あったよ~!』と純正日本語で叫ぶ。(^_-)-☆
不思議なものでこういう時は日本語でも通じるのだ。
11時半頃、広い道(ナポレオン道)に出た。ステファンは行ってしまった。自動車がかなり通る道ではあったが、自分の
居場所がはっきりしたので、道端の草むらに座り昼食とした。ここまでくれば後はこの真っ直ぐな道を行くのみ。30分程
休んで食べ、《あと1時間半!》と気合を入れて重たいリュックを背負った。《真っ直ぐに延びるナポレオン道を行くのみ。》
と思って行くと、道路標識があり、《6kmThiviers⇔Sorges8km》とある。『エーッ!まだそんなところにいるのか?(>_<)
頑張ろう!』と自分に言い聞かせ歩く。車が来る。『車、1台!』と指差し、声に出して自分に注意喚起をする。電車の
運転手そのもの。そんなことをしながら10分も直線道路を歩いて行くと、サン・ジャックマークがあった。右折して森の中に
入って行くようになっている。ガイドブックではとにかくソルジュまで1直線の道路を行くようになっている。交通事情などから
コースは時に変更されることがあると聞いている。《自動車がビュンビュン走る道を行くより、森の中、田舎道を歩く方が
歩きやすいし、第一楽しい。》と思い、標識に従って右折して綺麗な森の中へ行く。15分もすると、大きな木の下でジュリー
が休んでいた。《ヤー!ジュリー》《ここでお昼ご飯を食べていたの。AKIはもう食べたの?》 1時間程昼食の時間を取り
ゆっくりしていたのだという。《すばらしいことだ。》私はというと30分。忙しい昼食だった。私もリュックを降ろして、草むら
に座る。水を飲む。生ぬるい水が咽喉を通っていった。(>_<)
《一直線に続くナポレオン道》 《レ・ジャッキーの教会》
《アスファルトと石の家の隙間からグラジオラスが出て花を咲かせていた》 《町外れの道標:巡礼を見守る》
一足先にジュリーが出発した。サン・ジャックマークに添って歩けば迷うことはないのだが、ガイドブックとは違う道を
歩いている。今、自分がどの辺にいるのか聞いてみた。《レ・ジャッキーだよ。》 地図で確認すると、ナポレオン道から
はかなり離れており、ソルジュまでは随分大回りだ。
《*歩けども なかなか着けぬ 巡礼路*》
《馬草の刈り込みが済んだ畑の脇を行くジュリー》
《ようやくソルジュに着く》 《珍しいコンクリートのサン・ジャックマーク》
《ソルジュのGite外観》 《Giteのマダムが作ってくれたスープ、ガスパチョは美味しかった》
遠かった。本当に遠いと思った。午後1時半には着けるだろうと思っていたが、実際に着いたのは3時を過ぎていた。
『カラン、カラン、カラン、カラン』 私は、以前尾瀬に行ったときに買った小さな《カウベル》をステッキに付けて歩いて
いる。勿論、皆と同じように帆立貝も付けているが、カウベルを付けて歩いている人はいない。ソルジュの町には私が
最後に着いた。《カラン、カランという音がしたので、AKIが来たのが分かったわ。》とジュリーが言った。ステファンも
頷いていた。
Giteに入ると、まず、クレデンシャル(巡礼の通行証)を見せ、タンポン(印)を押してもらう。そして、名前、国、今回
何処から何処まで歩くのか、手段(歩き、自転車、ロバ)などを聞かれて記録される。他では聞かれたことはなかったが、
《ガイドブックは?》と聞かれたので、2014年に歩いた時にパリで買い、今回も使っている本を見せると、《この本は
10年も前のものよ。ルートが変更されているところもあるから参考にならないわよ。捨ててしまっても惜しくないわ。》と
マダムは私の本をゴミ箱に捨てる仕草までした。
Giteのマダムはエネルギッシュな女性だった。日本びいきで、空手初段。来年には四国巡礼に行きたいと言っていた。
《途中、サン・ジャックマークが無く、迷ってしまった。》と彼女に言うと、彼女は憤慨しながら『時々、記念にと言って、
持っていく人がいるのよ。』と。これはいけない。<`ヘ´> ただ、こんなことは後にも先にも1度だけだったが。
8月12日(金)晴れ:Sorges(ソルジュ)---Perigueux(ペリグー) 25.9km(126.6km) 38,056歩 Gite泊(1泊朝食:15€)
《Giteのマダムが見送ってくれた》
《一面に広がるひまわり畑:目を見張ってしまう》
今日も快晴。予定では今日の行程はいつもより沢山歩く。心して、Giteのマダムに見送られて7時半に出た。歩く
のが遅い私は一番先に出た。軽快にシュマン(巡礼の小道)を行く。1時間程歩いただろうか。右足の第4指がや
けに痛む。靴を脱いで見てみると血が出ている。第3指(中指)との間で爪が当たり血が出てしまったらしい。バン
ドエードを捲いて手当をしているところに元気なジュリーが歩いてきた。《どうしたのですか?》《ム・・・、指を痛めて
治療をしている。大丈夫!それより、多分ジュリーとはここでお別れだね。》《あ~、そうですね。》《気を付けて!
元気でね。》と言って、私たちは握手をして別れた。実は、彼女は今日ペリグーまで歩いて、そして国に帰るのだ。
その後、緑の森が続く。ナショナル・フォリストということで、キャンプ場やバンガローがあり、家族連れがヴァカン
スで森の中で過ごし、楽しんでいる様子だった。日本の夏休みの過ごし方とは少し違うようであった。また、ハイキ
ングコースや散歩コースも整備されており、多くの人たちと出会った。サン・ジャックマークもきちんと付けてあり、
森の中で迷うことはなく、陽にかがやく綺麗な森の緑を楽しみながら歩いた。12時近くとなったところで、丁度、
森から国道に出た。自分の居場所も確認できた。ここまで来ればもう1時間と少し。丁度ベンチがあったので昼
食とした。ジュリーは早々と私を追い抜いて行ったが、ステファンは一向に来る気配はなかった。。
《森の中を散歩している人たち》
昼食時間を45分取りゆっくりした。《さあ、出発!》と気合を入れて国道を歩き始めると、前方の電柱に
サン・ジャックマークと赤白のX点マークがあった。これまで、赤白の二本線とサン・ジャックマークは良く見た、
というよりほとんどその2つはセットになって表示してあった。その時《赤白のX点マークは、行ってはいけな
いというマーク》とGiteのマダムが言っていたことを思い出した。右手を見ると、赤白の二本線のマークが
あった。《こっちだ!》私はそう判断して、急な坂道を登って行った。また、森に入った。その後、森の中
ではサン・ジャックマークはないが、赤白の二本線はあった。途中、散歩している人たちとも言葉を交わし、
快適な気持ちで歩いた。しかし、いつまでたっても赤白の二本線はあるが、サン・ジャックマークはない。
少し不安だった。しかし、もう1時間も歩いている。戻ることはイヤだった。しばらくすると国道に出た。
大きな看板に”Perigueux→”とあった。《ヤレヤレ!》と思って歩いているうちに、今度は、赤白の二本線
もなくなってしなった。《アチャー!》 この時、初めて《道を間違えた。》と気付いた。(>_<)
遠くの丘の上に教会の尖塔が見えた。《取りあえず、あそこまで行ってみよう。》 15分程歩いて行くと、
教会の前にMairie(市役所)があった。開いている。ホッとしてドアを開けて中に入る。『Bonjour!』クレデン
シャルを出して印をもらい、「私はこれから歩いてペリグーに行きたいのですが、道に迷ってしまいました。
ここは何という町ですか?」と聞くと、男性の職員の方が、「ペリグーの隣の町です。10分程で行けますよ。」
「 エーッ!10分?」 私はにわかには信じられなかったが、ホッとしてペットボトルの水を飲んだ。その男
性は、『私も巡礼の道を歩いていて迷ったことがあります。もう少しですから頑張ってください。』と言って、
市役所の裏のドアから出て、親切に教えてくれた。「ともかく、この道をドンドン行けばペリグーです。」
《ペリグーの隣町、シャンセヴィネルの教会遠望》
勇気100倍。元気を出して歩き始めた。(^_-)-☆・・・・・・ところが、ところがである。歩けど、歩けど道は続き、ペリグー
の町の雰囲気は全く感じさせない。歩いて10分というのは聞き間違いだろうか?それでも、この道に間違いはないはず。
・・・・30分も経ったろうか、丁度日影にベンチがあったので休むことにした。《こんな時、チョコレートかビスケットの一枚でも
あったらなあ。》と思った。まだ水が少しあったので咽喉を潤すことはできた。また、気を取り戻して歩き始めた。10分も
すると町並みに入った。丁度その時、若いマダムが手に何か小さな白いビニール袋を持って門から出て来た。どこかに
行くのだろう。『ボンジュール、マダム!私はこれからペリグーに行きたいのですが、この道を行ったら良いのですか。』と
聞いてみた。すると彼女は少し考えて、『私の車で行きましょう。』と言う。私は自分の耳を疑った。確かに、《自分の車で》
と言った。しかし、ここで乗せて貰うには余りに厚かましいと思い、『ありがとうございます。でも私は歩いて行きます。』と言
うと、『まだ10kmはありますよ。』『エエーッ!10km?・・・』どうなっているのだろう。さっき市役所の人は《歩いて10分》と
言っていた。マダムは10kmあるという。今日はもう25kmも歩いている。これから10kmはとても歩けない。『申し訳あり
ません。乗せて行っていただけますか。』
門の中から、マダムが車を出してきた。『どうぞ、ペリグーの何処まで行きたいのですか?』『今日泊まる宿がペリグーの
駅の近くですから駅までお願いできますか。』 車は軽快に走り出した。車中、『私は日本人で、今回はリモージュからオル
テーズまで歩いている。今日は道に迷ってしまった。高校の教師をしていた。旅行が好きで今年の3月には家内と二人で
ペリグーに来た。今回は私一人です。・・・・』などなど、いろいろ話をした。15分もすると、ペリグーの国鉄の駅に着いた。
降りてから、丁寧にお礼を言って、100円ショップで買った土産用の扇子を差し上げると、本当に恐縮したが受け取って
くれた。そして、《暑いから》と言って、車の中からアイスクリームを出してきてくれた。今度は私の方が恐縮してしまった。
そして、別れ際、彼女の方から《ビーズ》(ほほをくっ付けて挨拶をすること)をしてきた。『ありがとうございました。』(^_-)-☆
《*迷い道 心をもらう 巡礼路*》
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【後日談】
帰国してからグーグルマップで、彼女に乗せて貰ったところがどの辺りなのか調べてみた。距離としては
4km程。従って、歩いてれば1時間は裕に掛かったであろう。市役所の人が言っていたのは車で10分な
のであろう。それにしても本当に助かった。ありがたいことであった。彼女やBruceなどいろいろな人たちに
助けられて歩いているのだということを実感した。
便利な世の中である。グーグルマップのストリートビューで彼女の家の前に住所が書いてある標識を見つけ
た。早速お礼のハガキを書いた。ハガキには上の写真を印刷した。ただ、名前を知らない。住所に《マダム》
とだけ書いた。果たして届くだろうか。
つづく