70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅡ-④ 2016・08・06~08・29

Limoges(リモージュ)----Perigueux(ペリグー)---Port Saint Foy(ポート・サン・フォイ)---Bazas(バザス)
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Mont de Marsan(モン・ ド・ マルサン)---Orthez(オルテズ)  歩行日数24日間
歩行距離:493.3km 歩数:725、063歩 (万歩計) 1日平均:20.55km ザック重量:約10kg

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  《クレデンシャル(巡礼手帳):リモージュからのタンポン(印)》
  
  
《通過する町の市役所やGiteなどで押印してもらう》

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=第8日目=

8月13日(土)晴れ:Perigueux---Chancelade 10.4km(137.0km)  15,293歩 CH泊(1泊2食:18€)


《威風堂々のペリグー大聖堂》  *ペルラン(巡礼者)の 心の支え 大聖堂*

 
《大聖堂に向けて、サン・ジャックマークがある》    《大聖堂前の広場は青空市場で賑わっていた》

 ペリグーのGite(巡礼者用簡易宿)ではステファンと2人だけだった。彼は『昨日2時にはペリグーに着いて
いた。』と言っていた。私が道に迷っている間に着いていたらしい。彼とはラ・コキーユであって以来4日間一緒
だったが、彼は私から話さない限り、彼から話してくることはなかった。毎年3週間のヴァカンスの内、2週間を
この企画にあて、3回目の挑戦とか。1回目はヴェズレーからブールジュ、2回目はブールジュからリモージュ、
そして、今回、リモージュからバザスまで歩くのだそうだ。
『ヴェズレーからの道』を着実に歩いているのだ。
そう言えば、確か彼は足の裏に豆ができて痛がっていたが、ペリグーのGiteではもう大丈夫だったようだ。
巡礼路を歩く人の7~8割の人は、足に豆ができて悩まされる。私にはその悩みが無い。ありがたいことである。
 ということで、彼は午前8時頃、St.Astier(サン・タスティエ)に向けて出発した。私はリモージュから1週間歩き、
《ここらで一休み》ということで、午前中はペリグーに滞在し、午後から隣町のChancerade(シャンセラード)まで歩く
ことにしていた。9時前にGiteを出て、まず大聖堂へ行った。毎週土日は市内のあちこちの広場で青空市場を
やっていて、町の人たちでいっぱいだった。

 『3月に2人で来た時閉まっていたレストランで昼食を食べます。』と久しぶりに家内にメールを打つと、直ぐに
返事が来た。『食の都、ペリグーで美味しい料理を満喫してきてください。』
(^_-)-☆ 


  
《アミューズメント》           《アントレ:前菜》               《プラット:メイン》

【アミューズメント】焼きパンの上にスモークサーモン&黄トマトベースの冷スムージー
【アントレ:前菜】パンの上に人参、マッシュルーム、エスカルゴ、バターソースが掛かっている。それを薄切
          りのズッキーニで捲き、オーブンで温めてある。
【プラット:メイン】マグレ・デ・カナール(鴨の胸肉) 白ワインソース:絶品!(^^)! 34€(赤ワイン付き)

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                                《シャンセラード修道院とその内陣》

 昼食を終え、午後1時15分にChanceradeシャンセラードに向けてPerigueux(ペリグー)を出発した。快晴。今年一番
の暑さのようであった。汗が噴出してくる。『ワインを飲んだ所為かなあ?
』 家並を行くため日影が無い。フランス語
で『暑い』は"Chaud"(ショー)という。『ショ(暑)、ショー(Chaud)、ショ(暑)、ショー(Chaud)』と歩くテンポに合わせ、
ひとり口に出して歩いた。
(´Д`)
 
今日泊まるCH
(シャンブルドット)のマダムとは午後4時にシャンセラードの修道院前で待ち合わせている。ゆっくり
歩いても3時半過ぎには着いた。プラタナスの日陰のあるベンチに座って待っていると、4時前にマダムが車で迎えに
来てくれた。娘さんも乗っていた。CHはシャンセラードの町の中かと思っていたら、車は田舎道を20分程走って停ま
った。田舎も田舎、限界集落。山に囲まれている大きな農家だった。『家は農家ではないのだけど子供が9人いて、
大きな家が必要だったの。15年前に引っ越して来たのよ。今は下の子2人と夫の4人暮らし。部屋は一杯空いてい
るわ。』と言って、マダムは私を部屋に案内してくれた。今日泊まるのは私一人らしい。
 ともかく暑い。直ぐにシャワーを浴びたが、それでも暑い。『プールで泳いだらどう?』と言ってマダムが水泳パンツを
貸してくれた。ただ、このプール結構深くて、とても背が立たない。
『私は金鎚、泳げないのだ。』(>_<) 『こんなところ
で事故でも起こしたら一大事』と思い、ザブンと1回浸かっただけで止めた。水風呂に浸かったようなものだった。
 夕食は9時頃から始まり、終わったのが10時半。眠くなってしまって早々に寝た。


                      
《大農家のシャンブルドット》

=第9日目=

8月14日(日)晴れ:Chancelade----St.Astier 21.3km(158.3km)  31,354歩  Gite泊(1泊朝食:20€) 


《修道院遠望》                                    《カナル(運河)の側道を歩く》


《イスル川に架かる立派な自転車、歩行者専用道》             《メロンが美味しかった》

 Giteのマダムはフランス時間だった。7時に朝食を頼んでいたのだが、彼女が起きてきたのは7時15分を過ぎていた。
彼女はそれからやおらシャワーを浴びて、結局、朝食を済ませて出発したのは7時50分。車で送ってもらい出発地点の
修道院に着いたのは8時を過ぎていた。
 直ぐに歩き始めたが、どうも最初から標識を見間違えていたらしい。庭先の菜園で仕事をしていた年老いたマダムに
聞くと、やはり違っている。もとに戻ろうかと思ったが、『脇の路を上がると広い道に出る。』と教えてくれたのでそれに
従った。。約600m程のロスをしたが、森の中の修道院が上から見えて、それはそれで良かった。その後、正規のルート
に戻り、以後は順調に進むことができた。途中、『こんな道を行くのか?』と思う程、草ぼうぼうで狭い路もあったが、サン・
ジャックマークに助けられて歩いた。逆に、
『標識が無ければとてもじゃないが歩けない。』と思った。

 森から出て、Annete
(アネット)という町に着いた。市役所前広場にベンチがあったので昼食タイムとした。ただ、昼食は
相変わらず。鰯の缶詰、リンゴ、パン、水。少し飽きてきた。『明日は、スーパーで生ハムでも買って、サンドイッチにしよう。』
ゆっくり1時間の休憩時間を取り出発。カナル(運河)の両側に大きなプラタナスの並木道が延々と続く。その木の日影を
快適に歩く。
(^_-)-☆ 自転車と歩行者専用の大きな橋も架かっていた。ところが、そこからが大変だった。農道や里道を
歩くことになり、日影のない炎天下の猛烈な暑さ。汗が噴き出してくる。水を飲む。汗が出る。その繰り返し。
((+_+))
 
*ペルラン(巡礼者)の 夏の宿敵 熱中症*

 
キャピングカーの脇でビールを飲んでいる家族がいた。子供たちは周りを走り廻っている。直ぐ近くにベンチがあったので
リュックを降ろして休憩とした。英語で話掛けてきたのでてっきり外国人かと思ったら、私が目指す"St.Astier"に住んでいる
という。日曜日で遊びに来ていたらしい。親切にも『水は持っているか?コーラは飲まないか?食べ物はあるか?』と聞かれ
たが、後1kmもすれば今日の宿泊地"St.Astier"に着くので、全て丁寧にお断りした。が、『メロンはどう?食べないか?』と
言われ、これには飛びついた。美味かった!
(^_-)-☆



 
橋の向こうに大聖堂が聳えて立っていた。サン・タスティエにようやく着いた。これから宿探しをしなければいけない。昨夜
シャンブルドットのマダムが5~6軒電話してくれたのだが見つからなかった。かくなる上は飛び込みで直接交渉。20km以
上歩いた重たい足を引きずりながら、ガイドブック片手に訪ねた1軒目はヤッパリだめ。思い直し2軒目。CH
(シャンブルドット)
入った。『ボンジュール!』と大声で呼んだが返事がない。ソファーがあったのでリュックを降ろして、
『もう動んぞ!』とばか
りに座り込んだ。そこへ泊り客らしい3人の女性が街から帰って来た。事情を話すと、親切にもCHのマダムを呼んできてくれ
た。『今日何とか泊まれないだろうか?』『CHは一杯だけれど、Giteなら空いているワ。』1泊朝食付きで20€。
(^_-)-☆
 
シャワーを浴びて洗濯をした後、少しベッドの上に身を横たえた。疲れていた。暑さのためだろう。身体が火照っている。
再び、今度は少し冷た目のシャワーを浴びると、ちょっとホッとした。夕方になり、街へ出る。広場のテントでアイスクリームを
売っていた。元来、私はアイスクリームやソフトクリームを好む方ではない。ただこの時ばかりは
咽喉も渇き、『食べたい!』
軽い熱中症なのかもしれないと思った。レストランで夕食を取ると、早々にCH(シャンブルドット)に戻り寝た。


=第10日目=

8月15日(月)晴れSt.Astier---Mussidan===Perigueux  32.5km(190.8km)  47,880歩  Gite泊(1泊朝食:15€) 

 

 
朝食は素晴らしいロケーションのテラスで食べた。高級ホテルに泊まったかのような気分だった。午前7時、ようやく
辺りが明るくなってきた。今朝の気温は15°、結構寒い。朝早いので私一人で朝食。テラスの前にはイスル川が流れ
ている。冷たい空気の中、白鳥や鴨の親子連れが川藻をついばんでいる。クロワッサンと熱いコーヒーが美味しかった。
今日はこの旅で一番沢山歩かなくてはいけない。覚悟してCHを午前7時半に出発した。ルートに変更があったのだろう。
ガイドブックとは違う道を歩いている。しかし、標識がきちんとしているので迷うことはなかった。ムシーダンまでは25km
以上もある。疲れて歩けなくなれば、途中から電車に乗って行けば良いと考えていた。

 快適な森の中から出て少し歩くとDouzillac
(ドージリャック)の教会に着いた。1時半だった。教会の前にカフェがあったので
リュックを降ろして休憩をした。冷たいビールが咽喉を心地よく通過した。《ムシーダンまでは9km近くあるが、隣町までは
4kmだ。そこで国鉄に乗ればムシーダンには4時半頃には着けるだろう。》と思い、出発することにした。マダムは大変気
さくな女性で、私のペットボトルに冷たい水を入れてくれた。
(^_-)-☆

 
                          
ドージリャックのカフェのマダムと》

 隣町のSt.Louis(サン・ルイ)の町までは意外と時間が掛かり、町の中心にある教会の広場に着いたのは3時半だった。
万歩計によればもう25kmは歩いている。予定通りここで国鉄に乗ろうと思い、自転車でやって来た通りがかりの男性に
『この町の国鉄の駅はどこにありますか?』と聞くと
『この町には駅はありませよ。』アチャー! 当然あるものと勝手に
思い込んでいたのだ。私のいい加減な予定の立て方が災いとなった。結局、ムシーダンまでの5kmの道のりを歩かなく
てはならない。疲れがどっと出た。
(>_<)

 
午後の炎天下、車のビュンビュン走る国道の側道を、疲れた身体で『あと少し!あと少し!」と唱えながら歩いた。ムシ
ーダンの町の北のはずれの入り口に着いたのは午後4時35分だった。
『まだ、市役所か観光案内所は開いているはず。』
町の中心部を通り過ぎ、観光案内所には4時45分に着いた。ドアには『月~金 9時~17時 オープン』とある。
《間に合
った!今日は月曜日のはず》
 しかし、扉は閉まっていてびくともしない? 中には誰もいない。電気も点いていない。すぐ
近くの市役所も同じように開いていなかった? 丁度そこへ3人の若者が来たので聞いてみた。『17時まで開いていると
書いてあるのに、今なぜ開いてないのですか?』『今日はナショナルホリデーです。』
(>_<) 8月15日は『聖母被昇天祭』
と言ってフランスの祝日なのだ。うっかりしていた。そういえば町の商店街もかなりの店が閉まっていた。
《さあ、どうするか?》

 
近くにホテルはない。《街中に戻ってホテル探しもきついし、もしなかったら・・・》 考えるだけで疲れを感じた。かくなる
上は、
《ペリグーの町まで行けば何とか泊まることができる。国鉄で戻り、明日朝、またここまで来れば良い。
それが一番確かな選択だ。》
と結論づけた。駅に向かった。15分位掛かってようやく着いた。疲れていた。それも
そのはず、万歩計を見ると、
47,880歩 歩行距離32.5km》であった。

***************

 『今度のペリグー行きの電車は、何時にありますか?』『18時37分です。』 丁度電車は出たところで次の電車まで
たっぷり1時間はあった。
《泣き面にハチ》(´Д`)

 
ペリグーの駅には19時に着いた。まだ、明るかった。駅前には3軒のホテルがある。このことは知っていた。しかし、
私は取りあえず3日前に泊まった、駅から歩いて5分のGiteに行ってみた。呼び鈴を鳴らすと、直ぐに管理人のM.ポール
が出てきてくれた。彼は私を見て
『エッ!どうしたのですか?』とびっくりした様子で言った。私が事情を話すと、『大丈夫、
泊まれますよ。どうぞ中に入ってください。』と丁寧に私を迎えてくれた。
(^_-)-☆ 


                                                              つづく