70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅠ-③ 2014・08・07~09・01
Paris(パリ)--①②--Olreans(オルレアン)===(SNCF:鉄道)===Bourges(ブールジュ)--③--Issoudun(イスーダン)--
--Gargilesse(ガルギレス)----La Souterraine(ラ・ソテレーヌ)----St.Leonard de Nobelt(サン・レオナル・ド・ノブラ)
総歩行距離:472.4km 総歩数:706,517歩 (万歩計) 実質歩行日数24日 1日平均:19.68km
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『「巡礼」は、フランス語では「ペルリナージュ」と呼ぶ。何らかの聖なる性格をまとわしめられた土地に向かい、
心には尊崇、献身、信仰の思いをしっかとこめて、幾山河をも越えて旅することをいとわぬ情熱がそれである。
フランス文化を愛して、これを極みまで学び究めようとねがうならば、ついには、このような性格の旅へと最後は
収斂していくはずのものではないだろうか。』 =「フランス巡礼の旅」田辺 保著 朝日選書=
「巡礼の路」はフランス国内では4つの町から出発する。パリ、ヴェズレー、ル・ピュイそしてアルルである。
私はパリを出て、オルレアンから友達の住むブールジュに行き、そして、「ヴェズレーの道」を歩くコースを選び
(下図の青い線のコース)、今回はサン・レオナール・ド・ナブラまで歩いた。(約472km)
【赤の下線はこれまでに私が行ったことのある町】
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8月17日(日)晴れ:Bourges市内:準備
【ブールジュ大聖堂:世界遺産】
【ブールジュ駅前のホテル】2泊で78€ 安い!(^_-)-☆
=巡礼のシンボル、サン・ジャック(青い貝印)がある。=
《大聖堂の中では結婚式が行われていた。子供が赤い服でおめかしをして讃美歌を歌った。》
市場の雑貨屋でケース付小型懐中電灯(2€)と 5徳万能ナイフ(3€)を買い、誠に重宝した。 店の大将は陽気なおじさんだった。(左写真) |
8月18日(月):晴れ:Bourges(ブールジュ)---La Chapelle(ラ・シャペル)---Le Subdray(ル・サブドレイ) 10.0km 15,409歩
ブールジュの巡礼の起点は大聖堂である。祭壇に向かって旅の安全を祈り、いよいよ再出発。まずは
足慣らしで、この日は午後1時には予定していたホテルに入り、翌日以降の準備をした。
実は、あご髭を生やしてみた。日本を出発する前から、
なぜか生やしてみようと思っていた。フランスでは多くの
人が生やしているし、アクセサリー程度のことである。
ただ、自分の顔に髭が生えたらどんな人相になるかは
興味があった。パリに着いてから生やし始めたが、髭は
歳の為か思ったより生えてこなかった。近いうちに床屋に
行ってきちんとやってもらうとどうなるか、多少の楽しみ
でもあった。
最初から帰国時には剃って帰ることに決めていた。
8月19日(火):晴れ:Le Subdray---Monthmier(モントミエ)---Villeneuve sur Cher(ヴィルヌーヴ・シュル・シェ)---
---Grosbois(グロスボア)---Charost(シャロスト) :23.7km 35,844歩
晴れた田舎道を歩くのはとても気持ちが良い。ところどころにお城がある。個人所有のお城であろうか、車が1台止まっていた。 |
ヴィルヌーヴのキャンピング場の林の中で早い昼食をしていると、何やら声が聞こえた。見ると、少し離れた
通りから巡礼風の夫婦連れが手を振っている。パリを出て、初めて巡礼の人に出会った。思わず、《お~い!》
と純正の日本語で叫び、手を振った。なぜか嬉しかった。近くに来るかと思ったが、彼らはそのまま行き過ぎて
行ってしまった。
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シャロストのホテルはブールジュで予約しておいた。予定通り2時頃に着いた。流石に背中には汗をかいている。
すぐにシャワーを浴びてさっぱりした。その後、クレデンシャルにスタンプを押してもらうためにホテルからすぐ近くの
メリー(市役所)に出掛けた。ところが、閉まっている。《市役所まで夏休み?》(>_<)
ホテルに戻ろうとしていると、どこかで見たことのある二人連れ。「お昼にヴィルヌーヴでお会いした方ですか?」
"Oui!"彼らも私のことを覚えていてくれた。思わず二人と握手をした。
「これからメリーに行って今日泊まるジット(簡易宿舎)の手続きをするんだ。」
「メリーは閉まっていますよ。」
「いや、3時から開くはずです。昨日電話で確かめてあります。」
「私も一緒に行っていいですか?」
「勿論!」
ということで、私は彼らに付いてメリーに行きタンポン(クレデンシャルにスタンプを貰うこと)して貰った。彼らもタン
ポンして貰い、ジットに泊まるために備え付けのノートに二人の名前等を書いた。
「今日、あなたはどこに泊まるのですか?」
「私はホテルです。もう荷物も置いてきています。」
「そのホテルはいくらですか?」
「2食付きで65€だったかな。」
「高い!ジットは食事はないけど10€ですよ」
この後、私は彼らのジットへ行き、その設備のすばらしさに驚き、巡礼に対するフランス人の考え方を知った思い
であった。彼らから夕食を一緒にと誘われたが、すでにホテルに予約した後だったので残念ながら断った。ただ、
『明日イスーダンまで一緒に歩いてくれますか?』というと、快諾してくれた。
【マルセーユのご夫婦:チャーリー(夫)とシルビーと共に】 【シャロストの市役所前】
8月20日(水)晴れ:Charost---Issoudun(イスーダン) 13.61km 20,804歩
前日『朝食を一緒にしないか』と誘われ、まだ明けやらぬ午前6時半に彼らの宿舎のジットに行く。簡単に朝食を済
ませ、7時に出発。最初は、舗装してある幹線道路で迷うことなく歩けたが、20分もすると分かれ道に巡礼の『標識』
があった。いよいよChemin(シェマン:小道)に入った。広い畑の農道だった。
【この標識を目当てに歩く。この場合は右へ行く】
「標識を確認しながら行けば迷うことはない。」と教えてくれた。なるほど
ところどころに標識がある。天気は良いし、地平線まで見える広い広い畑
をどこまでも行く。昨日までの小生ではこのような農道にはとても入ってこ
れなかったろうと思う。空が広い。空気が美味い。大きな気持ちになる。
「AKI!、どっちに行ったら良いか考えて!」と言って、私に標識を探させ
たり、一緒に写真を撮ったり、『サンチャゴ・デ・コンポステーラへの道』の
歌を歌ったり、自分が映画の主人公になったような気分に浸った、本当
に楽しいひと時だった。イスーダンには午前10時に着いた。彼らは私を
町の中心にある観光案内所に連れて行き、その日のホテルの予約をして
くれた。
【チャーリーとシルビーはマルセーユの陽気な夫婦。チャーリーは6年前まで世界中を廻っていた船員さん。シルビーは幼稚園の先生】
【地平線に向かってシュマンは続く】
【イスーダンの入り口の標識】
12時半頃、街中のカフェで一緒に昼食。そして、彼らはSNCF(フランス国鉄)でマルセーユまで帰って行った。
マルセーユには夜中の11時半頃着くと言っていた。別れるとき、『AKIが泊まる明日のGiteは市役所に予約して
おくから、明日は直接市役所に行けば良い。』と言ってくれた。彼らには本当にお世話になった。そのお礼に《祭》
と書いてある扇子を差し上げると、大層喜んでくれた。(^_-)-☆
泊まったホテル:巡礼者特別価格 2食付きで44€ 夕食は、ワイン付き 前菜:ホアグラ、メイン:仔羊、デザート:アイスクリーム:美味かった(^_-)-☆ |