70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅠ-④ 2014・08・07~09・01

8月7日(木)出立
Paris(パリ)--①②--Olreans(オルレアン)==(SNCF:鉄道)==Bourges(ブールジュ)--③--Issoudun(イスーダン)--④-
--Neuvy St.Sepulchre
(ヌヴィ サン・セピュルシェ)
--Gargilesse(ガルギレス)----La Souterraine(ラ・ソテレーヌ)
----St.Leonard de Nobelt(サン・レオナル・ド・ノブラ)

今回の総歩行距離:472.4km 総歩数:706,517歩(万歩計) 実質歩行日数24日 1日平均:19.68km

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『「巡礼」は、フランス語では「ペルリナージュ」と呼ぶ。何らかの聖なる性格をまとわしめられた土地に向かい、
心には尊崇、献身、信仰の思いをしっかとこめて、幾山河をも越えて旅することをいとわぬ情熱がそれである。
フランス文化を愛して、これを極みまで学び究めようとねがうならば、ついには、このような性格の旅へと最後は
収斂していくはずのものではないだろうか。』 =「フランス巡礼の旅」田辺 保著 朝日選書=


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8月21日(木)晴れ:
Issoudun(イスードン---Thizay(テイゼ)---Neuvy Pailloux(ヌヴィ パリョウ) 17.14km 25,471歩

【イスードンのバジリーク(町で2番目に大きな教会):鋭い鐘楼が青空に綺麗に伸びている】
  
                              
【道路に埋め込んである巡礼のシンボルの道標】

   
マルセーユのチャーリー夫妻と別れ、再び一人で
 歩くことになった。天気も良く気持ちも爽やか。
  
実は、イスードンで床屋さんに行き、さっぱりしての
 出発である。ただ、フランスでは、エイズの流行以来
 床屋さんでは剃刀を使っての髭剃りは法律で禁止さ
 れたらしい。で、小生のアゴ鬚について綺麗にそろえ
 て貰うつもりでいたのだが、できずじまいとなった。
(>_<)

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バジリークの隣の立派なホテルを出て、ヌヴィーへ
 向かう。『今日はどんな出会いがあるのだろうか。』
  イスードンはさすがに巡礼の町。巡礼のシンボル
 である真鍮の帆立貝が道路に打ってあった。



     

  一面のひまわり畑。息を呑む。綺麗だ。天気も良いし、のんびりと巡礼の小道(シュマン)を行く。一人で歩いて
いても楽しい。前日
『巡礼の路の歩き方』をチャーリー夫妻に指南してもらったので迷うことはない。8月の炎天下
と言っても、空気が乾いているので日本のような蒸し暑さは全くなく、むしろ快適なくらいである。日陰に入れば本
当に涼しい。フランスに来るまでは、日中の炎天下はとても歩けないだろうと思っていた。嬉しい誤算である。天気
さえ良ければ着実に前に歩を進めることができる。且つての上司が
『歩いておれば、いつかは着ける。』と言って
いたことを思い出した。当たり前の事であるが、背に約10kgのリュックを負い、1日に10kmも20kmも歩いてい
ると、その言葉が
『哲学的な意味を持つ言葉』に思えてくる。歩くテンポに合わせて、『一歩、一歩』とつぶやきなが
ら歩いた。

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見えることの素晴らしさ、見えることの有難さ、見えることの嬉しさ、見えることの楽しさ、
  青い空、ひまわり畑の黄色、緑の草原、森の美しさ、広大な大地。
 聞こえることの素晴らしさ、聞こえることの有難さ、聞こえることの嬉しさ、聞こえることの楽しさ、
  風の音、車の音、列車の音、トラクターの音、小鳥のさえずり、人の声。
 味わえることの素晴らしさ、味わえることの有難さ、味わえることの嬉しさ、味わえることの楽しさ、
  コーヒーが美味い、ワインが美味い、鴨が美味い、アニョ(仔羊)が美味い、水が美味い。
 歩けることの素晴らしさ、歩けることの有難さ、歩けることの嬉しさ、歩けることの楽しさ、
  車は速い。列車は速い。飛行機は速い。歩くのは遅い。しかし、歩き続ければ、一歩はわずかだが、
  歩いておれば、いずれは1000km先まで行き着くことができる。
 できることの素晴らしさ、できることの有難さ、できることの嬉しさ、できることの楽しさ。
  自然は偉大だ。人間はちっぽけな存在だが、偉大な存在にも成りうる。
  できる内にできることをやっておこう。

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 この日は二つ星ホテル(素泊まり60€)に泊まった。Gite(ジット:巡礼の簡易宿舎)に泊まれるよう、チャーリーが
市役所に電話を掛けておいてくれたはずだが、行ってみると泊まれるGiteはなかった。相談すると『近くにはホテル
は1軒しかない。』と言われた。また、泊まるところは前日までに予約しておいた方が良いとチャーリーに言われて
いたので、翌日のArdentes(アルドン)のChamble d'hotes(シャンブルドット)を市役所のマダムにしてもらった。

8月22日(金):晴れ:Neuvy Pailloux---Maron(マロン)---Ardentes(アルドン) 26.49km 40,065歩

   
 緑がきれいなシュマン(巡礼の小道)  野生のブラックベリーがあちこちにある。美味い(^_-)-☆
   
アルドンの市役所
 アルドンの町   市役所のマダムが翌日の宿を予約してくれた。

《前日のヌヴィ パリョウの市役所のマダムが予約してくれたシャンブルドットは森の中の宮殿のような館だった:1泊2食で50€(^_-)-☆
 

8月23日(土)
晴れArdentes--Lys St.Gorges(リ サン・ジョルジュ)--Neuvy St.Sepulchre(ヌヴィ サン・セピュルシェ)
                                                       20.75km 32,013歩
 アルドンのシャンブルドットを朝8時15分に出た。途中、大きなお城があったので休憩がてら入ろうかと思ったが、
門が閉まっていたのであきらめた。このベリー地方にはあちこちにお城がある。昔から豊かな地方なのだろう。
リ サン・ジョルジュには予定通り11時30分に着いた。ここにも大きなお城がある。少し早いと思ったがそのお城
の前のベンチで昼食を採った。サンドイッチを飽ばっていると、目の前に車が止まり、親子連れが何やらテントや
テーブルらしきものを下ろし、組み立てを始めた。もたもたしていたので昼食を中断して組み立てを手伝った。すると、
「今からここで家族で昼食をする。よかったら一緒に食べないか。」と誘ってくれた。大変ありがたい話ではあったが、
小生ほとんど昼食を終えかけていたので礼を言って遠慮した。

 
【リ サン・ジョルジュの13世紀の城】                【巡礼のための中世の診療所:今は建物だけが残っている】

 
チャーリーに教えられた巡礼の帆立貝の標識とミシュランや案内書の地図を頼りに歩いてきたのだが、どこかで
標識を見落としてしまい、結局、3kmほど大回りをしてしまった。それでも、ヌヴィ サン・セピュルシェに午後2時過ぎ
には着くことができた。そして、まずアルドンの市役所で予約をしてくれたホテルを探したのだが、全く分からず。土地の
人に聞いても???
 すると、1台の車から降りてきたおじちゃんが近づいてきて、『あんたの探しているジットはあそこだよ。』と言って、
連れて行ってくれた。リュックを背負い、ステイックを持って歩いている姿を見て、親切にも声を掛けてくれたのだと思う。



 
玄関の呼び鈴を押すと、「ボンジュール」と言って、マダムと旦那さんが出てきた。そして、館の裏手に当たる別棟の
建物へ案内してくれた。ドアを開けて中に入ると正真正銘のジットだった。ホテルに泊まるものとばかり思っていたのだが、
思わずジットに泊まることになった。一階がラウンジ、台所とシャワー室、トイレがある。電子レンジもあるし、食器なども
完備していて自炊もできる。テレビもある。ベッドルームは2階で、3つのベッドがあった。チャーリー夫妻がシャロットで泊
まったジットと比べ、勝るとも劣らない設備であった。「パン屋さんもスーパーもすぐ近くにあるわ。ドアの鍵はここに置くわ
ね。」「あゝ、明日私はCluisまで行きます。Giteの予約をして貰えませんか。」「勿論!また後で来るからね。」
と言ってマダム
は自宅に戻って行った。
 その後、私はすぐにシャワーを浴びて、買い物に出かけた。中世から巡礼の町として発達してきたらしく、いたるところに
帆立貝の標識があった。教会も立派な造りで、私は暫し長椅子に座り、静かな時を過ごした。小一時間の後、ジットに戻り、
日記を付けたり、翌日の用意をしたりした。ブールジュを出て1週間、マルセーユのチャーリー夫妻に会って巡礼路の
歩き方を教わり、楽しく、また、ほぼ順調に歩くことができた。しかし、これからどんなことに出くわすか分からない。確か、
チャーリーは案内書を読みながら歩いていた。案内書に巡礼路の地図はあるが、極めて大雑把なもの。詳しくは文章で
書いてある。時間は十分ある。『フランス語の勉強も兼ねて訳してみよう。』と思い、辞書を片手に翌日のコースについて
訳してみた。
 
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 午後6時半、夏のフランスはまだ真昼のように明るい。隣の家族が庭に出て立ち話をしている。子供もいる。「ボンジュール」
と言って私は、ベンチに腰かけていた子供に話しかけてみた。男の子は10歳、女の子は8歳という。「私は日本人です。」とい
うと男の子はかなり興味があるようであった。『日本の食べ物を知っているか』と聞くと、『SUSHI』『YAKITORI』は知ってると言っ
た。多分両親であろう。少し後で、『ボンジュール』と言って私の所に挨拶に来てくれた。
 ジットのマダムが来て、
「CluisのGiteは予約しておいたわ。教会のすぐ横だから、すぐに分かると思うわ。」「ありがとうございました。」「今日はやはり
あなた一人です。ゆっくり休んでください。」「宿泊代はいくらですか?」「12€です。」
その時、10€紙幣は持っていたが、
「細かいコインがない。」というと、マダムは「10€でいいわ。良いの。良いの。」と言って10€紙幣を受け取った。申し訳ない
ことをしてしまった。彼女は「明日の朝はドアの鍵を机の上に置いていって貰えばいいわ。」と言い残して帰って行った。

 10日程前、アンジェヴィユでホテルがヴァカンスを取っていて泊まれず、市役所のマダムの計らいで初めてジット(巡礼用
簡易宿舎)なるところに泊まったが、そこは個室で、ベッドの布団もふかふかしている立派なものだった。ここは施設設備は
本当に完備しているが、多分ベッドのシーツは毎日変えてあるわけではなく、また、掛け布団もなく、毛布が一枚裸で置いてある
のみである。(ジットの普通のスタイル)そのためにシラフ(寝袋)は必携用具なのだ。私は購入してきた、まだ値札も取ってない
新品のシラフをベッドの上に敷いて、その中に潜り込んだ。

    
【隣の家族が大勢家の前で立ち話をしていた】                【親切なジットのマダムと】

                                                        つづく