70万歩の旅~巡礼の路を歩くⅠ-⑤ 2014・08・07~09・01
8月7日(木)出立
Paris(パリ)--①②--Olreans(オルレアン)==(SNCF:鉄道)==Bourges(ブールジュ)--③--Issoudun(イスーダン)--④--
--Neuvy St.Sepulchre(ヌヴィ サン・セピュルシェ)--⑤--Eguzon(エグゾン)--La Souterraine(ラ・ソテレーヌ)--
--Benevent-l'abbaye(ブヌヴェン ラベイ)--St.Leonard de Nobelt(サン・レオナル・ド・ノブラ)
今回の総歩行距離:472.4km 総歩数:706,517歩(万歩計) 実質歩行日数24日 1日平均:19.68km
*********
『「巡礼」は、フランス語では「ペルリナージュ」と呼ぶ。何らかの聖なる性格をまとわしめられた土地に向かい、
心には尊崇、献身、信仰の思いをしっかとこめて、幾山河をも越えて旅することをいとわぬ情熱がそれである。
フランス文化を愛して、これを極みまで学び究めようとねがうならば、ついには、このような性格の旅へと最後は
収斂していくはずのものではないだろうか。』 =「フランス巡礼の旅」田辺 保著 朝日選書=
*********
8月24日(日)晴れ:Neuvy St.Sepulchre(ヌヴィ サン・セピュルシェ)--Cluis(クリュイス) 8.94km 14,579歩
ブールジュを出てから1週間が経った。ここらで身体を少し休めた方が良いと思い、この日はゆっくり少しだけ歩くことにした。
天気も良いし、遠くの方では放牧の牛たちが草を食んでいる。時折、『も~』とのんびり鳴く。畑の垣根には『ブラックベリー』が
いっぱい生っている。思わず手が出る。口いっぱいに甘いジュースが広がる。(^_-)-☆ フランスの田舎を満喫しながら歩く。
前日、案内書を読んで訳し、道行きを書き出しておいたので全く迷うことなくスムーズに歩くことができた。Cluis(クリュイス)の
町の手前に中世の『要塞』があった。暫し休憩。リュックを下ろし、木陰のベンチに座って、家内に連絡を取ろうと思い携帯を手
にしたところ、『圏外』になっていて全くダメ。(>_<)!パリに着いてから毎日連絡を取ってきた。突然のことで唖然としてしまった。
と同時に『家内が心配するだろうなあ』との思いで焦る。しかし、どうしようもない。
【草深いシュマン(巡礼路)を行く】 【この標識が頼り】 【十字架が見守ってくれている:宗教的?感傷的?になる】
【中世の要塞】 【野菜サラダとヤギのチーズ】 【陽気で親切なスーパーのお兄ちゃん】
クリュイスの町に入り、ヌヴィのマダムが予約しておいてくれたジット(簡易宿泊所)を探していたところ、偶然にもそのジットの
マダムに出会うことができた。このジットの設備も素晴らしかった。1泊8€(^_-)-☆
取りあえず、リュックを置いて町に出、カフェに入って昼食を採る。いっぱいのサラダの上に『ヤギのチーズ』が乗っている。旅を
しているとどうしても野菜不足になる。ありがたく美味しく食べた。(7€)カフェの若いお兄ちゃんに『携帯が圏外となってしまい使え
ない。パソコンで日本の家内と連絡を取りたいのだが、使わせてもらえないだろうか?』と頼んでみた。すると、何やら打ち始めて
くれていたが、結局、『申し訳ない。』と言って断られてしまった。ところが、帰りがけ、『これ1本どうぞ』と言って500mlの水のペット
ボトルをくれた。却って申し訳ないことをした。
夜と翌朝の食料を買うためにミニスーパーに寄り、パンや水、缶詰などを買って代金を払うと、陽気なお兄ちゃんが、『巡礼で
歩いているのだろう。』と言って、バナナ3本、ジュース1本、リンゴ1個、干しナツメ等、これでもか、これでもかというくらいくれた。
小生が買ったものより多い位であった。『元気に歩いて行けヨ!』と握手をしてくれた。
*********
ジットには『巡礼ノート』があった。名前、年齢、国、あるいは、どこから歩いているか、どこまで行くか等いろいろ記入してあった。
さすがにフランス人が多いが、ドイツ人やオランダ人、カナダ人もいた。日本人は私一人だった。年齢は50代、60代が多く、小生
(69歳)は上から1割位の年齢であった。
またこのジットには、前日は3人、前々日は4人泊まっていたが、この日は私一人だった。
8月25日(月):晴れ後曇り: Cluis----Gargilesse(ガルギレス) 16.73km 26,198歩
【案内書には、《柵を無視して進め》とある】 【谷を横切るコンクリートの長い橋】
家内と連絡が取れず、『さぞかし心配しているだろう』と思い、どこかで国際電話を掛けてみようとしたができず、フランスの友
人にハガキを速達で出して、彼女から連絡をしてもらおうと考えた。ガルギレスまでの途中の村に郵便局があったので、勇んで
行くと『月曜日、午前中は休み』(>_<)と張り紙があった。
ガルギレスは『フランスの美しい村100選』に選ばれた村である。昼過ぎに着くことができた。まず観光案内所に飛び込み、
「今日ジットに泊まれますか?」と聞くと、「ウイ」(^_-)-☆ 実は、ガルギレスのジットには計画の段階から是非泊まりたいと考
えていた。ジットは大体が私営だが、ここのジットは公営。大変良いと聞いていた。教会前広場に面した2階建ての大きな建物の
2階全部がジットだ。個室、二人部屋、四人部屋など沢山の部屋がある。トイレ、シャワー室は共同だが、キッチン、談話室など
本当に充実した施設設備だった。私は個室をあてがわれた。(13€) ただ、この日もこんなに大きなジットでも泊り客は私一人
だった。『ジットではいろいろな人と出会う。』と聞いていたし、楽しみにしていたので少し寂しかった。観光案内所のマダムに
「今は巡礼で歩く人は少ないのですか。」と尋ねると、「6月と10月、11月が多い」とのことであった。フランス人にとって8月は
巡礼よりも家族とのヴァカンスということらしい。
【いろいろ世話になった郵便局の若いマダムと】
村の中心に郵便局があった。早速、家内に電話をしようと思って出かけると、『国際電話はできません。』と断られてしまった。
『村のどこかで国際電話を掛けられるところはないか?』と聞いてみたがダメだった。結局、友人に速達のハガキを出して彼女
から家内に連絡してもらうことにした。
ガルギレスの村はもっと観光化しているかと思っていた。ところが、落ち着いた雰囲気のある、綺麗な村だった。村に一つしか
ないカフェの椅子に座り小1時間コーヒーを飲みながら至福の時を過ごした。(^_-)-☆
【落ち着いた雰囲気のガルギレスの村】
8月26日(火):曇りのち晴れ:Gargilesse--Cuzion(キュジオン)--Eguzon(エグゾン) 13.12km 20,753歩
朝起きて部屋の窓から外を見ると、ところどころに水たまりがあった。夜中にかなりの雨が降ったらしい。ブールジュを出て
からずっと天気に恵まれてきた。雨のおかげで空気が新鮮に感じられた。午前8時ジットを出発。雨上りの為か大きなナメクジ
がいっぱい出てきていた。車に引きつぶされた跡があちこちにある。チョットグロテスクで気持ちが悪い。草の生い茂ったシュ
マン(小道)を歩いていると踏み潰しそうにもなる。(>_<) 後で聞いた話だが、フランス人はこれを食べる人もいるという。美味
いのかしらん? 所変わればである。
【気持ちの悪い大きなナメクジ】
【深い谷を下る。緑が本当に綺麗。中世から何百万人もの巡礼者に踏み固められた石道を行く。コンポステーラを目指して。感動的!】
Cuzion(キュジオン)という村に入った。郵便局があったので、家内にメールを打とうと思って、「PCを貸して貰えないか」と
聞くと、「市役所で貸してくれるから行ってみると良い。」と教えてくれた。市民サービスらしい。近くの市役所に行くと”ボン
ジュール”二人のマダムが迎えてくれた。巡礼証にタンポン(スタンプ)を貰いPCのことを言うと、快く貸してくれた。『これ
で家内にメールを打つことができる。』と思い、四苦八苦しながらフランス式のキーボードを叩く。やっとのことで私のプロ
バイダーにたどり着いたと思ったら、(>_<) 機械に『セキュリテイ』が掛かってしまい、通信不能となってしまった。あきらめ
て、マダムに丁寧にお礼を言って外に出るとかなり強い雨が降っていた。(ToT)/~~~
この日の目的地、Eguzon(エグゾン)の町の入り口には12時半頃着いた。大きな町なので、ひょっとしたら『圏外』が外れて
いるかもしれないと思い、携帯を開けてみると、(^_-)-☆ 案の丈通信できる状態になっていた。早速、メールを打ってみた。
直ぐに返事が来た。「とっても心配していました。・・・・・生きた心地がしませんでした。・・・・」 その後、今度は電話を
掛けると懐かしい声が聞こえてきた。3日振りであった。!(^^)!
*********
二つ星のホテルに泊まって家内に電話をしようと思っていたが、連絡が付いたのでホテルに泊まるのを止めた。観光案内
所でジットを紹介してもらった。(13.55€) 町の中心から歩いて10分程離れた所にあったが、すぐに分かった。私の泊ま
った2階には2人部屋が2つ、4人部屋が1つあった。3階にも部屋があるらしく、結構大きなジットだった。勿論、キッチンや
集会室もあった。私は2人部屋に入って、早速シャワーを浴びた。家内と連絡が取れたことでホッとし、さっぱりした気分となり、
夕食の食材を買う為にスーパーに出かけた。『今日は美味いものを食べよう!』 (^_-)-☆
スーパーから戻ってしばらくすると、部屋の窓をトントンと叩く音に気が付いた。40代半ば(?)の男性2人が立っていた。
1階のドアが閉まっていたので、誰か居ないかと外の階段を上って来たらしい。リュックを背負ってる。ジットでの初めての同
宿者。嬉しくなった。私は直ぐに1階まで降りて話をした。「ここに泊まるにはどうしたらいいのですか?」「町の中心に観光案
内所があリます。そこに行き、宿泊料金を払えば鍵をくれます。荷物は置いて行くと良いよ。」
彼らが観光案内所で手続きをして戻ってきた。私は宿泊者の先輩!(^^)!として2人部屋へ案内した。すると、私がスーパー
に出ていた間に入ったのであろう、ベッドの上にリュックが一つ置いてあった。「OK、もう一部屋あります。」と言って、4人部屋
に案内した。彼らは大変喜んで、『自分たちはフランス人だ。あなたは?』とか『私は48歳、彼も一緒だ。あなたは?』とか
いろいろ質問をしてきたが、暫くして「また後でゆっくり話しましょう。」と言って、彼らは夕食に出掛けて行った。《ただ、実際
は彼らとは翌朝挨拶を交わした程度でゆっくり話をすることはできなかった。》(ToT)/~~~
その後、私が食堂で、毎日やっているテレビのクイズ番組を見ながら食事をしていると、一人の男性が”ボンジュール”と
言って入ってきた。そして、「オランダ人のReneです。」「日本人のAkiです。」と名乗り合うと、「ひょっとすると2日前、Cluis
のジットに泊まらなかったですか?」「泊まりましたよ。」「私は昨日そこに泊まりました。ジットの巡礼ノートに『日本人』が
泊まったと書いてありました。あなたでしょう。」急に彼との距離が近くなったような気がした。彼は電気関係のエンジニア
だと言っていた。「会社に3ケ月の休みを貰って歩いています。」「よく休めますね。」「オランダの会社では休むことができ
ます。そういう制度があるのです。ヴェズレイから歩いて来て、まだ後2ケ月あります。行けるところまで行きますよ。」
《『サンチャゴ・デ・コンポステーラに着きました。』と、帰国後写真付きのメールをいただいた。》(^_-)-☆
《オランダ人のエンジニア、Reneさん》と
つづく