〜ビーノで乾杯!(2)〜

マドリー、エチェガライ通り
 マドリー・バラハス空港には予定どおり吉田さん(以後みつ子)と
Mr.Ralph(以後ラルフ)が 迎えに来てくれていた。1年ぶりの
みつ子に女房感激のご対面である。

 リムジンバスはコロン広場の地下駐車場に着く。そこからホテルヘ
う。タクシーの運転手にみつ子がスペイン語で、“echegaray”
行先を言う。
「えっ?エチェガライ?」と私が言うと、
「えゝそうよ、
知ってるの?」
「来る前に『スペイン・マドリー、エチェガライ通り十
番地』(あず
さ書房・叶沢敏子著)という本を読んだのヨ。
でホテルは?」
「ホテル・サンタンデール」と彼女。奇偶としか言いようがない。

その本に出ているホテルなのだ。ただ、本の中にはそのホテルのこと
があまり良
く書かれていなかった。しかし、結果的には3泊してみて
1ツ星のこの安いホテルが
大変気に入った。ツイン、バストイレ付
1泊2200ペセタ、約5000
円である。しかもマドリーの中心街にあるのだ。

***

 マドリーでの第一夜は、ラルフの案内で始まった。 Bar(バ−ル)の梯子
である。Barと言っても
日本のバーとは全く違う。セルベッサ(ビール)や
ビーノ(ブドウ酒)を
1杯飲んでは次のバールへ行く。イカリングやエビ、
ムール貝をつまむ。
スペインの居酒屋である。
  緯度の関係で午後10時頃になってようやく暗くなった。私達は路上にテ
ーブルをならべたガーデンレストランに入った。学生
のバンド演奏を聞きな
がら、「ます」と「ビーフシチュー」をメイン
に旅の無事を祈って、
《ビーノでサルー(乾杯)!!》
 デザートの「コ
アハダ」(羊の乳をヨーグルトのように固めたもの)は
大変おいし
かった。ホテル・サンタンデールに戻ったのは午前1時を過ぎて
いた。


              【5月2日、5月3日】

  翌朝、プラド美術館へは4人で出
 掛けた。先回マドリーヘ来た時は正
  月で閉館していたために入ることが
 できなかった。今回のマドリーでの
 
第1の目的でもある。10時の開門と
 同時に入り、旅行案内書を片手に

 内をうろうろしたがどこを見たら良
 いのか全くわからない。しかし、

 したつと日本人の
団体客が来たの
 で、いかにもツアー仲間の顔をし
 て、その後について
説明を聞いて行

くことにした。そ
の判断は誠に正しかった。良い作品、重要な作品のみを見
て回った。
ルーベンス、エル・グレコ、ゴヤ、ベラスケス‥‥。中でも私の
心を
捕らえたのは、ナポレオン独立戦争を描いたゴヤの「5月2日」と「 5月
3日」の2枚の絵である。それは
素手のマドリーの市氏が次々と銃殺されてい
く様子が描かれている。
銃に向う市民の眼や手の表情が心を打つ。プラド美
術館を出たのは昼近くであった。

 レティロ公園の西に装飾美術館がある。王朝貴族の使っていたタピストリ
 ー、生活用品、その他装飾品等が展示してある。
 案内人がスペイ
ン語で案内してくれる。勿論解る
 はずがないのだが、見ぶり手
ぶりで一生懸命私た
 ちに教えてくれる。おもしろいことに何とか通じ
 
る。まるで自分の所有物であるかのごとくに自慢
 する。結局、2階だ
けで80分かけて説明してくれ
 た。みつ子達との待ち合せの時間はプ
ラド美術館
 前に1時30分である。時計は1時10分を指してい
 る。そこ
でもう出ようということになり階段を下
 りようとしたら、別の案内人
が「上へ行け」とい
 う。仕方なく3階へ行くとさらに別の案内人がい
 
て3階を説明してくれる。結局4階まで上げられ
 て丁寧に説明を受け
た。内容もあるので私たちも
 ついついゆっくり見てしまった。美術館を
出たの
 は1時45分であった。
【昼食で食べたパエジャ】


            ***女性陣、闘牛に酔う

  夜は闘牛である。
 
白い清涼飲料水、オ
 ルチャータ(球根を
 すりつぶして作った
 も
の、快い甘みがあ
 る)を飲み、
ピパ
 (ヒマワリの種)を
 食べながら始まるの
 を待った。午後
8時
 になるといよいよ開
 始である。ファンフ
ァーレと共に牛が
狂ったように走り出てくる。マタドールがカパ(表がピン
ク、裏が黄色
の布)を広げ牛を軽くあしらう。やがて馬に乗り、長い槍を持
った
ピカドールが登場する。牛は馬の横腹に角をたてて突進する。牛の首
上には目印として緑色のテープが貼ってある。ピカドールはそこを目がけ

槍で突くのだ。ドス黒い血がほとばしる。観衆はだんだん興奮する。
我仲間
の女性陣は血を見てびっくり、胸をおさえ気持が思いと言いな
がら下を向い
たり、闘いを見たり……。つづいてバンデリジォーロが
両手に銛を持って現
われ、軽快なリズムと共に牛の背にそれを打つ
最後に再びマタドールが出
て来て、真っ赤なムレタ(布)を手に興し
た牛を相手に身体すれすれのとこ
ろで身をかわす。そして、用意した
剣を首筋に深々と刺すと牛は息たえだ
えとなる。それでもなお前足で
立とうと頑張る牛に、闘牛士は胸をはり牛
の目をにらみつけて迫る。すると,
完全に敗北感を味わっている牛は、よ
ろけながらドサッとたおれてし
まう。その時のマタドールの偉大さと牛の
あわれさが対照的であった。

  ところで、一頭の牛が殺されるのに約15分かかり、この日は6頭が殺
された。そ
のうち4番目の闘牛が一番すばらしかった。単に槍や剣で牛
を殺した
というのでなく、まさに闘牛士と牛の戦いであった。その闘牛
士には
牛の片耳が贈られた。一番最高の栄誉は両耳としっぽをもらった時
だそう
だが、そんなことは滅多になく、ラルフ何回か見ているが片耳を
もらったのを見たのも初めてだという。観客も立ち上がって口笛をならし、
ハンカ
チを闘牛士に振って興奮は絶頂となった。
  ところで女性陣は初めは気 持ちが悪いと言っていたが、2〜3回繰り返え
されていくうちに慣れ、
最後には身を乗り出して見ていた。さらに、殺さ
れた牛は4頭立ての
馬に引きずられて退場するが、その場面を8ミリにちゃん
とおさめたか
と房に請求されたのには驚いた。そして、自分達の変身ぶりに自
呆れ、
「慣れとはおそろしいものだ。」と言ってしきりに弁解してい
た。
 闘牛の激しさにスペイン人の性格を感じつつ、
床についたのは午
前0時を過ぎてからであった。
                
                             (つづく)
 
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