〜ビーノで乾杯!(5)〜  

    《COMPANY Of FOOLS》
A Shrew, railing in the grass seeds,
raised up curses against Jahova.
Jahova, above, was tumbled
by the enormity of this miniture ingratitude,
slapped his forehead with an open palm
in the Arab fashion, Wept angerly.
Down in the mouth,
he dropped in on Baccuss that night.
“I understand completely.”said Baccuss,
after several cups of wine,
“You can well imagine the company of fools.
I put up with during my own time.”
                (Ralf Nelson)

パラドールに泊まる
 サラマンカからシュダーロドリゴに入った。ここではパラドールに泊る。
パラドールと
いうのは国営ホテルである。スペイン各地の古城や貴族の別
荘を国が
買い取りホテルとして使っている。全国に78所あるが、ここの
パラ
ドールは「エソリケU世の古城」で3ツ星ホテルである。(スペイン
では5ツ星が
最高級ホテル)この旅行中一度で良いからパラドールに泊り
たいとみつ子
に頼んでおいたところ、予約しておいてくれたものだ。女房
このバラドールでの宿泊を出発前から楽しみにしていたが、病気でパ
ドール入りとは皮肉なものである。熱はないのだが気分が悪いとい
う。下
痢はいまだ止まらず、午後6時半の約束の時間まで私と女房は
仮眠をとる
ことにした。そして予定どおり起きてみたものの彼女の調子はお
もわしく
なく、そのまま寝ているという。小池さん、佐藤さん、私の
3人で街に出
た。12世紀に建てられたカテドラル(大聖堂)はすでに
崩れかけたとこ
ろもあり、風雪に耐え、人々の祈りの年輪を感じる。
又、ムーア人の影響
を受けたという教会内部の装飾は、サラマンカの
サン・エステバン教会に
似ているが、マドリーやトレドの教会とは異
っている。ポルトガルへの通
り道として歴史的な意味をもつシウダー
・ロドリゴの位置を、この教会や
街を囲む塁壁が物語っている。

 1時間位でパラドールの近くまで戻って来ると、ラルフが一人で城壁の
上から遠くポルトガルの方を見てもの想いに
ひたっていた。この旅行後、
みつ子と一緒に日本へ行きたいのだ
が、日本政府からなかなかビザが下り
ないというのだ。そして、とも
かくパリまで私たちと一緒に出て日本大使
館に行ってみるという。


***

 街を囲む城壁からの眺めが大変良い。私はその眺めを楽しみながら
皆に遅れプラブラ歩いていた。フト気づくと5人のかわいい『ニーニ
ャ』(少女)がいた。皆彫りが深く顔立ちがよい。ニコニコ笑って私
を見ている。そう言えば、先程バラドールの前で一緒に写真を撮った
ニーニャたちだ。どこからどう回ってきたものか、私の行き先を知っ
ていて待ちかまえていたかのようである。私を見てクスクス、カ
タカ
タはにかみながら笑っている。私が彼女たちの前を通り過ぎよう
とす
ると“*****”と私に話しかける。何と言われたかわからなかっ

たが「・・・ノンブレ?」と言われたようであった。
「ノンブレ?」
「名前」だと気づいた。「ミ ノンブレ エス アキヒコ ミズノ」
(私の名前はアキヒコ・ミズノです)と言うとニーニャたちは目をか
がやかせて喜んだ。そして5人に一人一人指さし「ノンブレ?」と聞
いてゆくと、「カルメン」「マリア」「アントニア」・・と続く。
年齢を聞くと10才と11才のニーニャたちであった。私は楽しくな
って
『サクラサクラ』の歌を歌って聞かせたが、はじめて聞いたとい
う。
代って歌を歌ってくれと頼むと、はじめは恥かしそうにしていた
が、

「ウノ、ドス、トウレス」(1、2、3)と拍子をとると大きな声を
そろえて元気に歌ってくれた。
***
 
いよいよサンチャゴ・デ・コンポステーラ! 
 予定より少し遅れてホテルを出た。しばらく走り、交差点でラルフが運転
席の窓か
ら隣に停った車に道を尋ねると親切に教えてくれる。市街地を何回
曲って郊外へ出ることになるようだ。言われたように行き、再び交差点で
信号待ちしていると、一人の男が、軽トラックから降りてきて、
運転席に近
づきラルフに、
「××××」彼は道を教えてくれた
のだという。そう言えば先程ラルフが聞
いた車の後にいた軽ト
ラックの運転手だ。道を間違えないようにわざわざ事
を降りて教えに
来てくれた。日本では考えられないことだが、スペインでは
よく
あることらしい。私たちはその心根に感心し、嬉しくなった。
  あと1時
間と少しでサン・
 ティアゴ・デ・コンポステー
 ラである。この町がローマ、

 エルサレムと並ぶ三大聖地で
 あるということは、ガリシア
 を訪れるこ
とが決まり、いろ
 いろ調べているうちに知った
 ことで、それまではそ
の名前
 さえ聞いたこともなかった。
 9世紀のはじめ、キリストの

12使徒
の一人であるヤコプ(サンチャゴ)の墓が発見されて以来、時の法
が聖地に指定し、大巡礼地になったらしい。カトリック信徒たちはレコン
キスタ(失地回復)を目指し、強大な勢力を誇るイスラム教徒と戦って奪い
返した。
遠く北欧やフランスからこの聖地を目指す。巡礼者が通る道は「サ
ンチャゴの道」と呼ばれているが、スペインでは「天
の川」のことを「サン
チャゴの道」といい、巡礼者たちが道中「天の
川」を見て、それが地平線の
向こうに沈むところにサンチャゴがある
と信じていたという。サンチャゴは
フランス語では【サン・ジャック】である。そして、
サン・ジャックは帆立
貝のこと。巡礼たちは腰に帆立貝をお守りにして黙々と
サンチャゴを目指し
たのだという。


***
 ガリシアは3日に一度は雨が降る。
霧雨である。夏だというのに街行く人々
はセーターを着ている。
さすがに私たちも長袖をはおって歩く。肌寒ささえ
感じる。みやげ
もの屋やBarの並んだ路地から広々としたスペイン広場に出ると、
面に高さ70mの時計塔をもつロマネスク様式のカテドラルがある。この教会
を目指し、ヨーロッパの各地から信徒が集まるのかと思うと
感慨深いものがある。
 バロック様式の代表作であるというオブラドイ
ロの門をくぐり、菱形に造ら
れた階段を登るとロマネスクの華と言わ
れる栄光の門がある。その門の中央
の柱に聖ヤコプ(サンチャゴ)の
像が刻まれ、人々はその柱にキッスをする
ために長い列をつくって
いる。ラルフもそのためにここに来たのだと言って並
んだ。この時ばかりは彼も慎重な面もちであった。カテド
ラルの中は信徒や
観光客でごったがえしていた。さすがに世界各国か
ら来ている感じである。
 私たちはその賑いに圧倒されて20分位で外に
出ると、幸い雨は止んでい
た。そして、スペイン広場の北側にある
ス・レイエス・カトリコスとい
うホテルのカフェに行くことにし
た。このホテルはスペイン国内で最高級と
言われ、今回の旅行で是非
泊りたいと考えていたが、ここもパラドールと一
緒で1年も前から予
約しておかないとだめだと言われ断念した所である。そ
の昔、ここは
巡礼者たちの病院であり、宿泊所であったという。私たちはカ
フェテ
リアに甘んじ、カフェ・コン・レチェと手製のクッキー、そしてケー
を食べた。さすがにその値段は普通の倍以上もした。
 
  私はパリの旅行社に帰りの
 飛行機のことで連結をしなけれ
 ばいけな
かったので、このホテ
 ルなら直通の国際電話がかけら
 れるだろうと思
い聞いたところ、
 電話室を教えてくれた。交換手
 が出て、3分と待た
ぬうちにつ



ながった。そして、パリに着いたら又電話が
ほしいとのことであった。
 正午からカテドラルで礼拝があるということで、再び行ってみることにした。
大聖堂の中は
先程にも増して混難していたが、パイプオルガンと賛美歌で荘厳
な雰囲気であった。私たちは人々の間を
くぐり抜けながら前へ進んだ。そして、
祭壇の見えるところまで来て、
その空気にひたった。頭上の巨大なパイプオルガン
の響きが教会をう
めつくし、カトリック信者の敬虔な祈りがつづく。私は、
3年前女房
と二人だけのヴェニスのサンテ・ジョバンニ教会で、パイプオル
ガンの
響きにうっとりした時のことを思い出していた。司教の説教がはじま
る。人々はその一言一言にやすらぎを感じ、生きる力を得ているかのようで
あった。


                                                   つづく

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