Nゲージ蒸気機関車2016年のメモ>2016.12.14

祝・20周年 マイクロエースD51

マイクエース D51

マイクロエース(当時アリイ)が日本型のNゲージ蒸気機関車を完全新規作成で出したのは、1996年のD51が最初です。これを皮切りに、先行他社にはなかった車両が次々に発売されていきました。ユーザーの心を様々な形で揺さぶりつつ、現在のマイクロエースの製品群が作られてきたわけで、その第一弾となったD51は記念すべき模型です。
メーカー自身がこれを祝う様子はないので、勝手に祝わせていただきます。20年間ありがとうございます。


前夜

なにしろ昔のことで、記憶があいまいになっているところもあります。
時系列や各種事情が事実と異なっているところがありましたら、申し訳ありません。

ユニークなプラ模型で有名だったアリイがNゲージ鉄道模型に参入したのは1980年代のことです。「しなのマイクロ」の後期製品の発売元がいつの間にかアリイになり、「マイクロエース」のブランドをアリイが引き継いだ形になりました。事情は正確ではないかもしれませんが、そんなふうに見えました。

10系客車

アリイ発売になってからの10系客車です。このころまだD51は出ていません。
各部の組み立て精度は当時の他社に比べ見劣りはしましたが、室内の寝台、賑やかな床下機器、テールライト点灯など見どころがたくさんあり、そこそこの人気がありました。

それから何年かのブランクの後、突然また「マイクロエース」のブランドにて、アリイの鉄道模型が店頭に並び出しました。
ライフ・ライク社の製品を日本語のパッケージに詰めて発売したものです。蒸気機関車も初めて(おそらく)登場しました。1994年のことです。

サドルタンク

輸入品中心の一部のお店を除き、このクラスのプラ製蒸機が国内の店頭に並ぶことはしばらくなかったため、これを普通に目にするようになったときは嬉しかったです。

走りはまあ、安いんだからこんなものかなという感じでした。ただ、私が買ったものは車輪が油だらけでした。気付かず走らせ、レイアウト全体に油が回ってひどい目にあいました。そんな思い出があります。

サドルタンクパッケージ裏

別のところでも書きましたが、パッケージ裏の日本語が半ば怪しく、独特な味がありました。
日本以外のところで翻訳し、そのまま使用されたのかもしれません。
「バルディン機関車製作所」というのがなぜか気に入ってしまい、この模型を引っ張り出すたび、頭に「バルディン」が浮かびます。もう、この機関車の名前が「バルディン」でいいくらい(笑)。
実際の発音は別として、日本での一般的な書き方では、「ボールドウィン」になりますね。

このころはまだ、アリイが何かの機会で輸入品を一時的に出したんだろうな〜などと感じた程度でして、まさか2年後にD51が登場しようとは思いもしませんでした。

D51デビュー

2年後の1996年のこと、つまり今から20年前です。
鉄道模型雑誌の特集記事で、アリイからプラ製のD51が発売されることを知り、まさに、ぶったまげました。
当時D51といえば、KATOの1/140製品が事実上、オンリーワンの状態でしたから。

マイクロエースのカタログVol.1によると、同社がNゲージに再参入したのは1995年ということになっているので、そのころに企画設計が始まったのかもしれません。

当時の広告などに出た、製品の特長は、次のようなものでした。

「豊富なバリエーション」というのは、D51の標準形・ナメクジに加え、姉妹機のD61までが予告されていたためです。各2種、合計6タイプも一度に発表されるのは、当時の国内のNゲージ蒸機(事実上、KATOのみ)ではなかったことでした。
「ヘッドライト点灯」「金属製パーツを多用」もKATOのD51にはなかったものです。当時のユーザーは改造などでやりくりしていました。

これで期待するなというほうがムリでして(私の場合は、です…)、発売はまだかまだかと、何度もお店に通っていました。
そしてついに1996年12月、最初の製品であるD51 498が店頭に並びました。

D51 498 パッケージ

初回製品のパッケージです。
現在のものと基本的には同じです。中敷きも中蓋もブリスターのプラスチックです。中敷きには昔のKATO製品のような静電植毛加工がされています。取り扱い説明書の同梱はありません。

こげ茶色ベースに少々の水色をあしらったラベルのデザインに、高級感とはちょっと違う地味さを感じました。もちろん、高級さを狙った商品ではありません。

値段は6500円(+税)で、当時のKATO製品より500円安く設定されていました。このころ消費税は3%でした。

製造は中国です。当時中国の人件費は相当に安いと言われていました。

A9501 D51-498 ※商品名はハイフン入りです。

D51 498

最初期の製品の姿です。

D51 498 前面

各部形態の妥当性については、当時の雑誌でいろいろに言及されていたため、ある程度の前知識を持ったうえで購入していました。

メーカーが予告した特長に偽りはなく、煙室扉上の手すり、ボイラー側面の手すり、カプラー解放テコ、そしてキャブの手すりが金属線でした。
デフ前端の手すりはプラ製の別パーツとなっていました。

点灯式のライトの形態は他にあまり見ないもので、しばらくはマイクロエース製品の特徴になっていました。

D51 498 ボイラー上部

マイクロエースのD51で特徴的な、ドームと煙突の形状です。かなり難しかった様子です。

加減弁ロッドは柔軟性のあるプラスチックの別パーツです。相当に歪んでいますが、初参入のアリイ、しかも中国製ということで、まあこんなものだろうと思いました(ずいぶんな言い方ですがお許しを)。
もしKATO製品のパーツがこんな具合だったなら、かなり非難されていたかもしれませんね。やはり何十年もの経験の差があったのですから、要求される程度が違いました。

逆転棒も別パーツでボイラーから浮いています。当時のKATO製品では、これらはすべて一体成型でした。
別パーツ化すれば必ず模型全体の感じが良くなるかはさておいて、そういう構造自体が結構なアピールポイントになっていました。他社製品を研究し、自然に出した結論だったのだろうと思います。

D51 498 後方

雑誌記事によるメーカーの談では、日本型Nゲージの縮尺である1/150に極力忠実に模型化したとのことで、その点でも今までにない模型で注目を浴びたわけです。

実際にはモーターのサイズなど技術的な問題で、エンジン側は1/140であるKATO並みの長さになっていました。
テンダーは1/150に近いため、後方から見るとエンジン部との段差が目立っていました。これはボディー後部が若干上がっている、立て付けの悪さとも関係します。

D51にはその後多数のバリエーションや改良品が出ましたが、この基本的なスタイルは変わらず、すぐにアリイのD51であるとわかります。
実物によく似ているとは思いません。しかしもちろん、D51を模型化したことはよくわかります。メーカーが上げたいくつかの特長が自分にマッチすれば、楽しく遊べることもわかります。だから今まで26タイプも発売されたのだと思います。

ちょうど同じころのKATO製品(1997年製)と比べてみます。1973年から続く、リニューアルされる前の初代シリーズです。

KATO 旧D51

KATO

マイクロエース D51

マイクロエース

KATO 旧D51

KATO

マイクロエース D51

マイクロエース

KATOのD51では当時省略されていた、合併テコもマイクロエース製品には付いていました。

KATO 旧D51
KATO
マイクロエース D51
マイクロエース

有名な特徴として、動輪が実物と逆の左先行になっていたことがあります。第三動輪のリターンクランクの角度も、実物とは逆方向に傾いていました。
下記はD51 498に続いて発売された、D51 750です。

A9502 D51-750

D51 750 公式側

D51 750 公式側

勾配対策で少し前傾になっているような感じに、見えなくもないですね。

リターンクランクの角度や動輪左先行は、その後のラインナップで一度修正されましたが、もっと後ではまたもとに戻ったりもしています。何か、あきらめてしまったのでしょうか。

動力部は一見して昔のKATO製品に似ています。特に裏側からの様子はよく似ています。

KATOとマイクロエースのD51裏側

動輪押さえ板、先台車、通電式ドローバー、テンダー集電板などそっくりです。
従台車は、KATO製品がドローバーと一体になっているのに対し、マイクロエースではドローバーと別に首を振るという違いがあります。

上から見ると様子が異なります。

KATOとマイクロエースのD51上側

KATO製品はウェイトが大きく、ずっしりと重みがあります。この下にウォームがあり、ウォームはモーター軸と直結されています。
マイクロエースの場合、ウォーム軸とモーター軸は分離しており、シリコンチューブでつながっています。

D51(1973年〜)よりも構造が新しい、C57(1983年〜)も大いに参考にしたのではないかと邪推します。

KATOのC57とマイクロエースのD51上側

いずれもウェイトを外したところです。各部寸法は少しずつ違いますが、当時のKATOのC57とマイクロエースのD51の構造はよく似ています。モーターの様子も似ていますものね。

こうして1996年、マイクロエースのD51は先行他社が作り上げた市場におずおずと、見方によっては大胆にデビューしました。
この一歩がなければ、現在マイクロエースがここまでの存在感を示すことはなく、他社の蒸気機関車のラインナップも、ずいぶん違ったものになっていたかもしれません。

製品化にあたっては相当なご苦労があったことと想像します。中国での生産も含めて、壮絶だったのではないかと思いますが。仮に当時30代の方が担当されていたとして、今は50代。当時の苦労も懐かしい思い出になっているでしょうか。色々な人の心に何かを刻んだ製品です。

D51 498 編成

現在少々寂しく感じるのは、最近始めた蒸気機関車のファンにとって、すでにマイクロエースの蒸機シリーズは、過去に終わったシリーズになっていることです。
ああ、マイクロエースって昔はこんなに蒸気機関車もやっていたんだ、というような感じです。 中村精密のシリーズと、あまり変わらないものとして捉えられつつあるのかもしれません。

でもそれは、この時期のマイクロエースの莫大な商品群が、いつの間にかひとつの歴史を作っていたということなのかもしれません。


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