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TPN プレイズ&プレイヤーズ

ミッションMission

ミッション

TPNプレイズ&プレイヤーズは、様々な理由から日本ではなかなか上演されにくい海外の優れた戯曲作品と、俳優のアンサンブルに焦点を当てて、シンプルに上演していくことを主目的として、2011年7月、活動を開始したプロデューサーたちのチームです。
とりわけ10代後半以降の若い世代をターゲットにした作品を上演するとともに、エデュケーション・プログラムの展開を期しています。
NPO法人シアタープランニングネットワークが、その2000年の設立以来行っていたドラマ教育、俳優トレーニング、アートマネジメント教育、国際交流等、様々な事業を統合させ、次の段階へと歩を進める試みです。


演劇の力、コラボレーションの力

  • 優れた海外の戯曲の紹介
  • 10代の観客を対象とした戯曲の紹介
  • 戯曲の力、俳優のアンサンブルの重視
  • 教育プログラムとの連携・統合
  • 国際共同制作の推進
  • 他領域とのコラボレーション
  • サイトスペシフィックな演劇創造の推進
  • アートマネジメントの革新

Message from Producer


どこでもいい、なにもない空間―それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つには、これだけで足りるはずだ。ところがわたしたちがふつう言う演劇とは、必ずしもそういう意味ではない。真紅の緞帳、スポットライト、詩的な韻文、高笑い、暗闇、こういったものすべてが雑然と、ひとつの大ざっぱなイメージの中に折り重なり、ひとつの単語で万事まかなわれているのである…。
ピーター・ブルック「なにもない空間」(高橋康也・喜志哲雄訳)より 

「いまさら恥ずかしながら」と心の片隅に感じながらも、シアタープランニングネットワークのなかに創造ユニットを設置し、公演に向けて準備を進めています。10年以上にわたり活動を続けてきたその活動の延長線上、発展形としての創造ユニットです。アーティストを抱えた劇団という組織体ではなく、また一人プロデューサーの独裁でもなく、「プロデューサーたちのチーム」として、アーティストたちとともに、私どもが展開してきたドラマ教育、俳優トレーニング、アートマネジメント教育、国際交流、エデュケーション・プログラム…一つ一つの独立した事業の糸を、統合したものとして織りなしたいと考えています。そのためには、いま多分に見えなくなっている演劇の原点に立ち戻る必要があるのではないか。協働のメディアであると語りながら、本質的な協働性−コラボレーションをどこか見失っているかに見える演劇のあり方を問い直さずして、私たちは教育やトレーニングの場で役割を担えるのか。 そもそも演劇とは何なのか? 演劇がもし力をもつものであるのなら、それは何から生まれてくるのか?

「TPNプレイズ&プレイヤーズ」の名称を冠して上演活動に着手するにあたり重視したいのは、戯曲の力と俳優のアンサンブルに焦点をあてるとともに、エデュケーション・プログラムとの統合です。とりわけ、10代後半の若い観客を視野において、優れた海外戯曲を上演することを計画しています。シンプルに端正に上演するということ、これが思いのほか欠けてきたように感じます。ときに過剰な照明が、装置が、あるいは演出が、観客から想像する余地を奪ってしまうことがあります。飾っていくよりも、削ぎ落とすほうが難しい作業かもしれませんが、ピーター・ブルックの60年代のレトリックがむしろ、いま私たちに求められているように感じています。
芸術への公的助成も揺らぎを見せるなかにあって、このような少し青臭い思いを抱いたのには、どこか東日本大震災・大津波災害が影響しているのかもしれません。歴史を振り返ってみても、不確実性の高い時代にこそ演劇はそのあり方を問い、強い力を発揮してきました。「いまさら」ではなく、「いまだからこそ」という言葉をかみしめながら、「いまやるべきこと」の模索を続けたいと願っています。ご支援・ご鞭撻を賜りたいと思います。

プロデューサー 中山 夏織 

     

エデュケーション・ポリシー

演劇教育ほど、言葉として多用されるものの実体として思い描くものは人によって異なるものは少ないかもしれません。その担い手によって、まったく別種のものが展開されているからです。シアタープランニングネットワークは、長年にわたって、大きく二つの視点から演劇を使った教育に関わってきました。一つは、学校における教師による演劇教育です。時にアーティストが教師の役割を果たすこともありますが、基本的には、カリキュラムに沿って教科を指導する、あるいは、リテラシー能力や考える力、意思決定、問題解決等を扱うものです。
二つ目が、演劇人による教育やコミュニティへの関与です。地域を拠点とする劇場が、あるいは劇団が、その資源を生かして人々の暮らしや学習に関わるものです。芸術ならではの社会的責任であり、同時に、演劇ビジネスとしては少しばかりマーケティングの側面も持つものです。
後者の、いわゆるエデュケーション・プログラムは、日本でも次第に広がりをみせています。しかし、その多くは、あるアーティストがいて、その人のユニークな手法等を指導するというものではないでしょうか。あるいは、子どもたちの表現能力やコミュニケーション能力の向上という目的をもって、ゲームをやる、遊ばせるというものが多いのではないでしょうか。

シアタープランニングネットワークが、このTPNプレイズ&プレイヤーズの事業としてのこだわりは、はじめに目的ありき、はじめに受益者ありきの視点にあります。あるアーティストがいて、その人の芸術観や手法を提供するのではなく、受益者(例えば、問題を抱えた青少年)があり、目的(自信、スキルの獲得など)が設定され、それからファシリテーターとしてのアーティストが決まるという構造です。それを、上演作品を使って実施することができないだろうか?

劇場や創造団体にとっての最も貴重な資源は、いうまでもなく上演作品です。エデュケーション・プログラムのなかで上演と関連しているのは、いまだトークセッション的なものに限られているように感じています。上演作品に関連してワークショップを行おうとすると、「観ればわかるように作ってある、よけいなことはするな」とばかりに演出家の反撥にも出会うかもしれませんし、そもそも教育的ではない作品も多いじゃないかとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

しかしながら、いかなる作品にも―本質的に、上演に値する作品であれば―「教育や個々人の発展に活用しうるテーマ」があるのではないでしょうか。正しい回答を教えるのではなく、意味を探ることを、異なる視点からみることを求めているからです。例えば、『ロミオとジュリエット』では、若い恋人たちに他の選択肢はなかったのかを問いかけることができます。女性の自立を問うこともできるでしょう。暴力やテロを扱った作品では、暴力やテロの意味の歴史的な変化やそれらを生む構造を、あるいは、階層や差別を扱った作品では、差別の構造や、ステータスの変化で何が影響をうけるのかなどを探ることができます。何もまじめで難しいテーマばかりではありません。『マクベス』や『テンペスト』なら「魔法」や「超自然」をどう身体で表現するかを体験することもできます。英国のロイヤルナショナルシアターの『戦争の馬』のワークショップに参加したことがありますが、そのときのテーマは「動く人形作り」でした。大切なのは、参加者たちは集団でのゲームを遊びながら、身体的に探求し、体験する機会が与えられるということなのです。しかもそれが、単なる道具に墜することなく、美的かつ知的、かつ挑発的な遊びであるということです。演劇の社会的責任の一つは、子どもたちや社会的弱者という範疇にいるがために、この美的かつ知的、かつ挑発的な遊びから疎外されている人々に、この遊びを獲得させることであると考えています。この遊びの獲得が、実は、学びへと、就労へと発展させられるのだと、だから重要なのだ、この遊びゆえに私たちの存在意義があるのだと胸をはれるようになれることを切に望んでいます。

中山 夏織
芸術監督
ドラマ教育アドヴァイザー