城下町から商業都市へ

●天正14年(1586)頃、豊臣秀吉は城を坂本から大津に移し、京都・大坂へとつなぐ政治・経済の重要拠点とした。

この大津城は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦では、東軍(徳川家康軍)の戦略拠点として重視され、城主京極高次

の籠城戦が、東軍を勝利に導いた。その後、城は膳所に移され(天守閣は彦根城へ)、かつての城下町は商業都市に変貌。

大津城の中堀や外堀は、物資荷揚げ用の舟入として利用され、城跡は町地として整備された。

元禄時代(17世紀後半)には、町数100カ町、人口1万8千人を超える、活気あふれる都市に成長した。

大津本陣跡

御幸町の滋賀労働基準局付近にあたる。本陣とは、宿場におかれた大名などの宿泊施設。

大津宿には二軒の本陣があり、この地はそのうちの大塚嘉右衛門宅。

現在は、明治天皇聖跡碑が建つだけだが、江戸時代当時の本陣は広く、3階の楼上からの琵琶湖の眺めは絶景だったという。

NEXT

大津百町へ戻る