大津代官

●大津は幕府の直接支配地(天領)として代官が赴任した。代官所は湖に突き出た旧大津城本丸跡で、

当初は小野氏が就任。

大津町は享保7年(1722)、享保改革の一環として京都町奉行の直接支配となり代官が廃止されるが、

明和9年(1772)に復活。以後は石原氏が幕末までほぼ世襲している。

代官の配下には同心20〜30名が配置され、元締・小頭・横目・町役・目付などの部署があった。

また大津代官の管轄範囲は広く、大津百町の支配とともに、近江一国の民政や大津百艘船の支配なども担当した。


大津代官

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本要寺

かつて大津に天領(幕府の直轄地)で代官が支配していた時のなごりが

大津市の町中にあるお寺の門の裏側にかくされています。

この山門は大津牢獄の門を移築したものです。

山門に入ることは悟りへの第一歩ですから、先人はそのような思いを込めて、

寺院の門に再利用したのでしょう

大津牢獄の門を移築

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本要寺の正面

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大津牢獄の門

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