現 松ヶ丘公園のあたりにあった「鈴塚古墳群」



 

 鈴塚という地名は、字 五十塚にたくさんの塚があり、鈴なりに塚がある、

ということで、鈴塚になったと言われています。実際に鈴塚古墳群(塚群)

という遺跡があり、発掘調査もされています。

 将門と純友が戦勝祈願のために大鈴を埋めて塚を築いた、という伝説

は、この古墳群(塚群)により生み出されたものと私は思ってます。

 昭和54年(1979年)の発掘調査によると、この塚は古墳ではないことが

判明しています。いつの時代に、なんのために造られたのかは全く解明

できなかったようです。

 おそらく、この古墳群(塚群)の築造理由は、築造後しばらくして忘れ

られ、なんでここに塚(古墳)があるのか分からなくなっていたのでしょう。

古墳のようにも見えるが、誰かの墓という話しは聞いたことがないし、、と

いう風に。

 そんな中、誰かが、この塚から将門の物語を考え出したのではないで

しょうか。なぜ存在するのか分からない塚から、壮大な物語を生み出した!

ですので、この伝説が創られたのは、将門死後、相当経ってからでしょう。

将門の乱当時の記憶が残っている人がいたら、「そんな話しは聞いたこ

とがない」と一蹴されてしまうでしょうから。


場所


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昭和55年(1979年)の発掘調査

( 「 南守谷地区土地区画整理事業地内埋蔵文化財調査報告書 」 より )


七基の塚とも古墳ではなかったそうです。
出土品は、六号墳から縄文土器片が6点だけとのことです。






塚は七基あり、面積は12550u ( 内2738uのみ保存 )

塚の配置図






1号墳、2号墳の断面図

直径は10mくらいあるようですが、高さは80pくらいしかないようです。








鈴塚古墳の写真

塚と言っても、そんなに高さはないようです

鈴塚古墳群全景

鈴塚古墳群第一号墳








実際に歩いてみました



団地の中を横断している遊歩道
「 幸福の路 」



幸福の路です




松ヶ丘公園



松ヶ丘公園の入り口



公園の中の林です。表示がないので分かりませんが、
たぶん、この辺が鈴塚古墳群の保存地域だと思います。




塚はよく分かりませんでした














平将門の妙見信仰と鈴塚古墳群

 平将門は妙見菩薩に助けられて戦に勝利し、関八州を支配下に置くことが
できた、という伝説があります。それ以来、将門は妙見菩薩を信仰するように
なった、と。

 妙見菩薩は、北極星または北斗七星を神格化した菩薩で、平将門の遺跡
でも、北斗七星に関連づけられたものが多くあるようです。

 鈴塚古墳群も、塚が7基ある、ということはなにか因縁を感じます。鈴塚古
墳群を妙見信仰…平将門に関連づけてみました。


※ 「守谷町史」を見ると、昭和47年(1972年)の調査の際には、7基の塚
  以外にも幾つかの塚の存在が確認されていたそうです。塚の上に人家
  が建って湮滅していたので調査できなかったそうです。




七基の塚は、当然のように星…北斗七星を表すものと思います

それぞれの塚にを当てはめて分かりやすくしました。







……が、これを北斗七星にするのは難しいです。。
   まぁ、千葉市にある 「 七天王塚 」 も並びがいびつなの
   で、なんとか北斗七星にしてしまいます。






できました。北斗七星が浮かび上がったでしょうか。








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