鈴 塚

 平将門の乱が起きたとき、ほぼ同時に西国では藤原純友の乱が起きました。将門と純友の共謀説は昔からあります。

 それに由来する伝説も多くあり、京都には、二人が腰掛けて反乱を語り合ったという「将門岩」があったり、純友が自分の息子を反乱の約束として将門に差し出したという伝説もあります。

 守谷市には鈴塚(すずか)という地域があり、その地名の由来は、純友が西国からはるばる将門を訪ねて来、お互いの戦勝を祈願して大鈴を埋めて塚にしたという伝説によるもの、という説があります。フィクショクだとは思いますが、塚を見たくなり、探してみることにしました。






本やインターネットで調べたところ、三つの場所が候補として上がりました。


@ 「国土交通省東京航空局守谷VORIDME」 のあたり

    「 稲葉嶽男編 関東中心 平将門伝説の旅 」に載っている地図による。

    下の地図の黄色く塗った「鈴塚」が示しているのがこの辺りである。    

    この地図の、「 鈴塚 」と書いてある、「塚」の文字の向かって左上あたり
    は 「 高野 字 五十塚 」という地名である。



       




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A 鈴塚地区の日枝神社の裏にある地面の盛り上がり

    「 つくば新聞 」というホームページに、日枝神社の伝説が載っていたこと
    による。



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B 現松ヶ丘公園のあたりにあった「鈴塚古墳群」

   「 鈴塚 字 五十塚 」に、多数の塚があった。
   「 鈴塚 」という地名が、塚がたくさんあった ── 塚が鈴なりに存在した、
   ということに由来するものであり、そこから将門の鈴塚伝説に発展した、という
   推測。



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