鳥 取 県

 

所在地

城の名前

説 明

 大栄町 

  

 由良台場 

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岩美郡岩見町 浦富 浦富(うらどめ)台場 文久3(1863)年造られる。鉄造12斤台場砲1・
6斤台場砲1・5寸台場砲1・谷峰侖台場砲1の
4門が備えられていた。
鳥取市 賀露 賀露台場 文久3(1863)年鳥取藩によって築かれた。
浜坂 浜坂台場 文久3(1863)年6月14日、中本軍太夫御
普請係で構築され、8月9日に完成した。そ
して、10月11日に、鉄造60斤台場砲・24
斤砲・15栂短忽砲各1門ずつ備え付けられた。
東伯郡赤崎町 赤崎 赤崎台場 文久3(1863)年築かれた。守備は武信佐五
右衛門が担当し、民兵を組織して警備に当
たった。備砲は、鉄造12斤砲1・御銘入鉄造
5寸径砲1・鉄造3斤砲1の、計3問である。
東伯郡羽合町 橋津 橋津台場 文久3(1863)年地元の大庄屋によって構築さ
れた。備砲は、鉄造6斤台場砲・3斤台場砲・18
斤台場砲・御銘入鉄造5寸径台場砲の4門で
あった。
西伯郡淀江町   淀江台場 文久3(1863)年に築造される。備砲は、18斤
台場砲・5寸径砲各1問ずつであった。警備に
は池田周坊・松南徹翁があたったが、築造か
ら警備まで、主に松南翁が彼の育てた農兵と
行なった。台場の敷地も翁が提供した土地で
あった。
境港市 花町 境台場 文久3(1863)年、富山敬三の設計により、砲
術師武宮丹治と、当地の大庄屋山根作兵衛に
よって築城を開始され、明治元年11月に完成
した。文久3年当時の備砲は、鉄鋳造の5寸
径大砲5挺・18斤砲2挺・6斤砲2挺であった。
台場構築の工事費は、当時 鳥取藩には費用
が無く、民間の献金や無償奉仕が主で、人夫
は、延べ3万3380人にものぼったと伝えられ
ている。台場の管理は、当地の村民や青年に
任せられていたので、村民に信頼のあった富
山敬三によって明治初年まで管理された。

 

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