稜堡式城郭とは?
稜堡式城郭とは、稜堡という施設を用いた城郭のことである。稜堡とは、中世ヨーロッ
パで発展した城塞の防御施設のことで、その発展の経過と任務は次の通りになる。稜堡の
発展は、火器の発明が発端になっている。火器発明以前の城は、石製もしくは煉瓦製の背
の高い城壁や塔によって構成されていた。火器が発明され大砲等が実戦に投入されるよう
になると、攻城戦の様式が従来とは異なるようになり、城塞の形も変化してきた。それま
での背の高い城壁では大砲の目標になってしまうので、次第にその高さを減じていった。
それに、大砲を城塞に据え付けるために、塔や城壁はその幅を増大し面積を広げていった。
また大砲は、石工から土工へと築城を転換させた。石や煉瓦でできた城壁は、砲弾が当たっ
たときの破片で城中の兵士に傷を負わせてしまうという不利が生じたのに対し、土工の被
覆は、砲弾が当たった時の衝撃を吸収したからである。それにより、城壁に土塁を用いた
り、石垣の中に土を充填したりするようになった。
戦闘においては、正面射撃だけでなく側面からの射撃を併用すると効果が上がる。正面
と側面からの発せられる火線を十字砲火と言うが、城壁の全面はすきまなく火線で覆われ
るように計画されなければならない。稜堡を用いた城郭は、城郭本体より長く突き出した
稜堡により、攻めよる攻城兵に対し死角なく十字砲火をあびせることができたのである。
稜堡式城郭は、さらに防御力を増大させるために、本体に設置された稜堡の他に外堡を設
けるようになった。五稜郭にも見られるような半月堡(ラヴェラン)などがそれである。半
月堡の他にも、斜堤(しゃてい)や凹堡(おうほ) 封ダ(ふうだ)などを設けることにより、
縦深防御を実現していったのである。
左下の緑の丸で囲った部分が稜堡である。右上の緑の丸で囲っ
たところが半月堡(ラヴェラン)である。赤い線は大砲の火線
であり、死角がないこと、十字砲火が実現されていることを
図示している。
稜堡式城郭の各部名称
A 封ダ | 塁壁の一種で、二重目の火線を構成して城壁を援護するためのもの。 |
B 堡塁 | 要塞・とりで |
C 凹堡 | 中堤の前にある細長い郭を凹郭という。自然地の上に
1〜1.5メー トル出ている程度の低い郭である。凹郭の胸墻の両端は折れ曲って 前方に突き出していて、平内的には稜堡の防御線の胸墻の延長線上 にあるようになっている。しかし立体的に見ると防御線の胸墻の線 よりほ一段と低い。凹郭はフランスのボーバンによってはじめられ た。彼は中堤前の壕の幅が広いので、ここに敵の射弾が集中しやす いから、中堤を援護するためにはじめたのであるが、後になると凹 郭には別の役目が与えられるようになった。中堤には城内より壕内 に出るための暗路(トンネル)がある。この暗路は歩兵のみならず 砲をも通すので、幅が広く敵の目につきやすい。この暗路の開口部 を敵眼から遮蔽するのが、第一の役目である。第二の役目は壕内に 侵入して来た敵兵に砲火を浴びせるための砲座を持ち、さらに逆襲 の基地を提供することである。そして、壕が水壕であるときには船 やその他の交通器具を掩覆する役目を果たす所でもあった。 |
D 半月堡 | 半月堡は改良イタリー式稜堡城郭の中堤を掩護するための中央稜堡か ら発生している。はじめは小さいもので、併せて城内に通ずる橋梁 や通路を掩護するくらいの機能を有する物にすぎなかった.しかし 後世になると拡大されて大きく作られるようになって、中堤はもち ろん、稜堡の肩角も掩護するようになり、稜堡の凸角を防御する役目 をも果たすようになった。この郭は前面に突出しているので、攻撃軍 は、この郭を突破しなけれは本堤を攻撃することができないように なった。 |
E 掩郭 | 凹堡と同じ役目を持つ郭であり、稜堡の前面に置かれた施設である。 |
F 斜堤 I 覆道 |
城壁上の胸墻を磚や石のものから堆土のものに替えると胸墻の 幅が非常に広くなった。それに従って火線と外頂を結ぶ線 (頂斜面)、すなわち射線の俯角が小さくなって、塁壁(城壁) の根にできる死角が遠くまで延びていった。塁壁の前面に大 きな死角ができることは要塞にとって致命的である。この死 角を消滅させるためには考えられたものが斜堤である。従って 斜堤斜面の線と胸墻の頂斜面の線とを結ぶとき、これらの線 が1直線すなわち180度になるか、あるいはそれより小さ くなけれはならない。180度以上になると、せっかく斜堤を 作っても死角が生じてしまう。これと共に斜堤には壕の内岸 を敵の通視より遮蔽することによってこれを掩護する役目を も有している。また斜堤は内斜面に工事を施すことによって、 歩兵の踏ダとして、火線を構成することができる。このよう にしたとき、これを覆道という。覆道は敵の近接作業を従射 するために、鋸歯形に経始された。覆道の一部は守兵の集屯 所として、出撃のための基地として利用される。覆道に守兵 の集屯所が作られるようになるのは覆道が発案されて約20 年後であったという。 |
G 凸角集屯所 H 凹角集屯所 |
堀の外線部にめぐらされた覆道上に設けられた、要塞防御あるいは 反撃のために歩兵が集合し、敵の侵入に備える場所である。凸角部 に置かれたものを凸角集屯所、凹角部に置かれたものを凹角集屯所 と称する。 |
J 半月堡角 | |
K 稜堡 | 要塞本体から突出して敵を制する施設のこと。 |
L 中堤 | 稜堡と稜堡の間にある、直線の塁壁のこと。 |
M 横堤 | 要塞内に着弾した際に、破片が飛び散り防御兵を傷つけることを防ぐ ために造られた土塁。 |