大鹿城

 

大鹿城は競輪場のある台地の尖端に位置し、昭和45年までは単郭の城跡が残され、現在は
ほとんど消滅した城跡である。城跡は、現在競輪場のある台地の尖端にあり、楕円形の曲輪
が周囲を土塁・堀で囲まれる形で存在した。 虎口は曲輪の南東に設けられており、虎口を
出ると競輪場のある台地へ至る通路と、城跡の南に広がる低地に下る通路にわかれていた。
虎口の西側土塁には虎口前面の通路に対する側防施設が設けられている。側防施設は、この
他に曲輪の北側土塁にも構えられていたようである。大鹿城は構造からして、戦国時代後半
の構築と推定されている。なお、城跡周辺には、競輪場のある台地に「馬場」「北口」の地
名が残っている。

昭和40年頃の地図 昭和60年頃の地図

昭和40年頃の大鹿城周辺  まだ城趾はある。

昭和60年頃の大鹿城 ( 競輪場 ) 周辺。
主郭部分は完全に消滅している。

大鹿城の図 大鹿城本丸の図

昭和47年につくられた、実測図                    本丸部分の拡大図       

 

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