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★管理人評価★ |
セーラー服不毛地帯の神奈川県中部〜西部にあって伝統と歴史をビシビシ感じるセーラータイプのジャケットが根付いたのが随一の進学校、厚木高。市内のもう1校厚木西高とともに厚木セーラージャケットの文化を継承する頼もしい学校です。西高の創立が新しいことを考えると、それまではこの学校のオリジナルだったんでしょう。また、明るい紺の西高と違ってこちらは通常の紺。伝統校らしいところを見せています。
最近の新型制服でも根強い人気を誇るデザインですが、トラッドなセーラーに欠かせない襟ラインの存在と、さらにそれがクロスするという芸の細かさで非常にクラシカルな印象。ダブルのボタンも非常にきちんとしたイメージです。全国の新型制服に伝播していく以前の、正調セーラージャケットの趣を感じ取ることができるのが素敵です。
★観察記録★ |
都心への通学圏ですが、地元で最高峰の進学県立校として豊かな実績あり。そのため、ギャル風のいでたちが普通であるこのエリアで、おしゃれに気をつかいつつも節度のある着こなしが好印象の学校です。ただ、あくまでジャケット扱いなので、前のボタンを外してラフにぶらぶらさせているコもいました。暑い日になると、中のカッターシャツを着ない姿も見られます。
スニーカーも見ましたが、基本的には紺ハイソにローファーでした。スカートも土地柄から短めですね。
細かい話になりますが、後ろ襟のクロスライン、紐タイプのラインを上下互い違いに組み合わせていて、なかなか凝っています。
★投稿情報★ |
40年ほど前に卒業した男子(当時)です。母校の女子制服が紹介されていてびっくりしました。 特記事項のバッジのアルファベットはクラスを表しています。また、当時は学年によってバッジの色が違い(今もそうかな)、緑、紺、赤が使われていました。バッジを見ると学年とクラスが一目でわかる仕組みです。悪いことはできませんでした。 入学した時に先生から聞いた話では、このデザインは、先輩たち(当時の在校生の女子)も加わって決めたそうです。元々が男子校で、男子が9割を占めていた時代だったので…(この状況が長かった)。50年くらいはスタイル不変だと思います(スカート丈は除いて)。この制服は、同級生の女子(当時)も結構気に入っていたようです。でも、冬でも服の下に白のカッターシャツは着てなかったような気がします。 蛇足ながら男子は定番の学生服でした(今もそうだと思います)。あまり流行を追いかけたりしない硬派な伝統は健在なようです。 (情報提供:「昔の男子卒業生」さん) 制定当時にさかのぼる貴重なお話が聞けました。 この伝統がいつまでも守られますように! ありがとうございました(^^)/ (2013年の投稿情報です) |
卒業生女子です。私は女子が入学できるようになって、10年目ぐらい?だったと思います。だから、女子が3人しかいないというクラスもありました。まだ昔の制服のままなんですねえ。 でも、当時は下にカッターシャツは着ませんでした。というより、下に何か着ているのが見えてはいけないという決まりだったように思います。また、上にカーディガンなどを羽織ってもいけないという規則でした。だから、冬は丸首の大きく開いたセーターなどを下に着てました。9月に北海道の修学旅行があり、その時だけ、上着の上や下に何かを着るのが特別に許された記憶があります。 それと、制服をオーダーする指定のお店が3つほどあり、それぞれ襟の形、ラインの幅、脇の絞り方などもまったく違い、その結果、3種類の制服があるようでした。私はデパートで作ったのですが、いちばんダサかったように思います。一番人気は、鈴木洋裁という卒業生のお店だったと思います。 夏は、暑いにも関わらずネクタイで、丈の短いオーバーブラウスなので、電車のつり革などにつかまると、背中やお腹が露出する危険なもので、小田急線での通学組は、みんな痴漢にあってました(背中に手を入れらるなど)。そのため、見た目より機能的ではなかったので、実際に着ている法からは、あまり快適なものではありませんでした。また、まったく同じ制服がなく、タダでさえ少数で目立つ女子だったので、本当に悪いことはできませんでしたね。 (情報提供:卒業生のcanさん) なんとなく時代を感じさせるお話もあり…おもしろいです。 ありがとうございました(^^)/ (2013年の投稿情報です) |
★イラストについて★ |
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