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★管理人評価★ |
ラインの色、微妙な大きさの襟など、他校にはみられない特徴があり、個性的なセーラー服ですね。ラインは茶色にやや赤みがかかったものでよく目立ちますし、「小さめの関西襟」とでも言うべき襟はユニークな印象を与えてくれます。こうしたデザインは、東日本ではなかなかお目にかかれないでしょう。関東襟が主流の米子でもかなり目を引く、オリジナルデザインが素敵です。
ポイントの1つ、スカーフ留めの校章は、遠目には何やら複雑な模様に見えますが、よく見ると「蜂」の意匠だということがわかります。関東で蜂セーラーと言えば半ば伝説になっているくらい有名な千葉県の鎌ヶ谷西高校。こういう校章、結構あるもんなんですね。学校の歴史を素直に汲んでいるところもすばらしい(下の投稿記事参照)。「東の鎌西、西の米南」としてよき校章姉妹校であり続けてほしいところです。
★観察記録★ |
平成13年、かつての米子南商業高校が学科再編で米子南高校と校名変更。どうやら制服は変わっていないようで、ほっと一息……と思ったら、あれ、ここのセーラー、以前は米子のほかの学校と同様に襟の左コーナーに校章マークが入っていたような。う〜ん、マイナーチェンジでしょうかね。それとも管理人の思い込みか・・・。僕もうろ覚えなので、詳しいことをご存知の方は、教えてください。
駅からは中途半端に遠いので自転車通学者が多いです。また、校名変更でわかりやすくなったとはいえ、米子商業は別の学校ですので、要注意。こちらはブレザーのようです。
夏の暑い盛りになるとセーラーではない白のオーバーブラウスも見られるようになります。この盛夏服、着用が義務づけられているわけではないらしく、セーラーで通す生徒さんも多いようです。
★投稿情報★ |
こちらのイラストを拝見して、懐かしくなりました。あの制服はやはりとても珍しいものだったんですね。確かに私もあの茶色ラインのセーラーに憧れて受験したくちなんで……。 スカーフ止めの蜂も、今ではいい思い出です。当時は他校生に「蜂!? 蛾じゃないの!?」と言われ続けたものです。(蝿ってのもありました。ひどい・・・) 今回の名称変更に伴う、制服のモデルチェンジがなかったのはとても嬉しいです。開校当時からのデザインは貴重ですから、そうそう無くしちゃダメですよね。 ちなみに母も同校卒業で、同じセーラーを着ていました。当時はスカーフ止めが布ではなく、蜂型のバッジだったそうです。 (情報提供:米子南商業卒業生のさかさん) 親子2代で同じ制服とは、やはり歴史のある制服ならではのエピソード。 楽しいお話、ありがとうございました(^^)/ |
実は米子南商業高校の前身は、戦前は養蚕学校として絹糸生産の技術を学ぶ学校だったそうです。そのため、校章は蚕の成長した「蛾」の姿がモチーフでした。広いグラウンドも他校にはない特徴だったのですが、これも蚕の餌の桑畑の名残だという話です。戦中には「飛行科」といった時代に即した学科も併設されていたそうです。 さて、戦後はこの学校は平和教育のためにということで商業高校として生まれ変わります。校章は養蚕学校時代の「蛾」のモチーフをほとんどいじらずに「働き蜂」と公称するようになりました。 「蛾」から「蜂」に変わったいきさつは以上ですが、「ハエ」と呼ばれる理由に、一つ心当たりがあります。実は米南の制服には「金色の校章バッチ」「銀色の校章バッチ」があります。他校の友達にはいつも「形といい色といい、ハエとしか言いようがない」とけなされていました。もともと蛾の羽と触覚の形だけを改造したらしいので、肝心の虫の腹部は蛾のぽってりした形のままです。そんなところから「ハエ」という呼び方が始まったのかもしれません。 さて校章の大きさは、金バッチの方が銀よりも小さめでした。銀バッチは女子制服のスカーフ止めに、金バッチは冬の学校指定のコートの左襟につけることが義務付けられています。冬の制服コートはステンカラーのスッキリしたデザインで、当時から女子生徒には好評でした。 偶然、このような素敵なサイトにめぐり会えて良かったと思います。これからも頑張ってくださいね! (情報提供:米子南高校卒業生のこなさん) この校章にこんな複雑な歴史が隠されていたなんて! 蛾と言われようがハエと言われようが、 本当の意味で学校のシンボルになっている校章、素敵だと思います。 勉強になりました。ありがとうございました(^^)/ |
★イラストについて★ |
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