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★管理人評価★ |
都立ではごく珍しくなってしまったセーラー服が、この学校の顔。東京は公立中学でもセーラー服でないところがかなりあるので、「セーラー服が着られる都立高校」ということで、よいアピールになっているようです。これは学生運動の時代に伝統校のセーラー服が自由化もしくは標準服に降格してしまったためで、標準服ではなく全員着用の伝統のセーラー服となると、あとは江東商業くらいのものでしょう(近年八潮高でも強制着用の制服として復活した模様)。
しかも、この夏服、前開きボタン留めでどこか新型のような、それでいて伝統を感じさせる不思議なデザイン。実は昭和30年代にいちど廃止した夏セーラーを復活させたものなのだそうで(下記投稿記事参照)、復活の際に微妙に新型っぽいアレンジが加えられたのではないでしょうか。小ぶりの関東襟、小さな黒リボン、白百合女子のような細いラインと、コーナーのねじり処理。いかにも東京のものらしい、とても洗練されたセーラー服だと思います。復活の経緯は知りませんが、セーラー服の潜在人気の高さを示す好例ですね。
注目すべきは襟の松葉マークでしょう。校章とはまた違いますが、だれにでも見分けがつく、個性的なワンポイントです。
★観察記録★ |
学校が千葉県寄りにあるため、残念ながら都心でみかけることはほとんどありません。その事実が物語るように、東京の公立高校にしてはかなりきちんとした印象で、制服のまま遊び歩いているコは少ないようですね。文武両道をウリに熱心な指導をしているマジメな学校です。
実際に見たところでは、ほぼ全員黒いナイロンのリボンをつけています。かつてはスカーフ結びが規定だったようですが、、いつの間にかナイロンリボンが規則になっているようです(下記投稿記事参照)。
学校の公式HPに「こま子さんの青春be-ing」という、おそらく生徒さんが描いたマンガを発見。夏服のこま子さんが大活躍(笑)。学校の雰囲気がよくつかめるし、僕のイラストなんかよりはるかにかわいいので、ぜひ一度読んでみてください!
★投稿情報★ |
小松川高校の夏服について、情報入手したので報告します。 今の白襟夏服は近年になって登場したものであり、以前の夏服は紺サージのジャンスカだったそうです(冬はずっと同じ)。ではこの白襟夏服が最近の採用かというとそうではなく、昭和30年代の中頃まではこの白襟夏服が採用されてて、その後物資不足か何かの理由でジャンスカになっていたのが続いてたらしいです。つまり今の小松川夏服は復活登場のようです。 ちなみに「小松菜の(元)産地で川に面したところにあるから小松川」という校名の由来は本当なのでしょうか(^^;)。前身は府立女学校との話も聞いたことがあります。 (情報提供:irakusaさん) なんと珍しい事例。夏セーラー服の復活は1995年だそうですね。 小松菜の産地という説も本当らしいです。 いいお話、ありがとうございました(^^)/ |
生徒手帳にある制服規定では三角ネクタイですが、今は小ぶりな黒リボンです。2000年ごろまではみんな三角ネクタイだったらしいのですが、結ぶのが面倒なのか、誰かがどこかの高校のリボンをつけてから流行りだしたそうです。学校指定のリボンはなかったので、黒や赤や青、あるいは柄もののリボンを勝手に着用しているありさまだったようです。そのせいで2002年ごろから黒リボンが標準になってしまったそうです。制服を買うと今はこの黒リボンがデフォルトでついてくるそうです。いわゆるデファクトスタンダードになってしまったのでしょう。 夏のセーラー服は1996年ごろ復活したそうです。以上は卒業2年目の後輩から聞きました。 小松菜のお話ですが、小松川で取れた名物野菜ということで小松菜です。名前の由来的には小松菜⇒小松川ではなく小松川⇒小松菜です。小松川という地名は平井地域だけではなく、荒川の両岸にまたがるかなり広範な地域の名称でした。戦前はかなり農業が盛んだったようです。 (情報提供:卒業生のざがあとさん) リボンのナゾが解明しました! 小松菜の興味深いお話も、ありがとうございました(^^)/ |
母が小松川OGです。この間、ふとしたことから制服の話になりまして、すでにその頃からスカート丈には流行があったことが判明。当時(1960年代です)は、「セーラーとのバランスを考えてひざが半分隠れるくらいが良かった」そうです。ちなみに、すそを上げても上手く上がらないので、スカート丈を上げるときは一度セーラー服の下に着るジャンバースカートを上下分離して、ジャンバースカートの上の部分に、スカートの部分の長さを調節したのを当てて縫い直していたそうです。すでにこの頃から制服のスカート丈にこだわってたんですね。 ちなみに、当時はまだプリーツ加工もいまいちで、母たちは毎晩布団でスカートを寝押ししていたそうです。ちかくの都立深川高校が当時、4枚はぎのフレアっぽいスカートの制服を採用していて寝押ししなくていい、プリーツがとれなくていいと、母は羨ましがってたようです。 (情報提供:irakusaさん) 60年代のお話は貴重ですね^^ ありがとうございました(^^)/ (2010年の投稿情報です) |
ページを拝見したのですが、少し気になる所が…。イラストではソックスが紺色なのですが、私が在籍していた頃はまだ「ソックスは白」だったかと…(当時は先生から「紺色ははいてこないように」と呼びかけられたものです)。ただし随分前のことなので、規則改定された可能性もありますね。当時はソックスについて色の規定はあっても形の規定がなかったので、流行りのルーズソックスを堂々とはけました(笑) ちなみに「小松川」は他の方もおっしゃる通り、地名です。河川でなくて地名ですので「小松川↓」と下がらず「小松川→」と平坦に発音します。小松菜については、今では宅地化により「源産地」のような印象も。命名のエピソードとかも面白いのですが、脱線になるのでやめておきます。 (情報提供:卒業生のららさん) ソックスは実地で確認しているので、紺で間違いありません。 規則が変わったと見ていいでしょうね。 地名のお話もありがとうございました(^^)/ (2010年の投稿情報です) |
夏服の改変は、ちょうどわたしが2学年のときに行われたもので、生徒会主導で行われました。いくつかの候補があり、それを全校生徒による投票で決めたのを覚えております。当時の在校生は新旧、どちらを着用してもよいことになり、次年度の新入生以降は、夏服は新バージョンで統一されました。実は、盛り上がっていたのはわたしたちの学年だけで、新入生の評判はいまいちだったんですよね。前のほうがよかった〜っていう声も結構耳にしました。 修学旅行で京都に行った際、女子たちが現地のおばさんに「小松川の生徒さんでしょう?」と声をかけられていました。襟の松葉の刺繍が印象的で覚えていらっしゃったのだそうです。 ぜひ今度、冬服のほうのイラストも再びアップしていただけませんでしょうか。(わたしにとっては、やはり夏服よりも冬服のほうがなじみ深いんです♪) (情報提供:卒業生の賤賤さん) 夏服制定時の貴重な証言ですね! 冬服の件、旧作のイラストが下手すぎるので、次回描きなおすときに考えましょう。 ありがとうございました(^^)/ (2011年の投稿情報です) |
私の時代は夏服はジャンスカでしたので、今の夏セーラーはうらやましいですね。 冬服は府立第七高女時代からのもので、1980年代前半の在校時、還暦をとうに過ぎた感じのおじいちゃんに街で突然声をかけられました。 「懐かしいな〜、うちのばあさんがこの制服を着てたんだよ!」とのこと。 なんとなく誇らしかったことを覚えています。 (情報提供:1980年代の卒業生さん) 伝統の制服には誇りが持てていいですね。 興味深いエピソード、ありがとうございました(^^)/ (2012年の投稿情報です) |
少し気になったところについて、私が持っている生徒手帳の2012年度の女子の服装規定は、 2. 黒リボンタイを用いる。 4. 夏冬ともに左胸に校章をつける。 6. 靴下は黒の厚手のストッキング、あるいは白又は紺のソックスを原則とする。 となっていました。 校章については、男子冬服以外では、終業式などのイベント以外ではちゃんとつけている人は多くはなかったです。 (情報提供:小松川高卒業生Fさん) すでにリボンタイが規定になっていたんですね! 詳細な情報、ありがとうございました(^^)/ (2013年の投稿情報です) |
★イラストについて★ |
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