返書人の紹介

 

 

この写真は国東半島に住む返書人 山本久美子さんの作品です。

 

  通信講座添削世話人から講座生徒の皆様へ

 はじめに:

全国の講座生の皆様、お元気ですか? 主宰の植村からご挨拶申し上げます。

自分を担当する添削世話人がどのような方か気になるものです。そこで

添削世話人が平素どのようなことを考え、感じているかをこのページで

世話人に登場いただき、いろいろとお話いただくことに致しました。

時々更新いたしますので、楽しみにしていて下さい。世話人投稿原文のまま

掲載いたします。何か御意見がある場合は当研究所宛にメールして下さい。

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*越綾子          2010年7月17日更新 

 

共に歩むこと

 

求道者なのか菩薩的境地なのか、はたまた修験者なのか、

どんな言い回しが自分には相応しいのかよくわかりませんが、

神様が存在するとかしないとか、輪廻転生があるのかどうなのか、

そのようなことではなく、ただひたすら「求めたい欲求」が宗教心理学の学びと

上手く重なったようです。

 

私の中にある普遍性を求める欲求による思考と行動は、

「*何のために自分は生きているのか?

*生き甲斐とは何か?

*自分の魂と体と心を大事にしているか」

を自然と満たしているようにも思います。

 

通信講座の返書という作業をしていると、私自身の軌跡をしみじみと感じることが度々あります。

返書を始めたばかりの頃は、一日の全ての時間を費やし、

何度も何度も自分の書いた返書を読み返し、投函してようやく役目が終わったような安心感を

得ていました。

最近では、私の書く返書は、今の私の投影でもある、という妙な安心感が芽生えています。

そんなわけで、数年前から比べると、ずいぶん楽に返書が書けているように思います。

長く学びながらワークショップに参加されている勉強仲間、

頭を捻りながらレポートテーマに取り組んでいる最中の勉強仲間、

皆さんとの関わりの中で私も随分自分自身を洞察し続けてきました。

 

今もこれからもずっとずっと自分を見据えながら学び続けていくのが、この勉強の面白さです。

学びに終わりは無いかもしれませんが、今の自分と数年前の自分、

そして現象に対する自分の解釈は、時を経てより吟味され、変化していることを感じます。

それぞれ共に歩みながら3級、2級、本免許を目指して、互いに切磋琢磨していきましょう。

 

*堤澄子(ツツミ スミコ) 2010年8月4日更新



カウンセリングの学びの基礎・カウンセラーとしての成長の出発点

 

カリタスカウンセリングを学んでいる仲間の皆様 こんにちは。
 

いかがお過ごしでしょうか。
 

本部から「ホームページの返書人コーナー文章の差し替え時期がやってきました。」と
 

お知らせを頂くたびに、あっ!もうそういう時期になったのか!と毎回あわてて
 

メッセージの準備をしています。
 

どんなことをお伝えしようか。と楽しみに内容を考え、
 

締め切りギリギリまで引っ張ってしまいます。
 

催促なしに準備ができればいいのですが・・・。
 
講座生の皆さんから、「まだレポートが書けていません。
 

期限過ぎているのに遅れています。すみません。
 

遅れているのでなんか後ろめたさも感じています。」など連絡を頂きます。
 

返書人としてレポートの提出が遅れていると「どうしているのかな。
 

忘れているのかな。悩んでいるのかな?行き詰っているのかな。
 

忙しいのかな。続けるかどうか迷っているのかな。」などいろいろ考えることも
 

ありますが、一言でも、「今こんな感じ。こんな状況です。」
 

とリアクションを頂くと「ああ。ちょっと気にしながら、
 

こころのどこかにカリタスカウンセリングのことを置いて下さっているのかな。」
 

ホッとしたりもしています。
 
基本的に、カウンセリングは、本人の自由意思によらなければ、始まらないし
 

成立しないと考えています。
 

ですから、よっぽどのことがなければ、あえてこちらから連絡はしません。
 

私としては、レポートの遅れよりも、それと向き合う自分自身に誠実に、
 

正直になってほしいし、その中で味わったり感じているありのままの思いを
 

自分自身で気づき、素直に正直に表現して下さることがうれしいです。
 

この「自己覚知」「自己開示」それこそがとカウンセリングの学びの
 

基礎・カウンセラーとしての成長の出発点になると考えています。
 

またネガティブな感情もポジティブな感情も防衛せずに
 

安心して自由に表現できる信頼関係大切にし、
 

それを提供できるよう配慮しながら、レポートでの出会いを通して
 

ともに成長していきたいと希望しています。
 

学びを始められたお一人ひとりと、レポート通して人格と人格が
 

触れ合える感触を味わえる時、とてもうれしく至福を味わいます。
 
ある方からこんなメッセージを頂きました。
 

「私は70年の自分人生の中で、最大のお恵はTさんに出会えたことです。
 

(中略)黙って話を聴いてくれる人は周りにいません。」
 

この言葉を聴きながら、学びを続けてきてよかったなあと感謝する気持ちと同時に、
 

日常生活の中で「おしゃべり・お話」と「傾聴」は、
 

やはり違うということを気づかせていただきました。
 

それは「傾聴」は非日常の時間と空間であるということであり、
 

それを生きるために訓練を必要とするということです。
 

これからも暮らしの中のカウンセラーとして日々の訓練に
 

励みつつともに歩んでいきましょう。

 

 

山本久美子         2010/07/30日更新  

 

生涯をかけて、育て上げる木のこと

 

このごろ、人の一生を一本の木として想像することを楽しんでいます。

人がこの世界に生まれてくるときに、誰もが育てるべき一本の木の種を携えていて、

その種には育てるべき木のイメージを知り尽くしている魂が宿っています。

その魂は愛そのもので、その人に寄り添い、いつでもその木のイメージに

導こうとしているのです。

 

魂を宿した種が芽吹いた頃、ちょうど乳幼児期頃から

人は生れ落ちた環境や周囲に適応するために、

その人独自の思考と感情を身に着けはじめ、環境に適応することに精一杯で、

いつしか魂の種のことは忘れ去られ遠ざかってしまいます。

しかし人が忘れていたとしても、確かに存在している種は

いつのときも健やかに育つ環境を切望しています。

 

人が人生途上で大きな問題にぶつかり悩みだすときは、

その忘れられた木のイメージに立ち返るための、

大きなチャンスが与えられたことと同じだと思うのです。

 

生き甲斐の心理学を学ぶということは、

成育史で知らず知らずの間に身に着けてきた思考と感情と行動、

こころの傾向を意識化する作業で、こころの仕組みを理解しながら、

生涯わたしと共にある、こころ(成育史)と体との最良の付き合い方を

学ぶことでもあります。

こころと体と良い関係を結べるときはじめて、愛そのものである魂もまた、

その人の中で存分に働くことができるのです。

 

一人でも多くの人が生涯をかけて実現するべき一本の木のために、

自分と大切な人のために学びを活かしてゆけますように。

過去と未来と現在と、生き甲斐の心理学に出合って育つ豊かな木々のことを、

いつも夢見ながら思い巡らしています。

 

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