50MHzについて
JA3WMS開局時に変調部(6CA7PP)を使って、2E26シングルの50MHz送信機も申請していた。ただ受信が出来なかったので7MHzA3オンリーだった。その内アルバイトで稼いだお金でTORIOのJR−310という受信機を購入する。SSBもいけるが、50MHzが受信できたので、早速ローカルとQSOすることになる。 |
この頃50MHzで仲間になった局 |
尼崎クラブでいつも遊んでいました。
LWAは1つ年上だったかな?XKJは高校生?中学生?
尼崎市アマチュア無線クラブ・JA3YST 50MHzでローカル仲間とQSOするうち、尼崎クラブの存在を知り、入会する。1回/月のミーティングだったが、毎月参加した。尼崎市から補助金が出るので、毎年予算を申請するが、そのやり方を大先輩に教わったりした。いまから考えると信じられないようだが、前年より少しずつ多めに申請するのがコツだと教えられた。最近JA3YSTのホームページを見つけたが、2005年あたりを最後に更新がなされていないようだ。活動もしていないのだろう。 |
大阪万博 1970年3月15日から大阪万博が開催された。JARLもブースを出し、記念局JA3XPOを開設した。私は15回ほど見学に行ったが数回JA3XPOからON Airした。 JARLは万博期間中のアワードとしてEXPO70アワードを発行した。ルールは、近畿の局(3エリア)と70局と交信するものだが、その中に近畿2府4県とJA3XPO局を含む必要があった。私は3月15日の0:00から50MHzでQSOしまくって、QSLカードと返信用の切手(7円)を同封してダイレクトで100局ほどに送った。約1週間で条件を満たしたので、即JARLに申請し、見事bPのアワードを得ることが出来た。表彰式は万博のJARLブースに招待され行われた。アワードで副賞(金杯・銀杯)をもらったのは後にも先にもこれが初めてである。 |
中央にJA3AAさんやJA3USAさんが見える。私は島さんの左上の若者?私のすぐ後ろに
JA3EUD大和さんがいたのに気づいたのはずっと後のことである。大和さんは2位だった。
表彰式は電信電話公社(今のNTT)館で行われた。東京と衛星通信で同時に行われた。
JA3XPOのQSLカードとEXPOアワードの副賞(金杯・銀杯)
50MHzでDX QSO |
1970年4月17日英語を喋る局が強力に聞こえる。良く聞くと「アイエックスフォー・・・」と訳のわからぬコールサインだ。とりあえず呼ぶと応答があった。後で調べるとオーストラリア人はAをアイと発音することが判明、かつVKがAXという記念プリフィックスになっていたのだ。この頃は全てJARL経由でのQSLである。 このように50MHzA3では結構楽しいQSOが多かった。今、144MHzを聞いているが、若い人が少ないなー。 |