1stQSOはローカルのJA3JHO(安藤さん)当時大学生だったが、40年後に144MHzでお会いしたときはリタイアされていた。


交信日時は1969年8月15日 12時10分



当時のログは紛失してしまったので、残っているQSLカードのデータをハムログに入力した。

 主に7MHzA3だったが、1970年4月期の2アマを受験・合格。同7月に14MHzの追加とSSB、CWの追加(無線設備の変更)と固定局を移動局に変更(無線設備の設置場所の変更)した。1970年8月18日付けでそれらの変更申請が許可された。

     

それまでAMオンリーだったのがCW、SSBでのQSOが主になった。さらに、14MHzでの交信も始め、ぼちぼちDXからのQSLカードが届くようになった。 

主に7MHz・21MHzで国内QSOをしていたが、開局から1月後あたりから、50MHzでローカル局と夜な夜なラグチューを楽しんでいた。1970年3月に大阪万博が開かれ、第一回のXPOコンテストで第一位になったこともある。興味ある方は50MHzのコーナーへ。 


就職で東京へ!

 1971年4月、就職のためJA1へQSY。4階建ての独身寮の最上階に住むこととなった。当初JA3WMS/1で運用していたが、1972年8月に設置場所の変更と空中線電力の変更申請(10W→100W)を行った。RIGはFL−101、FR−101ラインで100Wの変更検査を受けた。100Wの検査といえども2名の検査官が来られ、かなり緊張した。ちなみに101ラインは初ボーナス(6月)で購入した。


 
設置場所の変更、空中線電力変更の許可証。                        100W検査簿。    

1972年9月18日付で予備免許が降り、コールサインはJF1EZHとなり、1972年11月27日に検査・合格となっている。 


  
  JF1EZH(東京都中野区時代)のQSLカード

100Wでの運用がしばらく続くが、DXペディション等のパイルにどうしても勝てない。一念発起して1アマを受験し、500Wへのパワーアップを目指す。1アマは大きな問題があった。和文電信の送受信である。当時はやったウォークマンで会社の行き返りにも受信練習をした。

      
受験票              合格通知           

当時の試験問題はこちら無線工学 法  規

受験は1972年10月2日に学科、10月13日に電気通信術、日本電子工学院で行われた。約2ヵ月後12月2日にめでたく合格通知を受け取った。いよいよ500Wの変更検査にチャレンジすることになる。