自己紹介

1947年7月25日 福岡県筑紫郡筑後大石村で生まれる。父の転勤に伴いその後、福岡県飯塚市、佐賀県多久市、長  崎県長崎市と転々とし、兵庫県西宮市でマンション暮らしをしていたが、父の死で母の介護を兼ねて兵庫県尼崎市に移転、現在に至る。

飯塚市、多久市、長崎市と聞いてピンと来る人は感が鋭い。そう石炭の採掘工場があった土地だ。石炭産業の凋落で父は転々としていたが、最終的に兵庫県尼崎で開業した。実は付属病院の小児科医師だった。 

アマチュア無線というより科学に興味を持ったのは福岡県飯塚市に住んだときで、ゲルマニュームラジオを組み立てている。電話級の試験を受けるのは佐賀県多久市に住んでいるときで、中学生だった。近くにJA6CTH萩原愛次郎君がいたことも影響したようだ。 熊本の電波高校で試験があり、熊大生の叔父さんの家に泊めてもらった。中学生には厳しい試験だった。

  
電話級            2アマ            1アマ
   無線従事者免許証(一生有効)

 開局は色々理由があり1969年、22歳の時となる。開局前にアンカバーとして7MHzで盛んにQSOしていた。開局後は顔馴染みじゃなく、声馴染みが多かった。

送信機終段807シングル、6CA7PPプレート・スクリーン同時変調、受信機高一中二シングルスーパー、アンテナは300Ωテレビフィーダーを使った、フォールデッドダイポールだった。


最初の開局申請書。たかだか10Wといえども検査こそ無いが正式な申請書だった。どういうわけか固定局で申請し、緯度、経度も記入している。当時移動局といえば、それこそ持ち歩き出来る無線機だと思っていた。当時の無線機の写真は無い。あっても白黒写真だったが・・。
 

    
    免許申請書             事項書            工事設計書
  
   
  ブロックダイアグラム等       自宅周辺の地図

1969年8月に待望のコールサインJA3WMSが付与される。

 
伊丹に住むJA3JSY/田中君のQSLカードを模して作ったカード。以後このフォントを使っている。

    
           
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