勝利教会インターネットチャペル

十代の子を持つあなたへ


1.はじめに



 十代の子どもを持ち、しっかり育てて行こうと考えていらっしゃる、お父さん、お母さん。一緒に勉強して参りましょう。
 今回は、最も基本的なことを考えてみます。

第1に、人間についての最高の説明書がある、ということ。

 人間とは何か? その答えによって、子どもの育て方が決められてくるでしょう。
 世には多くの育児書がありますが、どれもそれなりの答えをもっています。幸い、私たちには人間についての最高の説明書=聖書が与えられています。
 そこには、現在私たちが知ることができ、また知らなければならない情報のすべてが、集積されています。いかなる人間(被造物)の見解も、神(創造者)のそれに勝ることはできません。
 製作者こそが、自らの作品については一番よく知っているはずです。
 「肉の父親は短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は私たちの益のために……懲らしめるのです。」(ヘブル12:10)  

第2に、子どもを育てる主体は「夫婦」である、ということ。

 あえて「夫婦」としたのは、現代日本では家庭の核として、あるいは育児の責任主体として、「夫婦」という単位が認められていないように見えるからです。
 聖書では、女は男から造られ、両者は本来一体であり、結婚の時それを関係者一同が確認すると言います。
 「神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、人のところに連れて来られた。……それゆえ男(人)はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となる。」(創世記2:22、24)。

 日本では一般に、夫婦の絆より、親子のそれの方が強いようです。自分の夫や妻に向って、それぞれ「お父さん(あるいはパパ)!」「お母さん(ママ)!」と呼ぶのはその現われです。
 子どもは、かすがいなのでしょう。
 子どもが結婚するときには、既に家庭内離婚になっていたり、実際に離婚したり、となることもあります。戸籍上は夫婦でも、本当は、ずうっと前から夫婦でなくなっていることがあります。
 日本では母子の間の絆が強いので、精神的母子相姦になっていることがあります。妻は、自分の持つ欲求を夫が満たしてくれないと言って、代わりに子どもに満してもらおうとするのです。
 こうして教育ママが生まれます。彼らは自分を、特に愛情の深い母親だと思っています。
 そればかりではありません。子どもに向って、いかに自分は夫から不当に扱われているか、孤独であるかを訴え、精神的に子どものレベルにまで自分を落とします。
 これは、親としての責任放棄です。あくまでも、親は親でなければなりません。
 親としての権威を保持しなくてはなりません。
 他方、夫は夫で、酒や、妻以外の女性に自分の不満の解消を求め、そのために夜遅く帰ることも「家族のためだ!」「仕事のためだ!」と正当化します。
 このような環境で、多感な十代の子どもは健全に育つでしょうか。親の責任が十分に果たされていない状況で……。
 このような親に限って、自分の子が非行に走ると、学校が何とかしてくれと言います。果ては警察行きです。
 現在、少年犯罪が増えています。お父さん、お母さん、子どもを育てる主体は、あくまでも家庭であり、しかも心の通いあった夫婦でなければなりません。
 「どうして? どーうして、あなたはいつもこうなの?!」  と、十代の子どもを追いつめる前に、しなければならないことがあることを知ってください。

第3に、育てるための道具がある、ということ。

 その道具とは、愛です。
 「親はなくとも子は育つ」とは、無責任な言い方です。子どもは自然に育つものではありません。
 私自身の体験からしても、確かに身体的には順調に育ったと言えますが、精神的には大変不満を覚えて大人になってしまった、と思っています。
 その不満とは、「私はだれからも愛されていない!」という意識です。
 健全に成長した大人は、幸福な十代を生きてきています。
 (でも、運命論を言っているわけではありません。「では私はもう幸せにはなれない!」などと思わないで下さい。というのは、イエス・キリストは救い主・癒し主であって、あなたの心の傷を過去にまでさかのぼって癒して下さる方だからです。)
 この幸福を経験させるのが、愛です。十代の子どもは愛を欲しがっています。
 「もうあなたは子どもじゃないんだから……」  このあとに何を言いたいんでしょうか? 十代の子どもに自信を持たせるには、役立つ部分のある主張かも知れませんが、これは事実を言っていません。
 十代は大人ではありません。子どもです。親の元で大人になるための訓練を受けている、子どもです。
 訓練の期間中、本人にとって一番の成長剤となるのが、愛です。

 太郎君は、小学生の低学年の頃までは、とっても従順でした。お父さんやお母さんの言いつけに背くようなことは、ひとつもしたことがありませんでした。
 ところが、高学年に入った頃から、急に反抗するようになりました。ものは散らかすし、口答えはするし、弟はいじめるしで、お父さんもお母さんも困ってしまいました。
 でも人の前では、相変らずいい子なのです。太郎君は一体どうしてしまったんでしょう。
 太郎君の親は、2人とも働いています。学校から帰ってきて「ただいまーッ!」と叫んでも、何の返事もありません。
 やがて、お父さんもお母さんも帰宅しますが、仕事でとても疲れていて、太郎君に優しい声をかける余裕もありません。
 でも、お父さんもお母さんもすっかり安心していて、太郎君が寂しい思いをしているなんて、想像もしなかったのです。
 もう大人になっているものだとばかり思っていました。
 でも違いました。太郎君は家の中を散らかしたり、弟をいじめたりして、寂しさを訴えたかったのです。
 「ボクのことを忘れないで!」  そのことに気づいた両親は、できるだけ話しかけたり、休日のときには一緒に遊ぶようにしました。
 やがて太郎君の顔には、笑顔が戻ってきました。十代は非常に反応が早いものです。
 回復力は大きいのです。でもほおって置くと、あとで大変なことになります。
 「たとい私が……話しても、愛がないなら、やかましいドラやシンバルと同じです。……信仰を持っていても……人に分け与えても、愛がないなら何の値打ちもありません。」(第1コリント13:1〜3)  大切なことは、物をあげることではなく、愛をあげることです。

第4に、愛を伝えるための技術がある、ということ。

 ところで、神はあなたを愛しておられますが、神はご自身の愛をはっきりとあなたに伝達しようとしておられます。
 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させて下さいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(第1ヨハネ4:9)
 イエス・キリストは神であられたのに、あなたを愛してこの罪に汚れた地上においでくださり、あなたを救うために十字架の上であなたの罪と呪いを負われ、死なれました。
 神はご自身の愛を、はっきりとあなたに示しておられます。あなたも、十代の子どもにあなたの愛を、はっきりと示さなければなりません。

(つづく)





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