雪の丹沢山塊

山から帰ったら、真っ先にパソコンに向かい撮った写真の整理をするが、今回は余り向かう気にならない。折角撮ったデジカメのメモリースティックを 蛭ガ岳(蛭ヶ岳)の山小屋に忘れてしまった。

熊木沢に下りた時に気が付いた。もう引き返す体力も時間もなかった。それからは意気消沈し、下山時に撮った数枚の写真をやっと翌日整理した。

       ----   ------  -------

2月28日(金)、会社を休んで職場のTさんと蛭ガ岳(蛭ヶ岳)に向かった。当初計画は八ヶ岳を攻める予定でいたが週間天気予報を毎日見ていても雨の予報が変らない。遠くまで行って雪で引き返す事程悔しい事はない。

Tさんに水曜日に行き先の変更を告げた。『蛭ガ岳(蛭ヶ岳)に行こう。一昨日の雨は、あの山では多分雪だろうから面白いと思うよ。』と話したら、彼も雪大好き人間だから賛同してくれた。

蛭から富士の夕景

 

.

石棚山?(Tさん撮影)

早速に読売新聞の切り抜きから蛭ガ岳(蛭ヶ岳)山荘の情報を確認する。「3月14日まで冬季避難小屋を有料で開放、防寒具と寝具を持参すれば宿泊も可能」と書いてあった。冬用寝袋を持っていないTさんの為に、一応連絡を入れてみる。

ホームページで『蛭ガ岳(蛭ヶ岳) 山荘』で検索するが、トップには出てこない。山荘のリンクページでやっと見つけた。(今回当ホームページに追加)

事前予約の電話番号があったので電話を入れようと思ったが、仕事が忙しくて結局出発前日の18時に連絡を入れた。

何回連絡しても、転送電話になり『お掛けになった電話番号は、現在使われておりません。』だった。仕方無く、小屋に入れなかった場合はテント泊まりにしようとそれを持参することにした。(尚、 下山の日曜日10時にメモリースティックの件で連絡をしたら繋がった)

今回の狙いは3つあった。@雪の丹沢縦走A蛭ガ岳(蛭ヶ岳)からの夕景と朝景を見て撮影B未だ歩いていないルートを歩く事。そして、翌日午後からは雨の天気予報だったので、午前中に下山できるようにスケジュールを考えた。

大倉から登ると帰りに時間が掛かりすぎる。焼山からは雪中歩行が少ない。結局、西丹沢が一番楽しめそうなルートだった。最初は大石山から桧洞丸を考えたが、当日中に 蛭ガ岳(蛭ヶ岳)に到着するには1時間以上も早く出発しなければならず、時間 の問題があった。そこで石棚山から登り、下山は臼ガ岳の木々を楽しむ事にした。

久し振りに重い荷物だった。狭い我が家の階段を、準備したリュックを手で持って下ろす時に重さでぐらぐら身体がゆれた。

待ち合わせの玄倉に7時に到着した。しかし、彼の新車を停める有料駐車場は、どこも未だ開いていなかった。ゲート前まで進みそこに2台駐車した。

10分かけて小川谷出合いまで戻り、石棚山に向かった。登り始めて、右手方向に急な山が見えた。Tさんが『あそこに登るんだよね。』と言ったが、余り急な山で『あんなとこ登れないよ。』とその鋭角になった頂きを見て応えた。

西丹沢県民の森まで凡そ30分、車道を歩いた。ここまで車で来る事が可能だった。トイレもあり少し休憩して進んだ。途中で分岐があったがどちらからでも行けそうだが踏み跡の多い右側を進んだ。右写真がその合流地点だが直進ルートは左の急な登り、右側は写真手前からの楽な道だった。

大正の森分岐(Tさん撮影)

すぐに見えた富士

石棚山頂付近からの富士

またまた休憩

さて、ここからがキツイ登りになった。しかし、すぐに左側に富士山を眺められる景色は丹沢ではここだけかもしれない。上を見ると延々と続く急坂だった。なるべく見ないようにするが、ついつい顔を上げてしまう。すると、気が萎えて直ぐに休憩である。

彼はサーモンの干したもの、私は市田柿の干し柿を薦めあった。サーモンも美味しかったが、干し柿が甘くて美味しかった。小さい頃は食べ物が余り無く、干し柿や干芋を良く食べたが、物が豊富な最近は食べた事がなかった。疲れた体が喜んで受け付け、何個でも食べれそうだった。

石棚山の分岐に近づくにしたがって登りはさらに厳しくなった。Tさんが3点確保ならぬ4点確保で、四つん這い状態で登る。『これじゃ岩登りだ。』と彼が言った。もう笑うしか無かった。

なんとか、分岐に到着したが体力の殆どを使い切ってしまい、疲れから不整脈が出始めた。

それでも大好きなこのルートだったので、雪道を歩きながら夢中で写真を撮った。その間は疲れも忘れていたが、テシロの頭を登った辺りから足が進まなくなった。今日は桧洞丸までにしようかと 、お互いが納得するほど疲れていた。

富士登山の酸欠状態で、数メーター進んでは休むので、なかなか頂上まで辿り着かない。Tさんに先に行ってもらう事にした。荷物が重かったのと、低い山しか登ってなかったので体力不足が原因である。

それでもなんとか到着し、青ヶ岳山荘で食事をすることにした。カップうどんとお握り、それに持参のビールを味わって少し休んだ。

体力・気力とも回復し、休憩代金1000円(二人)を入れて臼ガ岳に向かった。

石棚山稜(Tさん撮影)

ツツジ新道合流付近(Tさん撮影)

 

桧洞丸(上 木道、中 山荘付近、下頂上)

途中からアイゼンを着けて進んだ。細い尾根で滑ったら大怪我である。木の階段は雪が氷になっていた。そしてスチールの橋が掛かっている場所はツルツル滑った。危険きわまりない。

アップダウンが多くて、ここでも閉口してしまった。これでこのルートも3度目だが、いつもの倍以上の荷物では仕方がなかった。ルート設定に問題があったようだ。

青ヶ岳山荘に書いてあった『歩けば無限』の掛け軸を思い出して、止まればそこで終り、進んでいれば必ず到着できると元気付けて登った。

しかし、10歳下のTサンが弱音を吐いた。彼も相当に参っていたらしい。歩いても歩いても辿り着けない臼ガ岳、このルートが初めての彼は仕方がなかった。

臼ガ岳でテントを設営しようと提案されたが、視界の悪いそこは面白くないから、目的地まで行こうと却下した。

目指す蛭ガ岳(蛭ヶ岳)

地図上に書かれた時間と略同じ2時間で臼ガ岳に到着した。木肌が茶色のダケカンバと思われる木が頂上付近にあった。やはりこの山は木の種類が違うのかもしれない。明日が楽しみである。

少しだけ休んで直ぐに出発した。

Tさんが『あと1時間半で着きますね。』と言ったが、これからの急坂はそんな計算通りに行かないので、『無理だよ。もっと掛かるよ。』と応えた。頭の中ではそう有って欲しいとは思うが、鎖場のあるこの道は冷静に判断するとやはり無理である。

雪が深くなりアイゼンを着けていても滑る。すると体力は1歩進むのに使うその3倍以上消耗する。途中まではTさんより元気だった。しかし、急な斜面の岩肌にアイスバーンが連続した。その時、ピッケルを持っていない彼が立ち止まった。二人とも簡易アイゼンのため、出っ歯がない 。その為、登る時に地面をつま先で蹴り上げるが、歯がないので靴先が滑った。

頂上まで100m付近である。

先頭を入れ替わって、ピッケルで足場を作った。力を入れて刻んだ。しかし、20mも進まないうちにまた不整脈が出た。もう全く進めない。5m単位かそれ以下の距離で何度も立ち止まった。残りの標高50mでTさんに『先に小屋に行って良いよ』と言った。

乗越付近

臼ガ岳のダケカンバ

臼の頂上

富士山&桧洞丸

富士の夕景(Tさん)

残り30m、残り10m、更に小屋が見えるようになった。しかし、進まない。

よく山小屋の近くで亡くなった話を聞くが、何故だろうと思っていた。気力を振り絞ればそんな距離はなんとでも成ると思っていた。

日が落ちてしまった。段々と寒くなる。遭難はこんな状態の人がなるのだろうなと思った。今は極寒でもなく、Tさんもいるので心配は無かったが山の恐さを改めて感じた。

やっとの思いで山小屋に入るとそこは暖かかった。ここまで2時間半以上掛かった。

濡れた衣類を着替えて、夕食にした。彼が持参した日本酒が美味しかった。自分の持参したチュウハイは身体が冷えてしまうが、それはすごく良かった。

更に事件が起こった。食事中にTさんがもどしてまった。極端な疲労が原因なのか食中りか分からないが、直ぐに彼は床についた。

先客が1名あり、彼と少し話をした。すると、来週は八ヶ岳に向かうと言うのである。やはりこの時期の八ヶ岳は人気が有るらしい。

20時頃に寝床に入った。Tさんは爆眠中である。

午前2時ごろから風が強くなった。明日の臼ガ岳に戻るルートを考えると、氷のルートは我々の装備では危険が大きい。どこを下るか等を考えていると眠れない。

なんとか4時位から5時まで再度眠り、目覚めてすぐに起床し、食事の準備をした。

外はガスで見えない。強い風でガスが一瞬吹き飛ばされると、少し上空に朝焼けが見えた。シャッターを切った。 記録できる枚数が少なくなったので、メモリースティックを入れ替えた。この時、ケースをテーブルに置いたままにしてしまった。

昨日、腹に何も入れなかったTさんは朝食を黙々と食べていた。コーヒーを飲み終わって、少し下山の準備に取りかかると、Tさんは既にリュックを背負っている。忙しない。歩きたくてしょうがないようである。

後を押される様に準備を急ぎ、代金を入れて出発した。7時、既に外は吹雪いていた。臼ガ岳を諦めて、熊木沢へ下った。

朝焼けの空

熊木沢への下山ルートにて

熊木沢砂防

熊木沢へ降りる道は、所々で大木が倒れていた。まるで大木の墓場であるかのようだった。春には判らない光景だった。

熊木沢の砂防に着くと雨に変わった。

熊木沢も依然とは随分と変っていた。道は至る所で崩れ、歩き難い。その内の一箇所、砂防ダムを下りる道が完全に無くなり、2m近くの高さをロープを使って下りた。

その内、Tさんが玄倉の長い道のりにへばって来た。

私は、前の会社の連中との約束の時間が迫っていたので焦っていた。彼を引っ張るかたちで先行した。不整脈さえ出なければ大丈夫である。

11時半に駐車場に着いた。

風呂に行こうと誘うTさんと分かれて、宴会場に向かった。

熊木沢への下山ルートにて

到着時刻

 

2月28日

7:00  玄倉集合

7:15  ゲート前駐車場到着

7:25  小川谷出合到着

8:00  西丹沢県民の森出発

8:20  大正の森分岐(ここから急坂)

10:40 石棚山分岐

12:20 桧洞丸

13:30 桧洞丸出発

15:20 臼ガ岳到着

17:40 蛭ガ岳(蛭ヶ岳)到着

3月1日

7:00  蛭ガ岳(蛭ヶ岳)出発

8:50  熊木沢砂防ダム到着

11:30 ゲート前到着 

探しています---->ありました。本日(19日)連絡ありました。

上記の山行き時に、紛失してしまったメモリースティックと、それを入れたスチールケース(40*100mm)です。メモリースティックは全部で4個入っていますが、その内の128MBに今回の写真が入っています。

見つけていただいた方はお手数ですがご連絡を頂くと非常に助かります。翌日も取りに行こうと思ったぐらいです。ただ、この疲れた状態ではとても無理だと判断し、翌週またでかけました。

追)小屋の方が今週(3月13日)登られましたが見つかりませんでした。

蛭ガ岳(蛭ヶ岳)トップ