金山谷ノ頭が臼ヶ岳朝日向尾根へ

   
 

05年5月3日、またまたTさんと新しい山に挑戦です。昨年行けなかったので、2年越しの思いが叶う筈でした。1年前に準備していたルート案内のホームページのコピーもそのまま使えます。8時集合予定が渋滞に巻きこまれ、Tさんも10分遅れて私は更に5分遅れてしまった。携帯電話がここは使えない。

8時20分過ぎに出発した。途中の玄倉ダムは水を湛え透明な深緑色をしている。ここの流れはいつ来ても魅せられてしまう。10時少し前にユーシンロッジに到着し、鹿の黒豆を気にしながら座る場所を確保した。ここまで、殆ど人とすれ違わなかった。10時5分に出発した。

 
   
 

トイレの左にある道を進む。(写真一番上)尚、その右に登り口があるが、これは臼ヶ岳朝日向尾根所への経路である。そして、直ぐに舗装路は細い道になり、写真右上『明治薬学大学 薬用植物研究所』の脇を抜ける。

すると、左写真の沢に出る。その写真右下にTさんの頭があるので凡そ20m位の沢である。ここを下ると写真上の道標がある。『右 金山谷ノ頭』と書かれている。それに従って右の砂地で急な道の方を進んだ。(10時11分)

 
 

 
   
 

道は細くなり、且つ左側は崖である。所々で石積みの昔の道の面影があるが殆どが崩壊している。

ミツバツツジは至る所に咲き、そして爽やかな風が急坂で熱くなった身体を冷やしてくれる。

 
   

左の沢の景色を楽しんでいると、凄く水深のある淵(右上の写真)があった淵の大きさは僅かだが水深は3m位もありそうだった。

そんな淵に落ち込まないように注意して道を進む。(左写真)ホームページの作者は3時間10分で頂上へ到着と書かれていた。

   
   
 

運動能力の劣る我々は、更に時間を余分に見る必要があった。そして、登り返しの多いこのルートは確かに時間が掛ることを納得させた。

4時間とみて14時に到着、それから下山を考えると更に不安になった。このルートは疲れた足で下りるには危険だと考えさせた。安全で楽な下山ルートを思いながら進んだ。

 
   
 

10時40分、杉林に出た。そこで、『下降点 ---- ユーシン沢』の道標があった。(写真上右)ここでこれを下ればユーシンに戻る楽な道があると思った。 あとで考えると大きな誤解だった。

満開になった大きなミツバツツジの木があった。下山ルートの確認が出来て少し安心した。先行する足跡があったが、釣り師だったらしく下の沢でフライを操っていた。

 
   
 

10時45分、Tさんが立ち止まった。1m下には看板があったが朽ち果てていて『危険』の文字しか見えなかった。良く辺りを探すと赤ペンキで矢印が書かれていた。これを進んで間違い無いと思った。

段々と急坂になり滑れば沢へ直下降、Tさんの足が止まった。表情を見ると明らかに『止めましょう』という文字が浮かんでいた。でもここで引き返すのは悔しい。まして下るのも危険だった。あえて彼に はこの先の判断を委ねなかった。

 
 

この登りは、探し廻らなくても必要な位置に黄と赤のテープが、木に巻きつけられていた。と言うより直登のルートの為、見上げれば、そこに必ずテープがあった。

11時15分、尾根筋に到着した。少し休む時間を長くした。ここでTさんが『ユーシン沢と、いつも歩く道が見えます』と教えてくれた。余り考えないでその言葉を受け入れた。

 
   

11時30分、見覚えのある三角石が 、道の真中にあった。ひょっとして、臼ヶ岳に向っているのでは無いかと思った。そして先ほどのTさんの言葉を思い出した。

ここが金山谷ノ頭の尾根なら、熊木沢に繋がる道は見えない。そして、右に臼ヶ岳の朝日向尾根がある筈である。しかし、右に見えるのは弁当沢ノ頭から繋がる棚沢ノ頭の山々である

   
 

まだまだ”間違った”と思いたくなかった。ひょっとしてと-----。

そんな気持ちで進んだが、左手に同角ノ頭とその手前に尾根筋が見えた時、間違いなく間違えた事を確認した。

Tさんが、『戻りますか』と言ってくれたが、とてもあの登りを戻る程技術も体力も無いことは分かっていた。

彼に、『ここでゆっくり食事をして帰りましょう』と言った。

 
   

12時20分、そしてまたまた宴会が始まった。そして、山の静かで調度良い気温は『自分の部屋に居るようですね』とTさんに言わせ、二人で山腹で寝転んだ。二年越しの金山谷ノ頭の尾根歩きは、道を間違えて叶わなかった。

10時40分に過ぎた『下降点』を良く考えず進んでしまったこと。そして急坂に書かれていた赤いペンキの矢印、悔しいが自分の注意力が不足していた。また次回の楽しみにこのルートは残して置こうと思う。

白の西丹沢