古寺逍遙

観楓によい季節となった。今年も、皆様を鰐淵寺にご招待申し上げる。錦楓の渓谷に伽藍をめぐり、抹茶をすすり詩を吟じるもよし、透き通る紺色の木漏れ日の下で語るものもいいだろう。しかし今年は少し趣を変えて境内を散策してみては如何だろう。そして鰐淵山から沁みでる聲を聴き取っていただきたい。

さて故郷の第一級の旧跡であり、多くの文化財を有し、かつ観光地である鰐淵寺に学校の遠足で行ったことがない。それは、言わずと教室で教えていないという事だ。

初めて登ったのは中学校のクラブの友とだった。本で読んだのも高校の先輩から教えられた『出雲市史』だった。この中に近郊の項があり鰐山と一畑薬師が紹介されている。

鰐淵寺の概要文で、わけても名苑が特筆されていた。山内の遺坊いずれも往古の繁栄を物語る庭園があるとして、松本坊、是心院、等口院が推されていたのだ。末尾に「出雲の二十名園」が付されていたのは有益だった。

この出雲の名園の中に、康国寺はじめ古里平田の六苑が列せられている。占有率では第一。驚きだった。数では城下松江や大社の比ではなかったのだ。それから故郷の文化と教養の高さ、そして豊かな経済力があったことを誇りに思えてきた。

南門イメージ

今日の経路は、いつもの道は避けて、鰐淵寺川をそのまま遥堪峠に向って歩いてみる。杉木立の中に石垣を見つけ、元の南門(裏門)から参詣することにする。南門の跡から木立の中の苔むした石垣の道を歩き、草むらの石組みを見ながら、時の流れを知らない世界に帰っていこう。

参道は明治時代に拡張されている。唐川口の心経坂から和田坊に抜ける道は築地を破壊した道だ。江戸時代の絵図面の世界を散策しよう。参詣する古道は、城塞遺構のように折れ曲がっている。

最初に訪れるのは等澍院。ここも名園の一つに挙げられた池泉鑑賞式の庭があった。石垣に沿って洞雲院に、門の閉ざされた是心院。ここの枯山水と露地の庭が最もよく知られているが、残念ながら現在公開されていない。

 

左から南門、洞雲院、是心院

左から恵門院、本覚坊、開山堂、上に和田坊

生け垣等で道が塞がれているが、蜜厳院、現成院の廃墟の中に石垣を見て、参道を横切ろう。宝蔵殿の門は潜らずに、石垣の道を本覚院から開山堂へ登る。この辺りには霊気を感じる。

そして和田坊を訪れてから根本堂へ参る。参道から入るのは不本意だが、破坊・改築を確認して、浄観院の枯山水の築山を確認しながら一服しよう。この庭は坊内で最古の庭とされている。お茶が終ったら、ゆっくり石段を下ると松本坊の池泉式の庭を垣間見ることができる。

簡略した順路をたどったが、これには二つの意図がある。各坊に名園が築かれた確認と現状を見られ、窮状の是心院を皆でお救いしようという機運をおこしたいこと。それと鰐山の境内の配置だ。新しい絵図は全て根本堂を中心にして、浄土のある西方を上に描かれている。古代の寺院跡を見つけたものには南北のラインが気に掛る。

北を上にした配置で見ると、開山堂と元三重搭跡(本覚坊)が頂に、中程に是心院が置かれて南(四阿)門がある。この延長線上には概念的に浮浪の瀧と熊成峰が存在する。

聖の住む鰐淵山発祥なので、行場であった嶽(がく)と淵(えん)の山塊が最も重要視されたと推定される。これは、山内の庭園跡を一つひとつ見て廻っての想定したものだ。

 

 

左マップは小学館週刊「古寺をゆく」の鰐淵寺境内地図を使っています。

叢莽の中に石組みを見つけ、軒線を示す雨溝を探し出して庭を幻想の中に甦らせてみる。すると、幻の庭が映り出されるスクリーンは、堂々と連なり重なれる北嶽の峰々なのだ。

日本の庭は、思想と自然を凝縮・調和させて表現している。鰐山の庭の多くは、聖地を借景、すなわち主題にしているのだ。

遙かに聖地の岳と坊内の(庭)園で構成することから、岳園寺と洒落て書いてみた。根本堂の東西ラインが表の主軸とすれば、南北の軸は隠れた聖なるラインになるのだろうか。

浄観院庭園の築山は燃え立つ紅葉。借景にそそり立つ聖山の深い緑翠。北嶽の頂高く澄みわたる淡い紺碧の彩色に感嘆して茶を啜りながら垣根越ににみる是心院の窮状。涙の流るるを禁じえないのは私だけだろうか。

「ふるさとぶらり見てある記」の平成13年10月号『郷土の財産に理解を』から抜粋しました。写真は過去に撮ったものや、合成で作成しています。 尚、著者には掲載の了承を頂いています。