それらは今

あれから30年以上も過ぎた、2004年の平田の町。至る所に道路が出来て、どこをどう走ればどこにたどり着くかが、全く分からない異邦人になった。帰省して鰐淵寺だけは必ず都合を付けて立ち寄っているが、それ以外にも思い出の場所があった。今回は”それ らの場所”を尋ねてみた。

平田薬師前

先ずは「やくっさん(平田薬師)」である。小さい頃、ここのお祭りには見世物小屋が写真左側に立った。テレビも少ないその頃は、皆が興味津々であった

平田薬師

”ろくろく首”や”こびと”それに曲乗り等、子供達はその看板の絵の迫力で圧倒された。しかし、今はそのスペースもなく、船川前の友人宅もなくなり、 豆腐店も廃業し、昔の面影はなくなった。

愛宕山

そこから愛宕山山頂に登る。廻の池(さこのいけ)側の動物達は以前より数を増したようである。そして、中学校の時に皆で写真を撮った忠霊搭はそのまま残っていた。

忠霊搭前

よく遊んだ頂上手前の公園は、昔と比べ遊具が増えたように思われる。回転搭?だけは昔のまま残っていた。ジャングルジム等は安全上で撤去されたかもしれない。

愛宕山

その隣のスペースには土俵が残っていた。幼い頃、相撲取りが来て、父親と見に来た事を思い出した。昔は賑やかな町だった。

宇美神社

宇美神社にも行ってみた。この周辺は昔からの細い道で境内も変わりはなかった。長女の宮参りはここだった。

旧中学校跡

そこから中学校に移動する。何年か前にテレビ番組で愛宕校舎が撮影に使われ、その映像を懐かしく眺めていた。

中学校通学路

そのまま一部でも残してくれれば良いものだが、全て取り除かれて、駐車場と保育園に使われていた。

  一畑薬師

そして町を離れて、海辺以外での思い出の場所は?

 
  宍道湖を望む

頭の中に「一畑パークは山の上、楽しいうれしい夢--」の歌が流れてきた。私が高校生の頃、すでに一畑パークは無くなっていた。

薬師案内図

それでも、動物園や遊園地の跡地、一畑薬師の長い石段がどんな感じで残っているのか見てみたかった。

 
  1300段の石段

車で一畑薬師の駐車場まで登る。途中、視界の半分以上が雲で覆われた宍道湖の景色が出雲らしかった。

参道

小学生の頃、一畑薬師の石段の左右にはお店があり、あれこれとおねだりや、切れた息をそこらで整えた事を思い出した。

 
商店街

しかし、今は無い。階段を上り参道を左に行くとやっと商店街があった。あの頃は、ここを通って”夢の国”である一畑パークに向った。

駐車場

当然ながら今ここには、何もない。兄に一畑薬師の駐車場の下の山腹が、動物園だったと聞いたが、記憶とは全く異なっていた。

  薬師

三十年以上後に見た一畑薬師の、その建物の大きさに驚いた。この町にはりっぱな寺院が二つもあった。

仏堂

それだけこの町は栄えた町であり、人が大勢居たのであろう。今は道だけはやけに立派になったが、昔の情緒や活気ある町なのだろうか?

 
 

この町は将来に亘って何を誇りにして、そしてそこに住む人々のこころを何をもって満足させようとしているのだろうか?後世に何を残すかは、非常に重大な事柄である。

私達はその短い生命の時間に何を行ったのか、そしてそれを理解してもらう為に、なにを伝えるべきかを個人レベルで考えている筈である。

後世の市民が舗装された道路だけで、この町に生まれた事を良かったと思うのだろうか。そしてその道は後世に何を伝えるのだろうか? 先人達が残した町の文化遺産をどうやったら残す事が出来るのだろうか。

何十年ぶりの思い出の場所を振り返って、この町を思ってみた。