八菅山を歩く

春の散策

修験(八菅山神社)

火渡り

八菅山周辺

石神社

 

 

春の散策(八菅公園周辺)

 
 

八菅神社の前を通り越し数分程歩くと、左に沢を渡り、鳶尾山に向かう道がある。その直ぐ先の右側に階段がある。

そこを歩き始めた。

木々が多く少し薄暗い道だが、静かである。

 
 

5分も歩いただろうか道は左右に分かれ、右はアスレチック場から八菅神社に向かい、左は頂上に向かう道になる。

木々の種類を書いたものが幹につるされていたので、少しでも覚えようと辺りをぐるりと回った。

エゴノキが白い花を一杯咲かせていた。

 
 

人の少ないこの道にこれだけ投資し、高取山の頂き周辺の道は崩れたままになっている。

そんなことを考えていると、白山堂跡の看板が目に付いた。飯山にも白山神社があり、白山は修験者の信仰上、不可欠なものだと改めて思った。

 
 

前方に少し開けてた明るい場所があった。ここの頂上で標高223m、展望用鉄塔が据え付けられている。

鉄塔の上からは一方方向しか見えず、しかも中津の中心部から外れた場所で、近くに住んでいる人でないと、どの位置か分からない。

 
 

しばらく展望台で過ごし、更に奥へと行こうと思ったが、公園の閉鎖時間(17時)が気になるので今回は中止した。

真直ぐ行くと、ゴルフ場脇を通り、クラブの正面辺りに出て、そこから412号に抜けられるとの事だった。

 
 

来た道を少し戻ると右側に階段がある。そこを下った。下の方に公園があり、人の声がした。しかし、看板が『マムシ注意』と何本も立てられていた。

見た目にも悪い印象であり、公園でもあるので子供達の安全のため駆除すべきではないだろうか?

 
 

小さな池があり、鯉が泳いでいた。

子供達は池のザリガニ取りではしゃいでいたようだ。

*菖蒲?と思える花が咲いていたので写真を撮って駐車場に向かった。

*6月上旬には『花菖蒲の里』(中津川対岸)で見ごろになるそうです。八菅山の帰りに立ち寄ってください。

 
 

小さな建物があり、中には鳥の写真が並べてあったが、時間が遅く既に閉鎖されていた。

調度閉鎖時間の17時だった。急いで車を発車させた。

標高としては非常に低い山で、果たして修験者はどこで修行を行ったのだろうかと考えてしまう程の山である。

 

 
 

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八菅山周辺

 
 

尾山耕地を訪ねてみようと八菅山の北側の道を走ると行止まりになった。車を置いて暫く歩くと石碑があった。

この山がこの北から栄え、ここに北観音があった。しかし、廃仏毀釈ですたれると、今では2軒しか住んでない云々と書いてあった。

 
 

両側の竹林を更に進むとあ”*幡の坂”にでる。ここから下ると田代方向に出ると思ったが、後で思うとここが尾山耕地に繋がっていたらしい。

*幡の坂は役の小角がこの地を訪れ六神を祭り修行を行っていたその時に八丈八手の玉幡が降臨した場所と言われている。

 
 

八菅橋を町方向に渡ると左に下谷の集落がある。そこは神奈川町並み百選にえらばれた「菖蒲の里」である。

7月に訪れたので菖蒲は咲いていなかったが、小川沿いに咲く花は歩く楽しみを教えてくれる。

 
 

駐車場は八菅橋の袂が一番近い。小川沿いは車一台しか通れない狭い道である。

尚、この道を進み坂を上ると竜安寺がある。ここも見所の一つである。

神奈川の町100選

菖蒲の里(愛川 下谷)

 

八菅山紅葉

11月30日、仏果山の頂上がクチナシ色から少し赤味の入った山吹色に変わった頃、八菅山・鳶尾山が黄葉のピークを迎えた。八菅山の宝物殿をただで見られる勉強会があり、それに参加したときにその山々の紅葉に感動した。

宝物殿では、見あげるほどに高い正応の碑伝(峰入り修行を行った修験者がその証として立てる木造りの碑)の大きさに驚いた。

それもそうだが、20年この地に住んでこの山々の紅葉についての鈍感な自分にも驚いてしまう。

宝物殿から七社権現の本殿に登り経塚の説明を聞き下山した。途中で紅葉で着飾った休憩所にであった。

 

もう数日はこの彩りは続くと思われる。何とか晴天の日にまた写真を撮りたいと思った。

当日の参加者の方から教えて頂いた『冬イチゴ』、可憐な名前で且つ食する事もできると聞いてこの草に興味が湧いてきました。

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石神社

明らかに異様な感じだった。登ろうとした階段には拒むように木々が置いてあった。

「た天岩屋(たてんいわや)」の”た”はパソコンに登録のない、託すの言べんが口へんになります。

看板がありここは八菅山の峰入り修行二番目の行場であったとあります。

置き木を踏み分け階段を登り、神社の後ろに周ると殆ど急な”絶壁に近い崖”です。

行者は毎年1回ここのたいへい岩(多分社の左側、右写真)に秘水を持って登ったと言うことです。太いつたが道を覆っています。

この岩への道は細い道で、滑ったら10m下まで真っ直ぐに降下します。

ここを見てやっと入れないようにしてあった訳がわかりました。

ここは幣山(へいやま)と呼ばれ、峰入りのときに五色の幣(ぬさ)を納めた事に由来しているそうです。

 

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尾山耕地