熊野古道(高野山・那智勝浦)

 

大門 金剛力士像
 

3日間の走行距離は約1500km、普段の3週間分を走る事になった熊野詣での旅だった。

世界遺産に登録され人が多く訪れるようになるから、早々に見に行こうと女房が言い出した。交通の便が余り宜しくないので当初は飛行機を利用しようと思ったが、貧乏人には一寸高かった。車では二日で巡る事が出来ないので、7月の三連休(17 ,18,19日)を利用して出掛ける事で納得させた。

 
金堂 御影堂
 

大阪までの距離500km弱、東名を使えば凡そ5時間で到着可能。更に高野山まで1時間強考えれば到達できると思った。今回も見所、廻るルートは全て奥さん任せであった。

我が家を午前4時半に出発、祇園祭り中の京都では渋滞もあったが、吹田へは結局10時に到着した。そこから東大阪・松原、美原Jctで高速道路から一般道に下りた。富田林で奇怪な建物 (PL教団の建物)を見つけ、更に進むと「千早赤坂」の文字が飛び込んできた。

英雄や豪傑が大好きな私は”楠木正成”もまた尊敬する人物だった。太平記で読んだあの千早赤坂城跡が観たくなり、寄道をする事に した。生誕の場所に郷土資料館があったので 、先ずはそこに立ち寄った。既に12時近くになっていた。しかし、城跡はそこから更に先だった。

 
西搭 根本大塔
 

諦めて元の170号線まで戻り、更に371号線で橋本へ向った。昼食はコンビ二弁当で済ませて高野口、九度山を走った。細い道でスピードが出せないので益々予定時間が過ぎていく。14時過ぎにやっと宿坊に到着。18時までに戻る約束をして大門に向った。

 
御影堂から大搭 不動堂から大搭
 

高野山は、この門から宿坊が見える範囲、凡そ400m程度の町並みが見所だと、事前知識の全く無い私は思った。大門(だいもん)を潜るとその先に咲いていた7月末のアジサイ が此処の高さを想像させた。この重要文化財の大門は開山当初、この位置から500m下にあったという。

そこから壇上伽藍に連れて行かれ高野山の凄さが分かった。私の生まれた町にも出雲国中一の寺(鰐淵寺)があった。今は廃れて往時 の3000余坊の面影はまったくないが、町の誇れる遺産だった。その寺の往時を想像させつつも、その規模の違いに嫉妬させる程の景色が目の前に迫った。 (弘法大師が創建したこの密教伽藍は高野山の二大聖地であることを知ったのは後である)

 
  夜の大塔  
 

荒川経蔵の建物の前を通り、建物全体は茶系統の色だが真っ白な障子がより清雅さを表す山王院が見えた時ここに来た事を喜んだ。

奥さんは西搭が気にいったのか、NHKが衛星放送の準備をしていたのでそれが気になるのか早々に山王院を離れたが、私の足は止まり見入ってしまった。

 
山王院
 

時間に押され山王院を離れた。その先の西搭の緻密に組合された木組みは幾何学的模様で、右に見える根本大塔のコンクリートで固めたような直線的な建物より 私には価値観が高かった。

そして、孔雀堂、准胝堂、御影堂と続く木造建造物は更に私を楽しませてくれた。きっとこのような建物が、昔の鰐淵寺には並んで居たのだろうと、別所の山の中に建つ景色を想像させた。

 
   
壇上伽藍への道 六時の鐘
 

そこから金剛峰寺に向った。途中アジサイの咲いている庭を見て、モミジの木々の下を通り、六時の鐘の近くにでた。福島正則が母の弔い建立したという鐘を観て、忘れようと思っていた馬鹿息子の事を思い出してしまった。

 
  金剛峰寺 金剛峰寺壁  

その息子の名前の一文字の架空動物が金剛峰寺の正面に掘られていた。ここでは屋根に付いた二つの桶?が気になった。そして、あっちこっち廻る奥さんを置いて 、私は入り口左の壁を眺めていた。山王寺からここまで白い色が印象的である。ここで道は曲がり、400mの家並みは更に先まで続いていた。

そして、道を進み奥の院に向った。3km程の距離を歩くのをためらったが、僅か30分となだめて歩き出した。奥の院では有名な人のお墓が立ち並んでいた。また、自分の勤める会社のお墓もあった。彼女は 誰それの墓を見て喜んだが、私は墓石の大きさと杉の木々の大きさだけに感心していた。 隣のガイドさんの声が聞こえ、『ここは、弘法大師の下に40万の方が眠る世界一の墓地です。』と説明されていた。『へー、そうなんだ』と思った。

  宿坊の夜食 宿坊内  
 

約束の時間が近づき、最後に金剛三昧院の『国宝 多宝塔』を観て宿の報恩院に戻った。 宿坊であることから、余り部屋、料理とも期待しなかったが、料理は肉類が全く無く菜食主義の私にはとても有難たかった。部屋も離れが準備され、静かに涼しい夏の夜を過ごさせて頂いた。

 
  熊野古道 やま又山  
 

翌朝、女房は『高野山 霊宝館』を観て那智に行きたいと言っていたが、山越えの時間予測は難しいので、諦めて宿を8時に立った。山が続く、一寸したピークで振り返って高野山を探すが 見つけることは出来なかった。

 
  アジサイ公園 那智の滝入口  
 

途中、8時40分にアジサイ公園で花を楽しみ、護摩壇山のスカイタワー駐車場で休憩、残念ながら9時の営業前で登ることが出来なかった。そしてシャクナゲ公園に行くが 、ここは花が終り見るべきものはなかった。

更に奇絶峡では30分近く不動明王を祭る滝と岩に彫られた三尊磨崖仏を見て廻った。そして、田辺市で道を間違えてしまった。ここでも時間短縮でコンビ二でおにぎりを購入し先を急いだ。海岸線を走るこのコースは奇怪な岩が多く、止まって景色を楽しみたかったが時間の関係で車窓からのみ楽しんだ。

 
  那智の滝 飛龍神社前  
 

15時になんとか那智の滝に着いた。高野山のように見るものが多ければ、予約している新宮のホテルに着くのは19時を過ぎてしまう。

この滝の眺めは雄大で素晴らしかった。奥さんに”立山の称名ノ滝”が一番でここが二番と教えられたが、真近で見られるこの滝の方が私には一番のように思えた。

 
  青岸渡寺三重搭  
 

ここでもNHK衛星の撮影部隊が大勢で撮影準備をしていた。延命の水を勧められたが、皿に値段が書かれていたので興醒めして滝壺の見えるところに進んだ。しかし、そこから滝壺は見ることが出来なかった。

 
  熊野那智大社 青岸渡寺と大社  
 

更に、青岸渡寺と熊野那智大社を見て16時半には一通り廻り終わった。やはりここは大門坂から息を切らせて熊野古道を登ったほうが有り難いのかもしれない。

 
  熊野古道 熊野古道  
   

新宮のホテルに着い たのは18時頃だった。食事が終って近くのスーパーでサンマの押し寿司があった。ビール腹でもうこれ以上食べられない私を横に、女房は美味しいと言いながら全部食べてしまった。翌朝は三連休最後なので渋滞を避ける為、5時時半に宿を出発しNHK衛星の放映に間に合う12時には帰宅することが出来た。

今日の読売旅行に『那智・熊野の旅 往復飛行機で29800円/人』の旅行案内があった。ガッカリ

*****費用******

 

主な支払いは下記の通り、これ以外に入場料やお土産等で総額10万円程度と思われる。

<高速料金> 20,650円

04/07/17
厚木 名神吹田 支払 9,900〜名神吹田 支払 500〜美原北 支払 500  計10,900
04/07/19
勢和多気関 支払 1,400〜亀山名古屋西 支払 1,550〜名古屋西本線 支払 500〜名古屋厚木 支払 6,300   計9,750

<燃料>    150L 約15,000円

<宿泊>  34,000円

宿坊 12,000*2名

ステーションホテル 5,000円*2名

<食事>  10,000円

5食*2名*1000円

 

ガイドブックを読んでもう一度熊野古道を訪れるとしたら---、先ずは熊野古道を