大山の南尾根を下る

下社

三連休の真中、本来ならば釣り大会で大島に居る筈だったが、申し込んだ時間が遅く既に定員をオーバーで受付てもらえなかった。

そして、愛車も車検中で足は無く移動ができない。それならばと選んだのが、またまた大山である。前日は奥さんと、ここの五つの滝探しに訪れているのに 、凝りもしないで今度は南尾根の縦走へ挑んだ。

といっても,精々600m位の下社から秦野の弘法山に移動するだけなので、殆どハイキングである。だから、自分の意識は弛みっぱなしで出発時間も段々と遅れ 、家を出たのが11時半を過ぎていた。それでも先日の実績(北尾根縦走時)から13時には下社に着けると考えていた。

ところが、渋滞にぶつかったり、バス便が先回より少ないやらで到着が大巾に遅れてしまった。このままでは弘法山につく前に陽が落ちてしまう。下社までケーブルに乗る事にした。

結局、この判断は後で間違い無い判断となった。14時に下社を出発した。カゴヤ道の分岐からは歩きやすい道だったが、道は細い。右に大きく曲がると沢がありここは下社からの雑踏の音が全く聞こえない静寂の場所だった。

歩いている人は少ない。下社やバス終点、阿夫利橋等を眺めながら蓑毛分岐に向かった。分岐直前は一寸した登りになった。しかし、そこを過ぎると道幅は急に広くなった。電波塔の下で道が分かれていたが、細い道に登った。塔からは頂上の本社が良く見えた。

それから第二電波塔迄、また広い道を進んだ。しかし、その先が分からなくなった。地図を広げた。舗装道路を少し下った左側に道標と分岐があった。ここは両側を杉に挟まれた上に、殆ど 視界のきかないつまらない道(写真右上)が続いた。桜の木が数本あった小ピークに到着した。ここが高取山と思ったが違っていた。

更に進んで舗装した道と交差した。不動越し(上写真)だった。少し進むと真近で銃声がした。ビックリして声を上げた。暫くして歩き出すと、それを待っていたかのように更に近くで爆音がした。これは危険と考えて数分間止まった。銃声も全くしない。緊張の瞬間だった。『進むよ』と大声を出して高取山に向かった。( 危険なので下山も考えたがやはり登りを選んだ)

想像していなかった登りとなった。ケーブルを使い体力を温存したのは正解だった。猟銃の件が気になった。一体何を狙っていたのだろうか?自分もハンター(魚)だがその大きな違いは何だろうか等を考え急坂を休み休み登った。15時44分、高取山到着。すると地図に書かれた時間と40分も違っていた。蓑毛までの時間が地図上書かれていなくて、計算に入れてなかった。

地図上で高取山から秦野までの所要時間は3時間20分で現時刻の15時44分を加算すると暗闇の中を歩くことになる。今日は軽装で緊急用の小さな明かりしか持参していない。

ヤバイ  そこからは久し振りに走った。

それでも要所要所で立ち止まり写真を撮った。高取山辺りから少しずつ景色が見える様になった。ここら辺りなら奥さんを連れてきても飽きられないだろうと思った。念仏山からは秦野の周辺を見渡す事が出来、富士山も見えるようになった。

いつも丹沢の帰りに渋滞している善波トンネルの上を進む。やはり渋滞している。今日は全くひとごとである。高圧線が綺麗に光ってい た。

モーテルの脇を通った。すると大きな建物が何棟もありその広さに驚いた。そして、善波峠に着いた。ここは足柄道の延長として栄えた矢倉沢往還、旅人が要所として越えた場所である。足柄路は足柄峠から関本に下り,矢倉沢往還はそこから伊勢原の笹窪まで下った所まであった。今はひっそりとして数体の石仏があった。両側の山を弘法山は一旦下りてまた登りになった。急いで登った。

夕焼に染まった富士山の写真を撮りたい事と先が分からない不安で余り周辺を細かく見てはいられなかった。弘法の乳の水等、次回は奥さんを連れて来ようと思った。弘法山を下ると権現山の頂きに見なれぬ唐時代を思わせる建物が見えた。そこの着くと、富士山を撮ろうとカメラを構えた人達が居た。暗くなる前に下山したいので急いだ。浅間峠を越えて浅間山に着いた。ここからの富士山も町の明かりがイルミネーションのようで良かった。浅間峠は桜の名所であり、花の時期は大変混み合う様である。

今日で大山の主だったルートを全て歩いた事になる。大山の色々な面を知る事が出来てここが好きになった。

<時間>

ケーブル駅着 13:05 → ケーブル出発 13:40 → 下社着 14:00 → 蓑毛分岐 14:30 →

電波中継塔NO1 14:35 → 電波中継塔NO2 14:55 → 不動越 15:22 →高取山 15:44

→ 念仏山 16:12 善波峠 16:30 → 弘法山 16:47 → 権現山 17:00 →秦野駅 17:50 

 

弘法山追加

めんようの里

2月9日、お気に入りの弘法山に女房を連れて来ました。生憎のガスで全く富士山は見えません。

めんようの里で今年の干支の羊にご対面しました。おりからの風邪で体調が悪く階段を避けて上りました。子供達は元気に駆け上がります。

私の目的は前回写真に残せなかった善波峠を写真に残す事でした。しかし、めんようの里からどのルートを通ったか全く覚えていませんでした。時間に追われて周りを見る余裕が無かったのでした。

善波峠
弘法山釣鐘

適当に車できた道に沿って、モーテルの方に向かいました。あと少しで善波峠に着く下りで、『ここを下りるの?また登らなければいけないじゃない。』と凄く嫌な声を上げられてしまいました。

たいした坂ではありませんが、彼女のとっては急坂に見えたのでしょう。

そんな奥さんもモーテルの大きさにはビックリした様です。車からはほんの一部しか見えませんのでさも有りなんと思いました。

寂しげな峠の写真を撮って、その上の灯篭(旅の安全を祈願して置かれたものです)を見てから弘法山に戻りました。

弘法山では釣鐘に興味が有ったらしく、それを突いて見たいと言ったので、注意書きも無かったので薦めました。しかし、その大きな音に本人も私もビックリしました。

頂きを下るとフクロウを抱いた子供の側面が太陽で光り、体の中心部には苔の色が鮮やかでした。しかし、説明が何も無い。

桜並木を過ぎて権現山へ到着した。

夏の松明の由来や、鳥達の水浴び場所が設置してあった。

夫婦、お互い趣味が違い其々別の看板を読んで楽しみました。

愛川町にもこんな場所が欲しいと言ったら、有ると応えた妻は自身満万だった。

私には分からない場所を妻は知っている。どこだろうか?

浅間山にも行こうと思ったが時間が17時近くなっていたので諦めて折り返した。

夕焼は綺麗だったが、富士山の見えない弘法山は女房を喜ばすには少しスパイスが足りなかった。

また桜の頃に訪れたいと思った。

弘法山の桜